はじめに
本来なら本稿は、上記の記事に書くべきことだった。
しかし、躊躇った。
日和った。
こんなことを公言しても、マイナスになることはあってもプラスになることは何もない。
一端にも好感度について考えてしまった。
…情けない。
当ブログは己の考え方や思いを、何の忖度もなしに発信することを目的に立ち上げた。
いい人になりたかったわけじゃない。
嫌われたって自らの意志は曲げない。
そんなブログにしようと思っていた。
もちろん、何でも好き勝手にしていいなんて思っていない。
自分の中の決め事だってある。
他人を傷つけない。
他人を貶めない。
自分が嫌なことは、他人にしない。
決め事さえ守れば、自分自身の揺るぎない考えなら、世間に何と批判されようと何でも書くつもりだった。
だが、好感度を気にして躊躇った。
逃げちゃダメだ。
こんなわがままな気持ちで書いている記事を、楽しみにしてくれているある読者様の言葉のおかげで原点に立ち返ろうと思う。
もしその読者様に嫌われるようなことがあっても、これが嘘偽りない私なのだから。
私は浮気や不倫を否定しない
ご存知であっただろうか?
日本人の貞操観念は、ほんの150年ほど前までまったく違うものだったということを。
現在の貞操観念は政治によって、あるいは教育によって植え付けられたものだ。
日本はもともと一夫多妻制だ。
考えてもみてほしい。
日本には、大奥という名のれっきとしたハーレムが存在していたではないか。
夜這いなんて当たり前の行為だった。
【夜這い:夜這いとは、夜中に性交を目的に他人の寝ている場所を訪れる事。】
夜這いしない方がむしろ失礼にあたるくらい、当然の求愛行動だったのだ。
おまけに、男女ともに同時に複数の異性と関係を持つことも珍しくないことだった。
それが明治や大正、昭和を経てゆっくり塗り替えられていく。
日本が経験した戦争も、少なからず影響しただろう。
現在の貞操観念は、つい最近になって我々に刷り込まれたものなのだ。
浮気や不倫を否定はしないが、だからといって肯定するつもりもない。
だから当然推奨なんかしない。
浮気や不倫で傷つく人がいる以上、いけないことだという認識はある。
しかし数多の恋愛相談を受けていると、それとは別ベクトルの思考が生まれる。
どうしたって人の好意は止められないのだ。
これから書くことは、特に不倫について言及する。
浮気は気分でもすることがあるだろうが、不倫には覚悟が必要だからだ。
よく「そんな人を好きになるのはやめな」と安易にいってしまう人がいるが、自分だったらそれができるのか甚だ疑問だ。
好きな気持ちをおし殺す?
自分ならきっとできないと思う。
そんなことを簡単にいわれたら、何もわかっていないと怒りすら覚えるだろう。
たとえそれが不倫であろうと、本気で好きになってしまったらどうしようもないのだと自分なら思う。
だからそういう相談を受けた時は、安易に否定しないことにしている。
自分がされて嫌なことは他人にしない。
これが『私は浮気や不倫を否定しない』ことの真意だ。
話を戻そう。
もしそれが不倫と呼ばれる好意なら、まずは覚悟を聞くことにしている。
当事者以外の全員を不幸にする覚悟があるのか否か。
場合にもよるが、相手の都合良く使われていないかも確認する。
ちなみに不倫をしてしまう、特に女性の著者の共通した印象はこうだ。
都合の良い女だけど、その相手以外の人からみたら凄く良い女。
だから不幸になって欲しくない。
本当の幸せを考えるなら全力で阻止すべきだろうが、その相手と一緒にいれる時間こそが今の幸せだという気持ちもわかってしまう。
だったら好きなようにさせるしかないではないか。
ただし背中を押した以上、行き着くところまでは行かせない。
どうしても辛くなったら、気が済むまで寄り添う。
人はやるだけのことをやったら満足するのだから。
もし今、浮気や不倫をされている方がいるとしたらひと言だけ伝えたい。
私は浮気や不倫を否定しない。
今ある常識を疑おう。
世間が押しつける常識に縛られて、自分の気持ちを誤魔化しては辛いだけだ。
何が正しくて何が間違いなのかなんて、自分の心が決めればいい。
ただし、他人を巻き込むのなら、それなりの正義も貫かなくてはいけないことを必ず覚えておいて欲しい。
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