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完全趣味の世界

ioritorei’s blog

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美しき日本語の世界。[其の五十八]【「清(さや)けし」を尊ぶ美意識】

 

其の五十八

美しき日本語の世界。

 

 

「清(さや)けし」を尊ぶ美意識

 

 

 

 

 

 

 

「清(さや)けし」とは

 

 

「清(さや)けし」とは、 光がさえ渡り、対象がはっきりと目に見える様子を指す。

また、 音が濁りなく、遠くまで高く響き渡る様子を指す。

さらには、 場所の空気感や、人の心が迷いなくスッキリとしている状態をも指す。

「清(さや)けし」とは、単に「きれい」であることを指すのではなく、光、音、心の状態が「一点の曇りもなく、鮮やかに澄み渡っている」様子を表す非常に美しい古語である。

「清」のほかに「明」という字が当てられることもある。

似た言葉に「清(きよ)し」があるが、【はっきりと際立っている、光や音が鮮やかである(動的・感覚的な印象)】の意味を持つ「清(さや)けし」に対し、「清(きよ)し」は【汚れがない、純粋である(静的な状態)】の意味を持つ。

 

 

 

現代の「清(さや)けし」

 

 

現代では日常会話で遣われることは少なくなってしまったが、俳句の季語(「爽やか」の子季語)として、秋の涼しく清々しい空気感を表現する際に用いられる。

 

 

 

"切り火" に込めた「清める」という精神性

 

 

日本には「清(さや)けし」という、明るく、清らかで、淀みのない状態を尊ぶ美意識がある。

その美意識の粋を集めたのが "切り火" という文化である。

"切り火" で飛ばす火花は、その場の空気を一瞬で切り裂き、浄化する「清め」の象徴なのだ。

邪気を払い、まっさらな心で門出を祝うという精神は、日本語の持つ「清らかさ」という概念と深く結びついている。

"切り火" によって暗闇に散る火花が、その場の邪気を払い、行く先をパッと明るく照らす瞬間。

その「鮮やかで清らかな一瞬」こそが、まさに「清(さや)けし」という言葉が象徴する美しさそのものといえる。

"切り火" では、送り出す側がカチカチと火を切り、送り出される側は振り返らずに一歩を踏み出す。

この双方が言葉を重ねずとも通じ合う無言のコミュニケーションは、古き良き日本の、余白を重んじる美徳そのものではないか。

「行ってきます」と「いってらっしゃい」の間に流れる、火花の一閃。

その一瞬に、目に見えない絆や祈りを込める日本人の感性は、本当に豊かで美しい。

"切り火" は単なるおまじないではなく、大切な人の無事を祈る「美しい祈りの形」である。

火花が散る一瞬の輝きと消えゆく儚さは、日本語が持つ繊細な情緒や、四季折々の移ろいを愛でる感覚にも通じるものなのである。

 

※.切り火

"切り火" とは、外出する人の背中に向かって火花を飛ばし、「お清め」と「道中の安全(厄除け)」を祈る日本の古くからの風習である。

現代では、勝負事に向かう人、受験生、危険な仕事に就く人、または縁起を担ぐ職種(落語家、相撲界、花柳界など)で今も大切にされている。

"切り火" には、日本人が古来より大切にしてきた「目に見えないものへの祈り」と「相手を想う心」が凝縮されており、非常に美しい日本文化のひとつといえる。

 

 

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【歴史の闇に葬られた真実】「藤堂高虎」荒削りな一武将がいつの間にか知勇兼備の将へ。

 

歴史の闇に葬られた真実

 

 

藤堂高虎

 

 

 

 

 

 

 

歴史は勝者によってつくられる

 

 

我々がよく知る歴史の記述は、必ずしも客観的な事実の記録ではなく、勝者の視点や都合の良いように解釈・再構成されることが多い。

歴史は、過去の出来事を単に記録するだけでなく、その出来事をどのように解釈し、どのように伝えるかによって、人々の認識や価値観を形成する力を持つ。

そのため、勝者が自らの正当性や優位性を強調するために、歴史を都合よく書き換えることがあるのだ。

たとえば戦争や革命などの歴史的な出来事では、勝者が自らの行為を正当化し、敗者を悪として描くことで、自らの立場を強化しようとすることがある。

また、国家の成立や発展の過程でも、建国の英雄や偉人たちの物語を美化し、都合の悪い事実を隠蔽することがある。

このことから歴史の解釈や記述において、権力や支配者の影響がいかに大きいかがよくわかる。

だが歴史の解釈はひとつではない。

歴史を鵜呑みにしていいのか?

勝者の言い分は、本当に正しいのか?

教科書に書かれたことを疑うことで、初めてみえてくるものがある。

そのためには、敗者や弱者の視点から歴史を再考することが肝要だ。

歴史を多角的に捉え、様々な視点から検証することで、より客観的な歴史認識に近づくことができる。

 

 

 

勝者=善と単純に結びつけてしまう思考の危険性

 

 

特に中学・高校の日本史の教科書は政治史が中心で、必然的に勝者の歴史が描かれ、それが日本史の流れとして理解される。

勝った側が善とされ、敗者は悪とされることで、結果的に「正義は勝つ」と教え込まれる。

勝者が善で、敗者が悪という歴史観の極致が「征伐」という言葉である。

たとえば豊臣秀吉の天下一統の流れを追う時、無意識のうちに四国征伐九州征伐小田原征伐、さらに朝鮮征伐という言い方がされてきた。

これは敗者は悪とされ、悪人だったために、正義、すなわち勝者によって滅ぼされたという論理の組み立てで、勧善懲悪という考え方を深くすり込まれてきた。

そのせいで、現代日本人は多角的な考え方が苦手になってしまったように思えてならない。

勝者=善という決めつけは、思考の柔軟性を奪ってしまう。

敗者=悪という決めつけが、同調圧力を生み出す。

敗者にも成したことがあり、言い分だってあるのだ。

固定観念ほど怖いものはない。

歴史の闇に葬られた真実に目を向けることで、固定観念にとらわれない、柔軟な思考を手に入れる。

本稿がその一助になれば幸いだ。

 

 

 

才能を見出し、磨いてくれた「師」の存在

 

 

頑健な体に恵まれた藤堂高虎は、最前線における槍働きで世に出た。

しかし、喧嘩で人を殺したり、主君との折り合いが悪かったりで、いくつかの家を渡り歩く生活を送っていた。

不遇をかこってた高虎の人生に転機が訪れたのは、1576(天正4)年に羽柴秀長に召し抱えられてからである。

秀長は、浪人中だった高虎を300石という高禄で抜擢したのだ。

高虎はこの評価に応え、秀長に仕えてから起きた合戦には、ほぼすべて参加し続け数々の武功を立てた。

禄高はあがり、なかなか芽が出なかった高虎も、いつしか一軍の将として活躍できるようになっていった。

高虎は槍で名を上げたのだが、それに固執しなかった。

合戦の合間に職務を与えられると、帳簿の整理だろうが何だろうが必死に励み、それに熟達するまで続けた。

ことに、高虎が興味を惹かれたのは築城術であり、秀長の命で普請奉行を務めることもあった。

後に高虎は、町の設計やその運営管理の他、実に多くの建築を手掛けている。

ざっと挙げただけでも、宇和島城伏見城今治城伊賀上野城駿府城丹波篠山城、淀城、上野寛永寺などである。

工事のためにと、大工と石工の集団を独自に抱えているほどだった。

ところが、高虎が深く信頼し、忠節を尽くした秀長は1591(天正16)年に病没してしまう。

高虎は秀長の養子で跡取りの秀保に仕えるが、4年後に秀保が急死すると、高野山に隠棲する。

主君の菩提を弔うためという名目であったが、秀保の死には豊臣家の跡取りをめぐる陰謀の疑いもあり、その渦中から遠ざかるためだったとも考えられる。

武勇ばかりに秀で、世渡り下手だった高虎も、秀長に仕えるうちに、生き残る術を学んだのであろう。

後に秀吉が7万石の大名として高虎を復帰させた。

秀吉の死後、高虎は家康に仕え、関ヶ原の戦いでは東軍の勝利に貢献する。

築城の名手としても重用され、江戸城の大改修の縄張りも命じられた。

縄張りとは基本設計のことで、家康は自らの居城の設計を任せるほど、高虎を信頼していたことになる。

晩年は眼病のため失明寸前になったが、二条城の拡張や東照権現の造営にも尽力した。

1630(寛永7)年に75歳で没したが、病床につくまで第一線であり続けたのである。

 

 

藤堂高虎:侍は討ち死に仕り候が本儀ニ候 (ミネルヴァ日本評伝選)

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今すぐ誰かに話したくなる知的雑学【知識の泉】「"ゆびきりげんまん" の怖すぎる本当の意味」

 

知識の泉

今すぐ誰かに話したくなる知的雑学

 

 

「ゆびきりげんまん」の怖すぎる本当の意味

 

 

 

 

 

 

 

知識は力なり

 

 

かの有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコンは言った。

「知識は力なり」と。

この言葉には、読んで字の如く「知識は自身の力になる」という意味とは別に、「経験によって得た知識を、いかにして実践的に使用することができるのか」という意味も込められている。

雑学も同様だと思う。

実際には、生きていく上で何の役にも立たないと思われている、どうでもいい情報群。

それが雑学という分野といえるだろう。

しかし雑学で得た知識を、どのように使うのかは人それぞれ。

普段の話のネタに困っている人。

トーク力を上げたい人。

飲み会やデートなどで知識を披露したい人。

知識を吸収したいけどあれこれ調べるのが面倒な人。

そして、物事の本質や奥深さを知りたい人。

純粋に「なるほど!」と思いたい人まで。

当たり前に感じていたことも、角度を変えた視野からみることで、別の面があることに初めて気付かされる。

その知識を他人にひけらかすだけでなく、その知識をもとに、固定観念から解放され、世の中の見え方を変えようではないか。

さすれば、「知識は力なり」の言葉の意味を実感できるはずである。

 

 

 

「ゆびきりげんまん 嘘ついたら 針千本のーます」

 

 

子供の頃は小指同士を組み合わせ、このセリフと共によく約束したものだ。

しかしこの「ゆびきりげんまん」の由来は、とても怖いものだったということをご存知だろうか。

発祥は江戸時代にまで遡る。

当時の遊郭では、自分の意中の男性に対して特別な思いをしたためた、起請と呼ばれる手紙を渡したりしていた。

そして、さらに特別な思いを伝える際に用いられたのが、自分の小指を切り落として、異性に渡すという行為である。

これが「ゆびきり」、すなわち指切りの始まりだ。

映画やドラマなどで描かれる極道の世界でも、小指を落としてケジメをつけるのは、この指切りと同じで強い意志の表れだといわれている。

それでは「げんまん」とは何なのだろうか。

漢字では「拳万」と書く。

これは、握り拳で一万回殴ることを意味している。

つまり「ゆびきりげんまん」して、もし約束を破ってしまうと、「小指を切り落とし、一万回殴った後、針を千本飲まされる」ことになるのだ。

世のお父さん方、お子さんと「ゆびきりげんまん」した約束を、やれ仕事だ、やれ疲れたといって、簡単に破ったりはしてないだろうか。

軽い気持ちで約束したからといって、破っていいことにはならない。

交わした約束はしっかり守ろう。

 

 

ゆびきりげんまん (ジョイフルえほん傑作集 1)

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【歴史の闇に葬られた真実】仇の側室となり、天下人の母として咲き、戦国を終わらせた大坂城の華「淀殿」。

 

歴史の闇に葬られた真実

 

 

淀殿

 

 

 

 

 

 

 

歴史は勝者によってつくられる

 

 

我々がよく知る歴史の記述は、必ずしも客観的な事実の記録ではなく、勝者の視点や都合の良いように解釈・再構成されることが多い。

歴史は、過去の出来事を単に記録するだけでなく、その出来事をどのように解釈し、どのように伝えるかによって、人々の認識や価値観を形成する力を持つ。

そのため、勝者が自らの正当性や優位性を強調するために、歴史を都合よく書き換えることがあるのだ。

たとえば戦争や革命などの歴史的な出来事では、勝者が自らの行為を正当化し、敗者を悪として描くことで、自らの立場を強化しようとすることがある。

また、国家の成立や発展の過程でも、建国の英雄や偉人たちの物語を美化し、都合の悪い事実を隠蔽することがある。

このことから歴史の解釈や記述において、権力や支配者の影響がいかに大きいかがよくわかる。

だが歴史の解釈はひとつではない。

歴史を鵜呑みにしていいのか?

勝者の言い分は、本当に正しいのか?

教科書に書かれたことを疑うことで、初めてみえてくるものがある。

そのためには、敗者や弱者の視点から歴史を再考することが肝要だ。

歴史を多角的に捉え、様々な視点から検証することで、より客観的な歴史認識に近づくことができる。

 

 

 

勝者=善と単純に結びつけてしまう思考の危険性

 

 

特に中学・高校の日本史の教科書は政治史が中心で、必然的に勝者の歴史が描かれ、それが日本史の流れとして理解される。

勝った側が善とされ、敗者は悪とされることで、結果的に「正義は勝つ」と教え込まれる。

勝者が善で、敗者が悪という歴史観の極致が「征伐」という言葉である。

たとえば豊臣秀吉の天下一統の流れを追う時、無意識のうちに四国征伐九州征伐小田原征伐、さらに朝鮮征伐という言い方がされてきた。

これは敗者は悪とされ、悪人だったために、正義、すなわち勝者によって滅ぼされたという論理の組み立てで、勧善懲悪という考え方を深くすり込まれてきた。

そのせいで、現代日本人は多角的な考え方が苦手になってしまったように思えてならない。

勝者=善という決めつけは、思考の柔軟性を奪ってしまう。

敗者=悪という決めつけが、同調圧力を生み出す。

敗者にも成したことがあり、言い分だってあるのだ。

固定観念ほど怖いものはない。

歴史の闇に葬られた真実に目を向けることで、固定観念にとらわれない、柔軟な思考を手に入れる。

本稿がその一助になれば幸いだ。

 

 

 

戦国の世の終末に武将のように生きた女性

 

 

淀殿と呼ばれた豊臣秀吉の側室は、織田信長の妹であるお市の方が、浅井長政との間にもうけた三人姉妹の長女である。

本名は茶々。

大名家の姫君として、何の不自由もなく暮らしたように思える。

が、平穏な暮らしは短くして終わってしまう。

5歳の時、父・長政が信長に滅ぼされたことから、彼女の激動の人生が始まった。

落城を前に小谷城から救出されはしたものの、その後、お市の方が再嫁した柴田勝家の居城・北ノ庄城が羽柴秀吉に攻められると、母も養父も自害して果ててしまった。

わずか15年の人生で二度の落城を経験した彼女は、その悲しみに負けることなく立ち上がり、戦国を生きる強い女性に成長するのである。

そんな彼女を待っていたのが、秀吉の庇護下にあった時、彼女が何を思って母の死を招いた男性に身を任せる気になったかは、わからない。

しかし戦国の世を生き抜く覚悟をしたであろう彼女の選択は、間違ってなかったといえる。

何故なら側室として誰もなしえなかった、秀吉の子を生むという大事を成したからである。

鶴松を淀城で出産したことで、茶々から淀殿と呼ばれるようにもなった

最初の子である鶴松は早世したものの、さらに第二子である秀頼をもうけたことで、秀吉の正室である北政所に並ぶ地位を手に入れるまでになった。

跡継ぎの「おかかさま」としての名誉である。

ただ、淀殿の絶頂期は長くは続かなかった。

秀吉が世を去ると、豊臣家は次の天下を狙う徳川家康の標的となり、豊臣家及び秀頼を守ることに心を砕かねばならなくなったからだ。

大坂冬の陣から夏の陣にかけての時代を記録した史料をみると、その頃の淀殿の姿が浮かび上がってくる。

淀殿は、東国で征夷大将軍に収まっている家康は認めざるを得ないが、秀頼も関白となって何とか面目を保とうと、最後まで妥協の道を探っていたようだ。

しかし、家康の真意が豊臣家の滅亡にあることを悟ってからは、一転して自ら武装して大坂城内を見廻り、兵を鼓舞するなど、秀頼の後見というより、積極的に城主のような務めを果たしていたという。

その最期は、わずかな供に見守られて秀頼と共に自害で迎えた。

淀殿は、後年いわれているように、けっして息子可愛さのあまり意地を張り通した母親ではなく、戦国の世を武将のように生きた女性だったのである。

 

※.淀殿と呼ばれるようにもなった

生前に淀殿と呼ばれていたことを示す明確な史料はなく、「淀の方」などと呼ばれていたといわれているが、いずれも江戸時代以降の呼び名である。

 

 

淀殿:われ太閤の妻となりて (ミネルヴァ日本評伝選)

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【日本映画『スオミの話をしよう』】長澤まさみ、究極の七変化!俳優への全幅の信頼が三谷幸喜の新境地を開く。

 

日本映画

スオミの話をしよう

※本稿はネタバレを含みます。ご注意下さい。

 

 

長澤まさみ、究極の七変化!俳優への全幅の信頼が三谷幸喜の新境地を開く

 

 

 

 

 

 

 

日本映画『スオミの話をしよう』とは

 

 

脚本と監督三谷幸喜

5年ぶり待望の最新作にして最高傑作!

主演・長澤まさみ&超豪華キャストと贈る三谷ワールド全開のミステリー・コメディ!

 

2022年に放送されたNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で日本中の話題をさらった三谷幸喜氏。

国民的脚本家・演出家・映画監督として、これまで日本中にたくさんの笑いと感動を届けた三谷氏が、脚本と監督をつとめる待望の映画最新作スオミの話をしよう』

中井貴一氏が記憶喪失の総理大臣を演じ、興行収入36.4億円の大ヒットとなった前作『記憶にございません!』以来5年ぶり、映画監督作品としては9作目となる本作ももちろんオリジナル作品。

主人公<スオミ>を演じるのは、映画・ドラマ・舞台と多方面で活躍し、多彩な役柄を確かな演技力で演じ、数々の賞の受賞も果たしている、人気・実力ともに日本エンタメ界を代表するトップ俳優・長澤まさみさん。

三谷幸喜作品には、脚本を務めたTVドラマわが家の歴史(10年)に出演以降、三谷作・演出の舞台紫式部ダイアリー」で主演を務め、大河ドラマ真田丸』(16年)への出演や、『鎌倉殿の13人』(22年)では語りを務めるなど、三谷氏からの信頼は厚く、「いつか長澤さんと映画をやりたいと思っていた」と、本作への出演が実現。

長澤さんの三谷映画への出演は、今作が初めてとなる。

また、三谷映画で女性が主人公となるのは、深津絵里さんが主演を務め大ヒットを記録した『ステキな金縛り』(11年)以来。

物語の中で<スオミ>を愛した5人の男たちを演じるのは、西島秀俊氏、松坂桃李氏、遠藤憲一氏、小林隆氏、坂東彌十郎氏という日本エンタメ界きっての実力派俳優陣。

一癖も二癖もある男たちを 魅力たっぷりに演じる。

加えて、三谷氏が絶大な信頼を寄せる三谷作品常連の瀬戸康史氏と宮澤エマさん、NHK連続テレビ小説『虎に翼』(24年)の轟太一役で注目を集める戸塚純貴氏らが集結。

西島氏、松坂氏は三谷幸喜作品には初出演、戸塚氏も三谷演出作品には初出演となる。

撮影の約1か月前から監督と俳優陣によるリハーサルが入念に行われ、他の映画にはない三谷幸喜氏ならではのアプローチでユニークな人物像と世界感が作り上げられ、また、「最後まで楽しい映画にしたい」という三谷監督の想いから、舞台のカーテンコールを思わせる、メインキャスト陣全員が歌って踊る多幸感溢れるゴージャスなミュージカルシーンも誕生。

三谷脚本に息を吹き込む超豪華俳優陣による演技合戦と、三谷演出によって引き出される、俳優陣の新たな一面は必見!

観客の心を一瞬たりとも離さない、新たなる三谷エンターテインメント!!

 

制作:大多亮市川南

プロデューサー:玉井宏昌・石塚紘太

アンシェイトプロデューサー:石原隆

ラインプロデューサー:森賢正

撮影:山本英夫(J.S.C.)

照明:小野晃

録音:瀬川徹夫

美術:積木陽次

音楽:荻野清子

衣裳デザイン:宇都宮いく子

装飾:田村一徳

編集:松尾浩

スクリプター:山縣有希子

音響効果:倉橋静男

VFXスーパーバイザー:田中貴志

カラーグレーダー:齋藤精二

美術プロデュース:三竹寛典

アートコーディネート:杉山貴直

キャスティング:杉野剛助監督:是安祐

製作担肖:鍋島章浩

 

 

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あらすじ

 

 

その日、刑事が訪れたのは著名な詩人の豪邸。

スオミンが昨日から行方不明だという。

スオミとは詩人の妻で、そして刑事の元妻。

刑事は、すぐに正式な捜査を開始すべきだと主張するが詩人は「大ごとにするな」と言って聞かない。

やがて屋敷に続々と集まってくる、スオミの過去を知る男たち。

誰が一番スオミを愛していたのか。

誰が一番スオミに愛されていたのか。

スオミの安否そっちのけで、男たちは熱く語り合う。

だが不思議なことに、彼らの思い出の中のスオミは、見た目も、性格も、まるで別人…。

スオミはどこへ消えたのか。

スオミとは一体、何者なのか。

極上ミステリー・コメディの幕が上がる一!

 

 


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登場人物

 

 

スオミ

演 - 長澤まさみ

 

失踪した人妻。

 

 

草野圭吾

演 - 西島秀俊

 

4番目の夫。

かなり神経質な警察官。

 

 

寒川しずお

演 - 坂東彌十郎

 

5番目の夫。

身勝手な芸術家。

 

 

魚山大吉

演 - 遠藤憲一

 

1番目の夫。

血の気の多い庭師。

 

 

宇賀神 守

演 - 小林隆

 

3番目の夫。

情に厚い謷察官。

 

 

十勝左衛門

演 - 松坂桃李

 

2番目の夫。

怪しげなYouTuber。

 

 

小磯杜夫

演 - 瀬戸康史

 

草野の有能な部下。

 

 

乙骨直虎

演 - 戸塚純貴

 

寒川の世話係役。

 

 

演 - 宮澤エマ

 

神出鬼没な女。

 

 


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長澤まさみの、長澤まさみによる、長澤まさみのための映画

 

 

本作の魅力はなんといっても三谷幸喜監督ならではの「ワンシチュエーション・コメディ」の妙と、主演の長澤まさみさんが魅せる圧倒的な演技の幅に集約される。

一軒の豪邸を舞台に、スオミを愛した5人の男たちが集結して繰り広げられる丁々発止の軽快な会話劇は、三谷幸喜脚本ならではの魅力が存分に堪能できる。

近年はキャスティングの顔ぶれがまったく変わらない印象だった三谷幸喜作品だが、本作は少し違った。

常連の登場は最小限に抑え、西島秀俊氏、松坂桃李氏、遠藤憲一氏、小林隆氏、坂東彌十郎氏という、ほとんどが三谷作品初出演の俳優陣を(相変わらず)豪華にキャスティング

これがなかなか絶妙で、普段はシリアスな役が多い俳優陣が、三谷幸喜氏の演出によってコミカルで少し情けない男たちを全力で演じてくれている。

彼らがそれぞれの「自分だけが知っているスオミ」を主張し合う滑稽な姿は、まるで舞台演劇を観ているような臨場感。

これがなかなか見応えがあり、近頃はまったく感じられていなかった〈これぞ三谷作品!〉を存分に感じさせてくれる。

だが、そんか魅力もただの露払いでしかなかった。

本作最大の魅力は、なんといってもヒロイン・スオミを演じる長澤まさみさんの多才な演技である。

劇中一番の見せ場であろう、5人の元夫たちの回想に登場するスオミ

「おしとやかなお嬢様」「勝ち気な女性」「中国語を操る謎の女」など、それぞれ全く異なるキャラクターとして描かれたスオミを、コロコロと、まるで名人が噺す落語のように見事に演じ分ける長澤まさみさん。

1人の俳優がこれほどまでに異なる人格を演じ分ける鮮やかさは、圧巻と言う他ない。

このシーンを観てしまうと、本作は長澤まさみさん無しでは成立しないとさえ思えてくる。

事実、きっとそうなのだろう。

三谷幸喜氏の長澤まさみさんへの全幅の信頼が感じられる、まるで当て書きしたような脚本。

本作は、"長澤まさみの魅力を堪能するための映画" だとしか思えない。

そしてその目論み通り、"長澤まさみの魅力を堪能できる映画" だと断言できる。

正直、近年の三谷幸喜作品のマンネリ化は酷いものだった。

同じような脚本と、変わらないキャストに、少しウンザリしていた。

が、本作では久しぶりに面白い三谷幸喜脚本を観られた気がする。

三谷幸喜氏が長澤まさみさんという稀代のコメディエンヌに「君ならここまで振り切れるはずだ」と挑戦状を叩きつけ、長澤さんがそれを見事に打ち返した本作。

気になる人は、是非。

ちなみに ヒロインの名前「スオミ」の由来は、三谷幸喜氏が自宅で洋画のBlu-rayを鑑賞していた際の、偶然の出来事にあるという。

設定画面の言語(字幕)選択のリストの中に「suomi(スオミ)」という表記を見つけたことがきっかけとなり、その響きの可愛らしさに強く惹かれ「いつか自分の作品のヒロインにこの名前をつけたい」と心に決めていたらしい。

劇中でも明かされているが「スオミ(Suomi)」とは、フィンランド語で「フィンランド」または「フィンランド語」を意味する言葉で、フィンランド人は自国のことを「スオミ」と呼び、その由来は「湖沼の国」にあるとされている。

劇中では、掴みどころがなく、接する相手(夫たち)によって全く異なる顔を見せるミステリアスなヒロインの象徴として、この独特な響きを持つ名前が採用された。

この縁(なのか?)もあって、本作はフィンランドヘルシンキ国際映画祭でも特別招待上映され、三谷幸喜氏自身も現地を訪れている。

 

 


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【劇場アニメ『ひゃくえむ。』】「あなたは何に人生の10秒を懸けますか?」100m走を哲学する衝撃の異色スポーツアニメ。

 

劇場アニメ

ひゃくえむ。

※本稿はネタバレを含みます。ご注意下さい。

 

 

「あなたは何に人生の10秒を懸けますか?」100m走を哲学する衝撃の異色スポーツアニメ

 

 

 

 

 

 

 

劇場アニメ『ひゃくえむ。』とは

 

 

作家・魚豊「チ。―地球の運動について―」の〈原点〉が劇場アニメ化

 

「チ。―地球の運動について―」で、手塚治虫文化賞マンガ大賞最年少受賞ほか、数々の賞を席巻する魚豊先生の連載デビュー作『ひゃくえむ。』(講談社刊)。

「心が熱くなる」「スポーツ漫画で感じたことない感覚」と多くの共感と驚きを呼び、完結後も熱狂的な人気を集める。

監督は長編1作目の『音楽』で「アニメ界のアカデミー賞」と名高い米アニー賞ノミネートをはじめ、国内外の多数の映画賞で高い評価を受ける気鋭のクリエーター・岩井澤健治氏。

主題歌を担当するOfficial髭男dismは、メンバーが原作に感銘を受けたことからコラボレーションが実現し、最大の熱量で作品を彩る。

声の出演には、生まれつき足の速い "才能型" のトガシを松坂桃李氏、トガシとの出会いから、100m走にのめり込んでいく "努力型" の小宮を染谷将太氏と実力派キャストがキャラクターに命を吹き込む。

豪華キャストとスタッフによる、今年一番の興奮がトップスピードでスクリーンを駆け抜ける!

 

陸上100m。

一瞬の煌めきにすべてを懸けた、情熱と狂気の物語。

 

監督:岩井澤健治

脚本:むとうやすゆき

キャラクターデザイン・総作画監督:小嶋慶祐

音楽:堤博明

アニメーション制作:ロックンロール・マウンテン

 

 

原作:『ひゃくえむ。』(講談社「マガジンポケット」所載)

 

陸上100メートル走を主題にしたスポーツ漫画であり、著者である魚豊のデビュー作である。

ウェブコミック配信サイト「マガジンポケット」(講談社)にて、2018年11月6日から2019年8月6日まで連載された。

100mという短い距離に、人生を込めて走る者たちの狂気にも等しい情熱を描いた作品であり「友情・努力・勝利」といった少年マンガのセオリーを超え、より哲学的な領域に踏み込んだ作風が特徴である。

連載当初はPV数が伸び悩み、単行本化も危ぶまれていたが、熱心なファンたちの応援によって徐々に人気を獲得し、無事物理書籍が刊行された。

 

 

ひゃくえむ。新装版 上 (マガジンポケットコミックス)

ひゃくえむ。新装版 上 (マガジンポケットコミックス)

 

 

ひゃくえむ。新装版 下 (マガジンポケットコミックス)

ひゃくえむ。新装版 下 (マガジンポケットコミックス)

 

 

 

あらすじ

 

 

生まれつき足が速く、「友達」も「居場所」も手に入れてきたトガシと、辛い現実を忘れるため、ただがむしゃらに走っていた転校生の小宮。

トガシは、そんな小宮に速く走る方法を教え、放課後2 人で練習を重ねる。

打ち込むものを見つけ、貪欲に記録を追うようになる小宮。

次第に2人は100m走を通して、ライバルとも親友ともいえる関係になっていった。

数年後、天才スプリンターとして名を馳せるも、勝ち続けなければいけない恐怖に怯えるトガシの前に トップスプリンターの一人となった小宮が現れる――。

 

 


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登場人物

 

 

トガシ

CV:松坂桃李・種﨑敦美(幼少期)

 

小6当時100m走で全国1位の天才スプリンター。

早く走ること以外に取り柄を持たず、敗北も高揚も興奮も知らない少年。

沈着冷静で理性的な性格をしているが、心の奥底には理不尽に立ち向かう勇気と他者に手を差し伸べる優しさ、そして狂おしいほどの闘争心を秘めている。

 

 

小宮

CV:染谷将太悠木碧(幼少期)

 

転校生。

ネガティブないじめられっ子。

トガシと出会って100mの価値と権力を知る。

トガシの指導によってメキメキと成長するが、同時に100m走の世界に狂気じみた執着を抱くようになる。

 

 

仁神タケル

CV:笠間淳

 

元陸上日本代表の息子でトガシ達の二つ上の先輩。

14歳の時に最年少記録を更新した。

しかし、その後は伸び悩み、ある事件をきっかけに人生が一転してしまう。

 

 

財津

CV:内山昂輝

 

日本100m界の絶対王者

非常にシンプルで割り切った思考回路の持ち主であり、どこか冷めた人物。

だが、内心では自分と並び走れる様な猛者を待ち望んでいる。

 

 

海棠

CV:津田健次郎

 

財津を追い続けるベテラン陸上選手。

財津の登場によって15年も万年二位の地位に甘んじているが、決して挫けず挑戦を諦めない不屈の闘志の持ち主。

 

 


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主題歌

 

 

 

競争のなかでの葛藤やアイデンティティなど、胸に刺さる書き下ろしの歌詞が印象的な疾走感あふれるナンバー。

Official髭男dismは「世の中は、絶対に敵わない相手やら、絶対に邪魔して来る自分やら、強敵に満ち溢れています。でもそれらに納得せず、慣れもせず、「絶対」に抗い奮闘する全ての人への賛歌としても、この歌を作りました」と楽曲に込めた思いを明かしている。

 

 


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「100m、約10秒」を哲学する異色のスポーツアニメ

 

 

主人公のトガシ(才能型)と小宮(努力型)という対照的な2人を通じ、「天才対秀才」という、比較的単純な構図で描かれる本作。

だが、内容はそれほど単純ではない。

100m走という、あまりにシンプルな競技イメージと反して、複雑で深い人生観が実に哲学的に描かれている。

それは物語冒頭で発せられる、トガシのこの言葉に集約されていたように思う。

 

100mだけ誰よりも速ければ

全部、解決する

 

要するに、結果至上主義である。

「100m世界一」という圧倒的な才能は、社会通念上の「凡人のルール」を一時的に無効化し、特別な待遇や寛容さを引き出す力を持っている。

何であれ、世界最高レベルの特出した才能や実績は、通常であれば許容されないような「凡ミス」や「人間的な欠点」を覆い隠し、周囲から大目に見られる材料になり得るのである。

たとえそれが学校やクラスといった極小さなコミュニティ内であったとしても、この理屈が変わることはない。

大抵のことは、100mだけ誰よりも速ければ全部、解決する。

この言葉を礎にして紡がれていく物語は、従来のスポーツものと明らかに異なっていた。

如何にして、誰よりも速く100mを走り切るか。

10秒に人生を懸けるアスリートの姿。

そこには我々がスポーツものでよくみる、努力や根性を超越したものがあった。

とはいえありがちな努力や根性も、もちろん描かれている。

だが、さほど掘り下げられてはいない。

まるで、第一線で戦うアスリートにとっては努力や根性など至極当たり前のことである、と本作はいっているようである。

それでも登場人物たちが才能の有無に苦悩する姿は、いくらか描かれている。

が、あくまでそれは身体的な才能の差であって、才能さえあれば勝てるというわけでもないらしい。

特に終盤の描写に才能の差などなかったように感じる。

常にトップレベルで走るアスリートたちには才能の差などさほどなく、最後に勝敗を分つ要因は他にある。

それは気持ち。

最後は、誰よりも強い気持ちを持ったアスリートが勝つ。

結局は努力や根性といった精神論のようであるが、まさしくその通りである。

ただし、その気持ちはスポ根アニメにありがちな努力や根性といった生半可なものではない。

「100m、約10秒」という極限の短時間に人生のすべてを凝縮させるほどの圧倒的な覚悟。

そのたった10秒に人生のすべてを懸けられるのか?

それは自分自身との極限の闘い。

すなわち、究極の内省である。

これが本作を、〈100m走を哲学で描く異色のスポーツアニメ〉と評する所以である。

いくら陸上の花形とはいえ、ただ走るだけの100m走をテーマにしたこと。

そしてそこに哲学を絡ませたことは、さすが「チ。―地球の運動について―」の魚豊先生と言わざるを得ない。

アニメ化にあたり、松坂桃李氏がトガシ、染谷将太氏が小宮の声をそれぞれ演じていることにも注目だ。

実力派俳優と評される二人だけあって、本職と比べても何ら遜色はない演技をみせている。

ただ内山昂輝氏、津田健次郎氏、高橋李依さん、種﨑敦美さん、悠木碧さんといった超一流どころとの共演となると、さすがの実力派俳優もいささか分が悪かった。

あまりに豪華な声優陣を共演に迎えてしまったことが、逆に二人のわずかな辿々しさを際立たせてしまったようにも感じた。

が、それでもよく渡り合っていたと思う。

少なくとも、実力派俳優としての面目躍如を果たしていたのはさすが。

いわゆるスポ根アニメとは一線を画す本作。

映像美もリアリティも、他作品とはひと味違う。

実写映像をトレースする「ロトスコープ」技法を採用した作画は、"動く身体" そのものを雄弁に物語っていたし、レースを盛り上げる演出にも目を見張るものがあった。

単なるスポーツアニメの枠を超えた劇場アニメ『ひゃくえむ。』

気になる人は、是非。

 

 

【チラシつき 映画パンフレット】 劇場版 ひゃくえむ。 100M パンフ 劇場用パンフレット 公式パンフレット 監督 岩井澤健治 出演 声の出演:松坂桃李、染谷将太、笠間淳

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【歴史の闇に葬られた真実】頑固なまでの忍耐で元和偃武の泰平を築いた、戦国最後の勝者「徳川家康」。

 

歴史の闇に葬られた真実

 

 

徳川家康

 

 

 

 

 

 

 

歴史は勝者によってつくられる

 

 

我々がよく知る歴史の記述は、必ずしも客観的な事実の記録ではなく、勝者の視点や都合の良いように解釈・再構成されることが多い。

歴史は、過去の出来事を単に記録するだけでなく、その出来事をどのように解釈し、どのように伝えるかによって、人々の認識や価値観を形成する力を持つ。

そのため、勝者が自らの正当性や優位性を強調するために、歴史を都合よく書き換えることがあるのだ。

たとえば戦争や革命などの歴史的な出来事では、勝者が自らの行為を正当化し、敗者を悪として描くことで、自らの立場を強化しようとすることがある。

また、国家の成立や発展の過程でも、建国の英雄や偉人たちの物語を美化し、都合の悪い事実を隠蔽することがある。

このことから歴史の解釈や記述において、権力や支配者の影響がいかに大きいかがよくわかる。

だが歴史の解釈はひとつではない。

歴史を鵜呑みにしていいのか?

勝者の言い分は、本当に正しいのか?

教科書に書かれたことを疑うことで、初めてみえてくるものがある。

そのためには、敗者や弱者の視点から歴史を再考することが肝要だ。

歴史を多角的に捉え、様々な視点から検証することで、より客観的な歴史認識に近づくことができる。

 

 

 

勝者=善と単純に結びつけてしまう思考の危険性

 

 

特に中学・高校の日本史の教科書は政治史が中心で、必然的に勝者の歴史が描かれ、それが日本史の流れとして理解される。

勝った側が善とされ、敗者は悪とされることで、結果的に「正義は勝つ」と教え込まれる。

勝者が善で、敗者が悪という歴史観の極致が「征伐」という言葉である。

たとえば豊臣秀吉の天下一統の流れを追う時、無意識のうちに四国征伐九州征伐小田原征伐、さらに朝鮮征伐という言い方がされてきた。

これは敗者は悪とされ、悪人だったために、正義、すなわち勝者によって滅ぼされたという論理の組み立てで、勧善懲悪という考え方を深くすり込まれてきた。

そのせいで、現代日本人は多角的な考え方が苦手になってしまったように思えてならない。

勝者=善という決めつけは、思考の柔軟性を奪ってしまう。

敗者=悪という決めつけが、同調圧力を生み出す。

敗者にも成したことがあり、言い分だってあるのだ。

固定観念ほど怖いものはない。

歴史の闇に葬られた真実に目を向けることで、固定観念にとらわれない、柔軟な思考を手に入れる。

本稿がその一助になれば幸いだ。

 

 

 

闘争心が強く、妥協を知らず、血の気の多い頑固者

 

 

徳川家康の人物像は、普通、

「啼かぬなら啼くまで待とうホトトギス

の諷歌によって示される。

"殺してしまえ" (信長)でもなく、"啼かしてみしょう" (秀吉)でもなく、ひたすら忍従する【待ちの人】のように思われる。

が、実情は違う。

恐ろしく闘争心が強く、容易に妥協しない。

誰よりも好戦的、反抗的で、一口にいって喧嘩好きな男である。

その気持ちは幼い頃から現れている。

今川義元のもとで人質になっていた10歳の正月だという。

今川家の家臣たちが続々年賀に登城してきた。

見ると、殿中にぽつんと一人の少年が座っている。

人々は少年を指差し、「あれが例の厄介者だ」などと話し合っていた。

人質時代の少年家康は、1000石ばかりの扶持を支給されていたが、従者が多く、内証が苦しかった。

別れた生母から、時折衣服や魚介類が送られてくるのが大助かり、という風で、俗に【駿府の厄介者】と蔑まれていたのである。

すると少年家康は、つと席を立って縁側へ行き、袴を捲って庭に放尿した。

10歳ともなれば、行儀知らずとはいえない。

人が蔑み、噂するのに、ムラムラと反発心を起こしたに違いない。

口下手(家康は殊にそうだった)の子供に出来ることといえば、泣くか、放尿するかぐらいだが、家康は殿中で衆人環視の中、放尿してみせたのである。

その家康が三河へ帰り、自立して間もなく、〈三河一向一揆〉が起こる、

実は起こったのではなく、家康が起こしたのである。

だいたい、一向一揆は中世が生んだ怪物というべく、守護を滅ぼし、"百姓の持ちたる国" を出現させた加賀など、本願寺から派遣された坊官以下、有力寺院、国人・土豪がいて、政・教・軍一致の統治を行った。

門徒勢力の強いところは、皆そのような図式になり、領主に反抗した。

上下の関係ばかりではない。

横の連絡、結合があり、全国にわたる構成になっている。

とても一領主が対抗出来るものではない。

領主たちはだから、縁を結び、寄進などして、妥協、懐柔し、その勢力を利用するほかなかった。

今日の宗教政党に対する妥協手段をみれば、およそ想像できるだろう。

しかし三河平定を目指す家康は、妥協せず対決の道を進んだ。

一向宗寺院から米を徴発したのが発端だが、承知していて騒乱を挑発したのである。

これはしかし、危険な賭けだった。

家臣団が分裂し、旧勢力が蜂起した。

そんな中で、家康は自ら槍を振い、悪戦苦闘の末、平定に成功する。

あの信長でさえ一向一揆には大いに手こずり、鎮定に10年もかかっている。

それも和睦という体裁をとらればならなかった。

だが家康は挑発して戦い、勝った。

この期、一向一揆を打倒したのは、家康ばかりである。

武田信玄軍と戦って大敗した〈三方ヶ原の戦い〉がある。

この時、信玄は何も家康の居城浜松を攻めにきたのではなく、目的は西上にあった。

同盟者である信長は信玄西上の報を聞くと緊張し、多少の援軍を寄越しながらも、進んで戦ってはならぬと厳命してきた。

信長はかねて武田軍の勇猛さを怖れていた。

戦いなら兵站線の延び切ったところで迎撃するつもりだったのだろう。

が、武田軍が三方ヶ原を通過するのを知った家康は、

「我が枕の上を踏み越され、黙過するは武門の恥辱なり」

といって出撃し、かつ惨敗する。

自分も命からがら帰城したが、鞍壺に糞を垂れ、

「殿は刹那糞を垂れなされた」

と揶揄される有様だった。

人はこの戦いを、家康生涯のうち、ただ一度の無謀だと評するが、そうではない。

勝敗にかかわらず、戦うべき時に戦う激しさは、家康生得のものである。

秀吉との〈小牧・長久手の戦い〉もそうだった。

時に秀吉は、山崎合戦で怨敵・明智光秀を討ち、ついで政敵・柴田勝家を賤ヶ岳で葬り、誰が見ても "天下人" の座を占めつつある得意の時期である。

不安と不満を抱いた信長の遺児・信雄は、家康に援助を求めてきた。

政情がこのような時、秀吉と戦うことの利害得失は、よほどの考慮と決断を必要とする。

所詮、進むべきか退くべきだが、家康は進む方を取る男だった。

名分は信長の遺児を立てることにあるが、それはたぶんきっかけにすぎない。

成り上がって天下人ヅラする秀吉や、屈服する多くの大名衆を、黙って見過ごすわけにはいかなかったのである。

戦いはしかも、突出した池田恒興らを討って、貴重な得点をあげる。

必ずしも勝利を得たわけではないが、強烈なカウンターブローとなって、じわじわと利いてきて、終生秀吉に遠慮せしめる強味となった。

戦いそのものは、秀吉・信雄の講和により名目を失った家康が、二子・於義丸(秀康)を養子(実態は人質)に出し、和睦して終わる。

さて秀吉は、家康の懐柔に大童である。

それは上洛して、秀吉に臣従の姿を見せることだったが、家康は断った。

秀吉はさらに強く上洛を促し、聞かねば於義丸を殺す、といった。

対して家康は、いったん養子に出したものだから、生かすも殺すもご勝手に、とすげない。

そこで秀吉は、妹・朝日姫を家康の正室に送り込む。

朝日姫は佐治日向守という者の妻だったが、それをわざわざ離別させたものである。

その花嫁は、家康より一つ下の44歳だった。

だが家康は貰うだけ貰い、しかし依然として上洛しなかった。

秀吉はさらに、朝日姫の見舞いと称して、今度は母親を送り込んだ。

人質のつもりである。

このあたり、涙ぐましいばかりの秀吉の努力と、家康の容易に屈しない頑固さとのやり取りに終始したわけだが、結果はどちらが勝ったともいえない。

秀吉にすれば、家康に忠義を尽くすことを表明させたのだから、成功と思ったに違いない。

対して家康は、秀吉政権下に入ったのだが、これは、

ー 現政府に尽くす者は、次代の政府を握る ー

という、今日的認識に通ずる。

つまり家康は、ポスト秀吉の位置を占めたことを意味し、事実そうなるのである。

関ヶ原の戦い〉を、俗に "天下分け目" というが、分けるべき相手がいたわけではない。

事実の敵の大将は石田三成だったが、仮に西軍が勝ったとして、三成は天下人になれる人物ではない。

では何かといえば、家康に敵対する勢力の一掃にあった。

が、その必要があったかどうか。

すでに着々と政略が進んでおり、それこそ熟柿の落ちるように、天下は定まったはずである。

家康はしかし、待ちはしなかった。

三成の旗揚げを予想しながら、会津攻めに向かった。

兵法でいえば、隙を見せ、誘い込む戦法である。

下手すれば、見せた隙が本当の隙にならないとも限らない。

所詮、賭けである。

事実、逆転の機会がいくらもあった。

が、家康は仕掛けた。

妥協を排し、敵対勢力をひとまとめにして撃つ、積極戦術である。

そして勝つ。

〈大坂の役〉で豊臣家を潰したのも、やはり家康の仕掛けである。

天下の収まったこの時、寡婦と彼の孫娘が嫁ぐ若者を、攻め殺す必要があったかどうか。

巨大な邪魔者を抹殺しておくというのは当然であり、誰でも考えつく。

が、誰も出来ない。

家康だけが出来た。

それが善いか悪いか、好きか嫌いかは、自ずから別問題である。

重ねていうが、家康は "待ちの人" ではない。

忍耐しても、忍従はしない。

非情で強情不屈、大胆不敵の男である。

戦国の武将ならそうあって当然だと思うかもしれないが、出来た人物だけが大を成した。

極端な例かもしれないが、今川氏真は弔い合戦をするどころか、親・義元を討った信長の前で得意の蹴鞠を披露してみせた。

今川家滅亡は当然である。

中国十ヵ国を領した大大名・毛利輝元にしたところがそうで、関ヶ原戦では総帥に立てられて大坂城に入り、しかし何もしなかった。

防長二国の一大名に貶められたのはやむを得ない。

問題はしかし、家康ないし一流武将が、武将だから戦ったわけではない。

ドイツの戦術家・クラウゼウィッツによれば、

「戦時における政治とは戦争であり、平時における戦争とは政治である」

ということになる。

家康ないし一流武将が、戦うべき時に戦ったのは、ようするに戦時における政治で戦ったのである。

だから功名を残した。

今日の政治家には、平時の戦争を命懸けで戦ってもらわねばならない。

そうでなかったら、消滅してもらうほかはない。

 

 

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