【開会式】
— NHKスポーツ (@nhk_sports) 2021年7月23日
競技をイメージした絵文字 #ピクトグラム
1964年の東京大会で初めて使われました
今大会は #動くピクトグラム です
NHK総合テレビで放送中!
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個人的には面白かったし、テンションも上がった。
しかし一部からはやれ既視感だの、ただのパントマイムだのと批判されたようだ。
ひとえに既視感と言うが、今まで誰も見たことがない完全オリジナルのものというのは、この世にいかほどあるのだろう。
既視感と言うからには、どこかでオリジナルと出会ったことがあるということなのか。
ずっと疑問に思っていた。
そもそもオリジナルの定義とは何だ?
完全にオリジナルと呼べるものが、この世にどれだけあるのか。
オリジナルとレプリカの境界線はどこで線引きされるのだろう?
映画でも音楽でも制作者は誰だって何かしらの影響を受けている。
何かに影響を受けているなら、それはもうレプリカなのか?
だったらどれだけ人類史を遡れば完全なオリジナルに辿り着けるのだろう?
音楽で例えるなら、バッハやモーツァルトまで遡れば完全なるオリジナルと呼べるのか?
著者が敬愛してやまない、かのApple創業者・スティーブ・ジョブズ氏は革新者だった。
革新的な発想で夢のような想像を現実のものにしてきた。
では iPodはオリジナルか?
iPhoneは?
iPadは?
すべてが斬新で新しいものに見えた。
ではスティーブ・ジョブズ氏がまったくの無からこれらを創造したかというと、厳密に言えばちょっと違う。
これらを形成するひとつひとつの技術は、実はほとんどが既存の技術だ。
まぁ、そもそもiPhoneは電話だしApple Watchは時計だ。
だが、ただの電話や時計ではなかった。
いつもの既存の点を結びつけてスティーブ・ジョブズ氏は革新を起こした。
電話は電話でもまったく新しい電話を創った。
この "コロンブスの卵" のような自由で柔軟な発想こそ、オリジナルと呼べるのではないか。
件の動くピクトグラムも古来から伝わるパントマイムを自由で柔軟な発想で新しいものへと進化させた。
完全にオリジナルとは呼べないかもしれないが、パントマイムをひとつ前へ進めた革新的な演出だったのではないだろうか。
少なくとも評価に値すると思う。
それは東京五輪の開会式後、これほどの影響を与えているのが何よりの証拠ではないだろうか。
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