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突然のブチ切れ?【歴史の謎にせまる三部作】千利休を切腹へと追いやった大名物茶器・楢柴肩衝。 ー第三部・豊臣秀吉編ー

 

 

 

 

天下三肩衝を初めてすべて手にした豊臣秀吉

 

織田信長垂涎の的だった天下三肩衝を、初めてすべて手にしたのは豊臣秀吉だった。

天下三肩衝をすべて手に入れた者が天下を獲るとまで言われていたが、事実そうなったわけである。

 

✔️新田肩衝

天正10年(1582年)の本能寺の変によって信長が横死すると、新田肩衝は初花肩衝と共に行方知れずとなる。

しかしその後何故か九州の大名・大友宗麟が所有している。

どうしてそうなったのかは不明だ。

変の混乱に紛れて誰かが持ち去ったのだろうか?

何はともあれ新田肩衝大友宗麟の手に渡る。

その頃の大友宗麟は九州の覇権をめぐり島津家と争っていたが、戦況は芳しくなかった。

劣勢は明らかだ。

そこで大友宗麟は新田肩衝を差し出して、中央の覇者・豊臣秀吉に援軍を請う。

大友宗麟からの献上によって、新田肩衝は秀吉の手に渡ることになる。

 

✔️初花肩衝

天正10年(1582年)の本能寺の変で信長・信忠父子が横死すると初花肩衝と新田肩衝は共に行方知れずとなる。

その後、松平親宅が入手して徳川家康に献上されたといわれている。

信長亡き後、織田家家中で起こった権力争いで豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)は筆頭家老・柴田勝家を賤ヶ岳で破る。

機を見るに敏な家康はこの報をうけ、戦勝祝いとして初花肩衝を秀吉に送り、この時点では敵意がないことを証明する。

初花肩衝は、家康から譲り受けたことによって秀吉の手に渡ることになる。

 

✔️楢柴肩衝

天正10年(1582年)の本能寺の変時点で、楢柴肩衝を所有していたのは博多の豪商・島井宗室だった。

変の混乱で宗室も危うく命を落としかけるが、なんとか無事博多へ戻ることができた。

しかし安心したのも束の間。

今度は新田肩衝を所有していた大名・大友宗麟から、どうしても楢柴肩衝を譲ってほしいと懇願される。

しかし宗室は頑として首を縦に振らなかった。

島津家の台頭で大友家が衰退すると、今度は島津家と結んだ秋月種実が博多へと侵攻してきた。

武力を背景に宗室は脅され、やむ無く種実に楢柴肩衝を差し出す羽目になる。

大名物茶器・楢柴肩衝を手に入れた秋月種実だが、運悪くというべきか、この頃ちょうど豊臣秀吉による九州征伐が始まっていた。

しかも秋月種実は身の程知らずにも、秀吉に対して徹底抗戦を挑む。

だが、やはり衆寡敵せず。

20万近い秀吉軍の前になす術もなく、秋月種実は秀吉に降伏する。

そして助命の条件として楢柴肩衝を差し出すことになった。

こうして楢柴肩衝は秀吉の手に渡ることになっる。

 

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高台寺所蔵》

 

 

 

 

 

「内々の儀は宗易、公儀の事は宰相」

常に時の権力者に仕えた茶人・千利休

 

千利休は堺衆のひとりで元々は商人であり茶人である。

わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。

また、今井宗久・津田宗及とともに茶湯の天下三宗匠と称せられ、「利休七哲」に代表される数多くの弟子を抱えたことでも有名だ。

利休は織田信長御茶湯御政道を確立した頃、茶頭としてその頭角を表す。

信長が本能寺の変で斃れると、その後は天下人となった秀吉に仕えるようになる。

利休は信長の時と同様秀吉にも重用された。

豊臣秀吉も旧主・織田信長から継承した御茶湯御政道を推奨したため、そのなかで利休は多くの大名にも影響力をもつことになる。

「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)」といわれるほど、豊臣政権下でその影響力を強めてゆく。

千利休はあくまで茶頭であるが、天下人・豊臣秀吉の側近、政治顧問のようなポジションであったと思われる。

天下人・豊臣秀吉と、茶頭であり側近の千利休

豊臣秀吉の手には天下三肩衝が揃っていた。

信長のすべてを引き継いだ秀吉は、信長同様に茶湯御政道を推奨する。

しかし困ったことに、秀吉と利休の茶湯に対する考え方は真逆。

相反するものであった。

派手好きの秀吉に対して、侘び寂びを好む利休。

この対立は茶器にも及ぶ。

唐物と呼ばれる陶磁器を特にもてはやす秀吉。

唐物ばかりが重宝される風潮に異を唱える利休。

薄くて硬い陶磁器を焼く技術は、この頃の日本にはなかった。

おのずと陶磁器はすべて輸入品になる。

さらに色彩豊かな唐物は、派手好きの秀吉の好みにピッタリだった。

下賤の身から位人身を極めた秀吉は、高貴なものを特に好んだといわれている。

それが茶器だとしても、女性だとしても…

だからというわけではないが、唐物の陶磁器は秀吉に大変重宝されたのである。

 

ちなみに余談だが、秀吉の政策でも最大の失策といわれている朝鮮出兵

豊臣政権に大損失を与えその屋台骨を揺るがしたといわれているが、トータルで見ると実はプラス収支で終わっているのだ。

朝鮮出兵での戦況は膠着していたが、補給の面で不利な分だけ日本側が劣勢になっていた。

この報告に秀吉は頭を抱える。

このままでは出兵している諸大名に、褒美として与える土地がない。

秀吉があてにしていた朝鮮半島の土地は、このままでは手に入らない。

その時困り果てた秀吉の元へ、現地スタッフ(小西行長であろうか)から報告が入る。

試しに王墓を掘り起こしてみたところ、貴重な陶磁器が数多出土したという。

その報を受けて、秀吉は狂喜乱舞したという。

茶器や陶磁器は信長によって有価証券化されている。

名物茶器や陶磁器は一国一城に値する。

ならば褒美として、土地の代わりに家臣に与えられるではないか。

掠奪を禁止していたはずの秀吉から命令が飛ぶ。

掘れ、奪え、かき集めろ、と檄が飛ぶ。

結果、朝鮮半島の王墓は軒並み掘り起こされて、秀吉軍の手によってごっそり掠奪されることになる。

秀吉軍はそれだけでは飽き足らず、窯元を襲って職人までごっそり日本へ拉致してきてしまった。

拉致された職人の詳しい数は不明だが、本場韓国の陶磁器が一時期衰退するほどだったというから、本当に根こそぎ連れ帰ってきてしまったのだろう。

拉致された職人は日本で陶磁器に適した土を探すよう命じられる。

ほどなくして日本で国産の陶磁器が作られるようになった…という経緯がある。

以上のことを鑑みると、結果的に失策・朝鮮出兵はトータルでみると相当なプラス収支で終わっている。

転んでもただでは起きない秀吉の執念には恐れ入るばかりだ。

余談が長すぎたので、話を戻そう。

 

さて、唐物ばかりをもてはやす秀吉を他所目に、利休は陶工・長次郎とともに国産茶器の製造に力を入れはじめる。

試行錯誤を繰り返し、ようやく完成した国産茶器のあまりの出来の良さに、利休はさぞや喜んだことだろう。

利休も大満足の出来栄えだった。

唐物至上主義の秀吉にも、果たしてこの良さが理解できるのだろうか?

いや、そもそも茶器の価値などわからぬ秀吉のような男に…

そんなことを利休が考えたのかどうかはわからない。

しかし幸か不幸か、利休はそれを実行し証明できるポジションについてしまっていた。

秀吉の茶頭という地位であれば、いかに貴重な天下三肩衝といえど、利休にも直接触れられる機会があったことだろう。

形・色・大きさ。

楢柴肩衝がどういうものなのかを、利休は知っている。

そして利休には、ともに国産茶器を作り上げた名陶工・長次郎がいた。

利休の脳裏にある考えがよぎる。

これを悪魔の囁きとでもいうのだろう。

利休はついつい試してみたくなったのではないか。

秀吉が後生大事にしている楢柴肩衝を、利休が作った贋作とすり替えてみたくなったのではないだろうか。

もし秀吉が偽物だと気づかなければ、利休が推す国産茶器の未来は明るい。

そして利休は本当にそれを実行してしまったのではないだろうか。

利休が作った偽物の楢柴肩衝を愛おしそうに眺める秀吉をみて、利休はどう思っただろう。

元々秀吉のことを認めていないような節があった利休のことだ。

さぞや勝利に酔いしれたことだろう。

しかし、バレないうちに元に戻せば良かったのだが、元に戻す前に秀吉にバレてしまった。

利休の切腹に至る経緯には、秀吉の激情が感じられる。

いわゆる突然ブチ切れた印象だ。

通説とされている、利休像問題程度でのキレっぷりではない。

秀吉は当時の最高権力者である。

秀吉はすべてに対しての最高権力者でなければならず、茶湯もその例外ではない。

鋭敏な秀吉が、嬉しそうに楢柴肩衝を眺める己を見た利休の心中をもし察したとしたら…

真相は謎である。

謎ではあるが、それでは何故、江戸城宝物庫に眠っていたはずの天下三肩衝のうち、楢柴肩衝だけが忽然と姿を消したのだろう?

何故、江戸城宝物庫からの楢柴肩衝紛失が大事件にならなかったのだろう?

紛失した楢柴肩衝は、本当に本物だったのだろうか?

それがもし偽物だったなら…

これがただの偶然なのか、はたまたただの思い過ごしなのか。

著者にはどうしても、この説ですべての辻褄が合ってしまうのだが…

真相は未だ謎のままである。

 

童門 冬二著/小説 千利休 秀吉との命を賭けた闘い (PHP文庫)

 

 

 

 

 

 

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