このシリーズもこれで最後。
読んでくれてありがとう。
千利休は堺衆のひとりで元々は商人であり茶人。
信長に重用され茶湯政道を確立した頃に茶頭としてその頭角を表す。
信長が本能寺の変で斃れると天下人となった秀吉に仕えるようになる。
信長と同様秀吉にも重用された。
「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)」と言われるほど豊臣政権下で影響力を強めてゆく。
茶頭であるが政治顧問のようなポジションであったと思われる。
そして天下人となった豊臣秀吉の手には天下三肩衝が揃っていた。
信長の政治方針を引き継いだ秀吉は信長同様茶湯を推奨する。
しかし秀吉と利休の茶湯に対する考え方は相反するものだった。
派手好きの秀吉に対して侘び寂びを好む利休。
対立は茶器にも及ぶ。
唐物と呼ばれる陶磁器を特にもてはやす秀吉。
唐物ばかりが重宝される風潮に異を唱える利休。
秀吉が何故それほど唐物を重宝したかというと、この頃日本に陶磁器を焼く技術がなかった。
おのずと陶磁器はすべて輸入品になる。
色彩豊かで秀吉好みな上に貴重だったのだ。
高貴なものが大好きな秀吉らしい。
ちなみに余談だが、秀吉の政策に悪名高い朝鮮出兵がある。
豊臣政権に大損失を与えその屋台骨を揺るがしたと言われているが、トータルで見ると実はプラス収支で終わっている。
朝鮮出兵で戦況は膠着していたが補給の都合上、日本側に不利になっていた。
秀吉は頭を抱える。
朝鮮であてにしていた褒美にする土地がこのままでは手に入らない。
その時現地スタッフ(小西行長かな?)から報告が入る。
王墓を掘り起こしてみたら貴重な陶磁器がワラワラと出土したという。
秀吉は狂喜乱舞した。
唐物の陶磁器なら有価証券化して、土地の代わりに褒美として家臣に与えられる。
掠奪を禁止していたはずの秀吉から命令が飛ぶ。
掘れ、奪え、かき集めろ、と檄が飛ぶ。
結果、王墓は軒並み掘り起こされごっそり掠奪されることになる。
それだけでは飽き足らず、窯元を襲って職人までごっそり拉致してきてしまった。
拉致された職人の数は膨大で、本場韓国の陶磁器が一時期衰退するほどだったという。
ほどなくして日本で国産の陶磁器が作られるようになった。
転んでもただでは起きない秀吉の執念には恐れ入る。
以上のことを鑑みると朝鮮出兵はトータルでプラス収支なのだ。
余談が長すぎた…
話を戻そう。
さて、唐物ばかりをもてはやす秀吉を他所目に、利休は陶工・長次郎と共に国産茶器に力を入れ出した。
ようやく完全した国産茶器のあまりの出来の良さに利休はさぞや喜んだことだろう。
唐物至上主義の秀吉にこの良さがわかるのか。
いや、そもそも本物の価値もわからぬ秀吉に…
秀吉の茶頭という地位にいれば、いかな天下三肩衝といえど、利休が直接触れられる機会もあったことだろう。
形・色・大きさ、楢柴肩衝がどういうものなのか利休にはわかる。
そして利休には名陶工の長次郎がいる。
利休はついつい試してみたくなったのではないか。
秀吉が後生大事にしている楢柴肩衝を、すり替えてみたくなったのではないか。
もし秀吉がそれに気付かなければ国産茶器の未来は明るい。
そして利休は本当に実行してしまったのではないか。
楢柴肩衝を愛おしそうに眺める秀吉をみて利休はどう思っただろう…
バレないうちに元に戻せば良かったが、その前に秀吉にバレてしまった。
利休の切腹に至る経緯には秀吉の激情が感じられる。
いわゆるブチギレた感じだ。
たかだか利休像の下を通らされた程度でのキレっぷりではない。
秀吉は当時の最高権力者だ。
それはすべてに対しての最高権力者で、茶湯も例外ではない。
鋭敏な秀吉が、嬉しそうに楢柴肩衝を眺める己を見た利休の心中を察したとしたら…
真相は謎である。
謎ではあるが、それでは何故、江戸城宝物庫の天下三肩衝のうち楢柴肩衝だけが忽然と姿を消したのだろう。
何故、楢柴肩衝紛失が大事件にならなかったのだろう。
紛失した楢柴肩衝は本当に本物だったのか……
ただの偶然か、はたまたただの思い過ごしか。
著者にはどうしてもこれで辻褄が合ってしまうのだが…
真相は謎である。
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