何が本当で何が嘘?
フジテレビの月9ドラマ『ミステリと言う勿れ』での主人公・久能整の言葉が一時期話題となった。
真実は一つじゃない。
2つや3つでもない。
真実は人の数だけあるんですよ。
でも事実は一つです。
(ドラマ『ミステリと言う勿れ』第1話より)
人は立場や心境によってその立ち位置を変え、そこから見える景色のみですべてを判断しようとする。
そのため一方的な情報に踊らされた結果、本質が見えなくなってしまい、誤った答えに辿り着くことはよくあることだ。
それが自己都合による肩入れなら、非常にタチが悪い。
情報過多の世の中では、物事を俯瞰でみるよう心がけなければ、いつ自分が偽りのプロパガンダに踊らされるかわからない。
今からでも遅くない。
ひとつのことを多角的にみるように心がけようではないか。
プロパガンダ(propaganda)とは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為の事である。
通常情報戦、心理戦もしくは宣伝戦、世論戦と和訳され、しばしば大きな政治的意味を持つ。
政治宣伝ともいう。
あらゆる宣伝や広告、広報活動、政治活動はプロパガンダに含まれ、同義であるとも考えられている。
本来のプロパガンダという語は中立的なものである。
だが、カトリック教会の宗教的なプロパガンダは、敵対勢力からは反感を持って語られるようになり、プロパガンダという語自体が軽蔑的に扱われ、「嘘、歪曲、情報操作、心理操作」と同義と見るようになった。
ゼレンスキー大統領が「真珠湾攻撃」と発言。
その真意とはいったい?
真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor)は、第二次世界大戦において日本時間の1941年(昭和16年)12月8日未明(ハワイ時間12月7日)に、日本海軍がアメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った、航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である。
ウクライナのゼレンスキー大統領が3月16日の米連邦議会でリモート演説し、日本の「真珠湾攻撃」を例に出して支援を呼び掛けたことが物議を醸している。
とはいえ、その引用に違和感を感じ反応したのは日本国内のみ。
アメリカにとって「真珠湾攻撃」が、未だにパワーワードだという現実を改めて突きつけられた格好になった。
米国にとって「真珠湾攻撃」は未だにパワーワード?
「真珠湾攻撃」は旧日本軍が起こした歴史的な奇襲として知られている。
ここでいう奇襲とは、宣戦布告前の攻撃という認識で良い。
本来なら宣戦布告後の攻撃が予定されていたが、手続きの不備で宣戦布告前の攻撃になってしまい、結果的に奇襲となってしまった。
要するに、奇襲=卑怯ということなのだろう。
もちろん奇襲が卑怯な行為という認識は構わないが、ここでひとつの疑問が生まれる。
仮に宣戦布告後の攻撃だったなら、これほどの謗りは受けなかったのだろうか?
歴史に" if "がタブーなのは承知しているが、「真珠湾攻撃」が宣戦布告直後の攻撃だったのなら、その攻撃には正当性があったのか?
そもそも戦端を開くのにも政治的・軍事的駆け引きが作用するらしい。
もしアメリカが日本の先制攻撃を機に戦端を開こうとしたなら、「真珠湾攻撃」はアメリカにとって想定内の出来事だったことになる。
それならば旧日本軍をまんまと誘い込んで、空っぽの真珠湾を攻撃させればいいのだが、アメリカの被害をみればそうとはいえない。
だとすれば、だ。
奇襲であろうとなかろうと、「真珠湾攻撃」はアメリカにとって、忌むべき記憶としていつまでも残っていたのではないだろうか。
どの道を辿ったとしても、結局「真珠湾攻撃」は、アメリカにとって自らの正当性を示す絶大なプロパガンダになっていた。
結局「先に手を出した方が悪い」という、ただの印象操作なのか?
冷静に考えると見えてくる本質。
以上のことを鑑みると、結果的に「真珠湾攻撃」とは先に手を出した日本が悪いという理屈が成立する。
こうなると、ゼレンスキー大統領の今回の「真珠湾攻撃」発言の意図がみえてくる。
アメリカの正当性は「真珠湾攻撃」というパワーワードによって示された。
わざわざ「真珠湾攻撃」を引用することで、ウクライナの正当性を訴えかける狙いがゼレンスキー大統領にはあったのだろう。
ついでに、あえてアメリカのトラマウに触れることで、アメリカを焚き付けるのと同時に共感を誘う狙いもあったと思われる。
ゼレンスキー大統領が「真珠湾攻撃」を引用したことで、日本のウクライナ贔屓は少なからず低下した。
日本の心証を悪くしてまで引用に踏み切ったのは、それだけウクライナが追い詰められているという証拠ではないだろうか。
善戦が伝えられるウクライナだが、実は背に腹はかえられぬ状況に陥っているのではないだろうか。
これほどの情報戦の中では、実際に何が本当で何が嘘なのかを確かめる術はない。
だが、冷静な目で多角的に物事をみてみると、いろいろなことがみえてくる。
SNSの情報伝播で一番怖いのは、中継者の感情まで伝播させてしまうこと。
まず冷静であれ。
感情的になっては本質が見えなくなる。
一度に大量の人間に情報を流せるSNSは、情報戦には非常に有効な手段といえる。
しかも一度に大量のひとりひとりに情報を流せるのだ。
これほど情報の伝播に有効なツールはない。
そのなかには多くのフェイクニュースが混ざっているのだろうが、本当に怖いのはフェイクニュースではない。
SNSの情報伝播で一番怖いのは、情報を中継した人間の感情まで伝播してしまうことにある。
強い反対意見で発信されれば、さらに強い反対意見で伝播し続けるし、その反対も然りである。
こうして最初は小さかった嘘が、あらゆる人間を経由して、いつの間にか世論化する。
ロシアのウクライナ侵攻を受けて、現在、ほぼ全世界がウクライナの支持で共通しているのも、こうした効果を利用したものだと考えられなくもない。
もちろん先に手を出したロシアが、一方的に悪いに決まっている。
だがここまで情報が偏り過ぎれば、猜疑心のひとつも生まれるというもの。
もっともっと大きな力が背後にあるのではないのか?
裏では実は、ひと握りの権力者の手によって、すでに新しい世界の姿に書き換えられているのではないのか?
何もしない世界各国内で、ウクライナ支持の声だけが高まることには、一抹の不安を感じざるを得ない。
情報の一元化が、思想の一元化に直結しすぎていて少し怖い。
だが本当のところは、凡人の知るところではないのだろう。
はてさて、世界はこれからどうなるのだろう。
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