カレン・カーペンターの美しい歌声よ、永遠に…
iTunesのプレイリストは音楽人生の履歴書
お気に入りの音楽の管理は、もっぱらiTunesで行っている。
その時その時に聴きたい曲の音源を手に入れては、手当たり次第にiTunesに入れまくった。
おかげで今では数千という曲が入っている。
言うなれば、iTunesのプレイリストは我が音楽人生の履歴書のようなものだ。
iTunesのマイプレイリストの中にはサイモン&ガーファンクルもカーペンターズも記憶されている。
どちらも好きなアーティストだが、どちらかというとカーペンターズの方がより好きだと思う。
その理由はひとえにカレンの美しい歌声に魅了されているからだ。
カーペンターズとは
青春の輝き~ベスト・オブ・カーペンターズ<10周年記念エディション>
カーペンターズ は、アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス出身の兄妹ポップ・ミュージック・デュオである。
楽器を兄のリチャードが受け持ち、ヴォーカルを妹カレンが担当。
ロック全盛の1970年代において独自の音楽スタイルを貫き大きな成功を収めたが、1983年のカレンの急死によりその活動を終える。
カーペンターズは、1970年代を中心にアメリカのラジオ番組「アメリカン・トップ40」やアダルト・コンテンポラリー・チャートでの記録を塗り替え、ソフトロックやイージーリスニング、アダルト・コンテンポラリー・ミュージックといったジャンルにおける主要なヒットメーカーとなった。
Billboard Hot 100で1位となったシングルが3曲。
アダルト・コンテンポラリー・シングル・チャートで1位が15曲あり、さらにトップ10入りは12曲に及ぶ。
アルバム・シングルの総売上枚数は1億枚を上回るとされている。
14年間の活動で、11枚のアルバム。
(うち『close to you』『カーペンターズ』『ア・ソング・フォー・ユー』『ナウ・アンド・ゼン』『緑の地平線〜ホライゾン』の5枚がトップ10シングル曲を収録)
31枚のシングル。
5本のテレビ・スペシャル番組、テレビ・シリーズ番組を1本制作した。
アメリカ本国をはじめ英国、日本、オーストラリア、オランダ、ベルギーなど世界各国でツアーを行った。
オリコンチャートブックの集計では1970年から1989年(いわゆるレコード時代)の日本での海外アーティスト別アルバム売上枚数はビートルズに次いで第2位である。
シングル売上枚数は第1位。
CD時代に入った後も、1995年発売のベスト盤『青春の輝き〜ベスト・オブ・カーペンターズ』が200万枚越えるセールスを記録する等、日本においても時代を超越して愛され続けているグループである。
カレンが、神経性無食欲症(いわゆる拒食症)の合併症による心停止のために死去してから、摂食障害の危険性の認識が深まったといわれている。
音楽評論家からの酷評
カーペンターズの絶大な人気は、音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。
バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。
しかし、レコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。
カーペンターズはそのキャリアにおいて3度のグラミー賞を受賞している(1970年に最優秀新人賞および「close to you」で最優秀ボーカル・グループ賞、1971年に『スーパースター』で最優秀ボーカル・グループ賞)。
また、1973年には投票によって第1回アメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ポップ・ロック・デュオにも選ばれている。
多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」といった印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび「自分はミルクなど好きではないし、ワインも飲む。マリファナ合法化のために投票さえした」とまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている。
レイ・コールマンの著書 "The Carpenters:The Untold Story" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している。
カレンの美しい歌声は今なお多くの人々を魅了する
カレン・アン・カーペンター(1950年3月2日 - 1983年2月4日)は、カーペンターズのヴォーカリスト、ドラマーである。
カレンは兄や友人たちと結成したバンド「スペクトラム」時代からドラムスとヴォーカルを担当していたが、カーペンターズとしての活動が活発になるにつれ、歌手として前面に立つことが多くなっていく。
カレン本人はドラムとヴォーカル両方をこなす叩き語りにこだわったが、やがてリチャードの意向を受けてヴォーカル専門に活動するようになった。
これにはカレンがタムの多いドラムスを好んで使っていたため、観客席から見えにくいという一因もあった。
この後カーペンターズはカリフォルニア州を中心として、やがて世界的に活動するようになる。
カレンの声種はアルトで、3オクターブの声域を持っていた。
彼女の声の美しさについては、ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニーをはじめとした一流のアーティストたちも絶賛している。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第94位。
「雑誌Qの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第48位。
また自分に大きな影響を与えた人物としてカレン・カーペンターの名を挙げている現代のアーティストは数多くいる。
- クリスティーナ・アギレラ
- グウェン・ステファニー
- シャナイア・トゥエイン
- アナスタシア
- メアリー・J. ブライジ
- アリシア・キーズ
- リアン・ライムス
- ケリー・ジョーンズ(ステレオフォニックス)
- ジョニー・ボーレル(レイザーライト)
- ジョー・オメアラ(S Club 7)
- マドンナ
1990年代のR&Bグループ、ボーイズIIメンさえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。
錚々たるメンバーがカレンを推しているが、クイーンはプロフィールにカーペンターズを「嫌いなアーティスト」として挙げているのが面白い。
早すぎたカレンの死
カレンは自らの体形については太りすぎというコンプレックスを常に抱えており、それがやがて精神的な病となっていった。
カレンはいつの頃からか摂食障害(拒食症)に悩まされるようになる。
これは後のセラピーの過程で親子関係が摂食障害の背景にあると見られている。
このため、1975年に予定されていた日本公演が中止となった。
当時の招聘先である、キョードーのコメントは「神経性食意不振症」によるものとしていた。
映画『カレン・カーペンター・ストーリー』によれば、晩年は過食症と拒食症の症状が繰り返し起こっており、死去前日は食欲が少し出てきたところで翌日亡くなったことになっている。
1983年2月4日早朝、両親の家で意識不明になっているところを発見され、同日死去した。
満32歳没。
死因は急性心不全。
長期の闘病生活が心臓に負担をかけていたと思われる。
彼女の死は社会に大きな衝撃を与え、拒食症などの摂食障害が社会的に認知されるきっかけとなった。
これを聴け!
名曲だらけのカーペンターズの楽曲の中から選ぶ独断と偏見によるオススメ3曲
Close to you
言わずと知れた、カーペンターズの名曲中の名曲。
今聴いてもちっとも古臭く感じないのが凄すぎる。
Superstar
カーペンターズの明るいイメージから逸脱した、淋しげなメロディーが秀逸。
少し時代を感じられるがそれもまた良し。
I Need To Be In Love
一見すると明るい曲のようだが、歌詞からはどこか闇を感じさせる。
リチャード・カーペンターによれば、生前のカレンが最も好んだ曲であったという。
カレンも心のどこかに闇を抱えていたのだろうか…
そんなことを考えながら聴くと、一段と深みを増す名曲。
3曲ともメジャー中のメジャー曲だが、あえてオススメしたい。
時代を超える名曲というものが、どういうものなのかがよくわかる。
カレンの美しい歌声が未来永劫、語り継がれることを願う。
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