閉会式の感想は、素晴らしいの一言。
きっとやれ日本らしくないとか批判する人もいるんだろうが、著者は素敵で素晴らしい閉会式だったと思う。
国だとか、人種だとか、主義だとか、主張だとか、子供とか大人だとか、そういうつまらないこだわりをすべて取っ払ったような演出が胸を打った。
日本らしさにこだわる必要はない。
たぶんこれがこれからのワールド・スタンダードになるような気がする。
これからの未来へ、明日へ繋ぐような、そんな希望の印象を受けた。
正直、風の時代に突入したなんて周りに言われても、そんなスピリチュアルな話はあまり信じていなかった。
だが、感覚的にではあるが新しい時代の幕開けを感じさせる良い開会式だったと思う。
改めてパラリンピックをまじまじ観てみて考える。
ずーっと考えていたことの答えを探す。
世界全人口の15%は何らかの障害を負っているらしい。
差別や偏見やバリアが無くなれば、もちろんいいに決まっている。
わかってはいる。
わかってはいるけれど、では例えば障害を負った人を気遣ったらそれは偏見になるの?
席を譲る、移動の手助けをする、もっと言えば障害を負っている人と表現すること自体が差別にはならないの?
もちろん好奇の目に晒すことはない。
憐れみの目で見ることもない。
だが、障害を持つ人が横断歩道を渡る時だとか、階段の登り降りだとか、見ていてハラハラしたり大丈夫かなー?と思うことは、たぶんどうしてもある。
どうしても思ってしまう。
おそらく聖者か賢者でもない限り、完全にフラットな目で見ることは叶わないのではないだろうか。
詭弁や綺麗事を言うつもりはない。
偏見を無くそうと思えば思うほど、偏見に凝り固まっている証拠ではないか。
だから細かいことは気にしないことにする。
偽善者と思うなら、そう思ってくれて構わない。
実際、著者自身が偽善者だと思っているし。
著者は聖者でもなければ賢者でもない。
ただの俗物だ。
だがたとえ偽善と言われようと、やらないよりはやった方がマシだと思う。
もしそれを偽善と感じ嫌がられるのなら、その時はまた考えよう。
詭弁や綺麗事だけでは、世界が回らないのは紛れもない事実。
しかし少なくとも好奇心や憐れみという偏見だけは無くせるはずだから。
たぶん、そうやって世界は少しずつ前に進んでいくのだろう。
そんな変革への希望を感じさせるパラリンピック閉会式だった。
余談だが、開会式・閉会式ではすっかりお馴染みの偉い人の長すぎるスピーチ。
国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長の演説はバッハ会長のそれより数倍短かったww
興味があったので思わず計測してみたよ。
なんと5分台ww
バッハ会長はたしかおよそ13分だったから、半分以下だ。
しかも開催国・日本への感謝の言葉に溢れた名スピーチだったと思う。
オリンピック関係者は名演説者揃いらしい。
バッハ会長も、名演説者には違いないんだけどなぁ…
良い大会だった。
五輪、パラ五輪選手の皆さん。
お疲れ様でした、ありがとう。
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