明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
沼地蠟花(花物語より)
3年生に進級した神原駿河は忍野扇から、「願いを叶えてくれる悪魔様」の噂を聞かされる。悪魔様の正体を知るべく、会いに向かった駿河の前に現れたのは―――。
貝木からの情報で、再び沼地蠟花と会うことを決意した駿河。
しかし、逆に蠟花の方が駿河の前に再び現れる。
その時、彼女の左腕はかつての駿河のように包帯に巻かれていた。
大抵のことは逃げれば解決するのに
逃げたら負けだと思っているヤツが本当に多い
そういう連中は私なんかから見れば
進んで不幸になろうとしているようにしか 見えないよ
逃げたら負けなんてことはないし
逃げたら不幸なんてこともないのにな
逃げ切れなかったら諦めもつくだろ
花物語 第二巻/するがデビル(下)(完全生産限定版)(Blu-ray Disc)
〈物語〉シリーズの名言は、自分の中のつまらない固定観念を気持ちよくぶち壊してくれる。
いや、この場合ぶち壊してくれるものは日本人気質とでもいうべきだろうか。
古くから日本人には、敵に背を向けることを良しとしない風潮があった。
「大和魂」という言葉は帝国主義の元に、本来の意味を歪められ、プロパガンダに利用された。
我々がイメージする「大和魂」とは、日本民族固有(のものと考えられていた)の勇敢で、潔く、特に主君・天皇に対して忠義な気性・精神性・心ばえのようなものだろう。
本来の意味はまったく違う。
元々「大和魂」とは、机上の知識を現実の様々な場面で応用する判断力・能力を表し、江戸後期からは日本民族特有の「正直で自由な心」の意味も含んでいた。
もっと広義で端的に表すなら、儒教・仏教などが入ってくる以前からの、日本人本来の物の見方・考え方・精神を指していた。
我々は刷り込まれていたのだ。
「大和魂」なる言葉は、実直な日本人には非常に都合の良い教えだったのだろうと思う。
だがしかし、こういう過去の刷り込み教育が、後々の世にまで悪影響を及ぼしている。
いまだに我々は、逃げることがまるで悪いことのように思い込んでいるではないか。
本当はそんなことはなかったのだ。
辛かったら逃げてしまえばいい。
いいや、むしろ辛くなるまで耐える必要はないのではないのか?
楽をしたっていいのだ。
いや、逆に楽をして何がいけないのだ?
考え方を改めよう。
何故いまだに、こんな古臭い考え方が根強く残っているのかといえば、それで得をする人間がいるからだ。
それが証拠にほら。
日本人の生真面目さに一番つけ込んでいるのは、他ならぬ、同じ日本人の長老方ではないのか。
我々はいい加減、古臭い呪縛から解き放たれなくてはならない。
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