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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の不思議【鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の暗殺】カツオがタラちゃんを滅ぼす?源頼朝の嫡男でありながら、頼家はなぜ暗殺されたのか。

 

 

140年以上続いた鎌倉幕府

源氏が将軍職にあったのはたったの30年足らず

 

 

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そもそも鎌倉幕府という名の政府は存在しない

 

 

本稿では源頼朝が組織した政府を便宜的に「鎌倉幕府」と呼称するが、実は「鎌倉幕府」という名の政府は存在しない。

幕府とは、将軍の任命を受けた者が、朝廷の外にあって、朝廷のために活動するために設けた役所のことを指す。

源頼朝が鎌倉に武家政権を創始したことから、その政庁(居館)を幕府と呼ぶようにもなった。

頼朝は奥州藤原氏を滅ぼした後の建久3年(1192年)に征夷大将軍に任ぜられ、以後代々の首長もまた頼朝を継承する地位の表象として征夷大将軍職に就いたことから、幕府の主を将軍とする通念を生じた。

征夷大将軍を中国風に覇者とみなし、覇者の政庁の所在地として「覇府」とも呼ばれる。

「幕府」という言葉が将軍個人や空間的な将軍の居館・政庁から離れ、今日のように観念的な武家政権を指すものとして用いられるようになるのは、藩と同じく江戸時代中期以降のことで、朱子学の普及に伴い、中国の戦国時代を研究する儒学者によって唱えられた。

鎌倉幕府」や「室町幕府」という言葉はこの時代以降に考案されたものである。

それ以前には「関東」「武家」「公方」などと呼ばれており、それぞれの初代将軍が「幕府を開く」という宣言を出したことも、朝廷が幕府を開くようにと命じる詔勅もない。

教科書で教わった鎌倉幕府の成立年の1192(イイクニ)が変更されたのも、鎌倉幕府という名の明確な政府が存在しなかったことに起因している。

何故なら1192年は頼朝が征夷大将軍に任じられた年であり、それ以前から鎌倉は政府として機能していた。

故に現在の教科書では、鎌倉幕府の成立は1185年頃となっているらしい。

それは取りも直さず鎌倉幕府の基本的な機能は1185年にすでに完成していたことを意味しているからだ。

 

 

 

どちらも同じ源頼朝北条政子の子

第2代将軍・頼家と第3代将軍・実朝

 

 

鎌倉幕府第2代将軍・源頼家とは

 

源頼家(みなもとのよりいえ)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第2代将軍(鎌倉殿)である。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡男で母は北条政子(頼朝の子としては第3子で次男、政子の子としては第2子で長男)。

父・頼朝の死により18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第2代鎌倉殿、さらに3年半後に征夷大将軍となる。

母方の北条氏を中心として十三人の合議制がしかれ、頼家の独断は抑えられたとされるが、当事者である北条氏の史書の記録のみでしか、確認できていない。

合議制成立の3年後に頼家は重病に陥ったとされ、頼家の後ろ盾である比企氏と、弟の実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡した。

頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉された後、暗殺された。

頼家追放により、北条氏が鎌倉幕府の実権を握ることになる。

 

 

鎌倉幕府第3代将軍・源実朝とは

 

源実朝(みなもとのさねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府・第3代征夷大将軍である。

鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。

政治は始め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。

官位の昇進も早く武士として初めて右大臣に任ぜられるが、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。

これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。

 

 

 

頼家暗殺の原因は乳母にあり

 

 

乳母とは

 

乳母(うば、めのと)とは、母親に代わって子育てをする女性のことである。

かつて、現在のような良質の代用乳が得られない時代には母乳の出の悪さは乳児の成育に直接悪影響を及ぼし、最悪の場合はその命にも関わった。

そのため、皇族、王族、貴族、武家、あるいは豊かな家の場合、母親に代わって乳を与える乳母を召し使った。

また、身分の高い女性は子育てのような雑事を自分ですべきではないという考えや、他のしっかりとした女性に任せたほうが教育上も良いとの考えから、乳離れした後、母親に代わって子育てを行う女性も乳母という。

また、商家や農家などで、母親が仕事で子育てができない場合に、年若い女性や老女が雇われて子守をすることがあるが、この場合はねえやばあやなどと呼ばれることが多かった。

特に平安時代から鎌倉時代にかけて「めのと」と呼ぶ場合には「うば」よりも範囲は広く、「養育係」の意味もあり、女性だけではなく夫婦でそれに当たるケースが多い。

例えば『奥州後三年記』の「家衡が乳母千任といふもの」などでは千任は男性である。

また、養育係の男性を「傅(めのと)」とも呼んだ。

乳母に世話を受ける養い子にとって、乳母の子供は「乳母子(めのとご)」「乳兄弟(ちきょうだい)」と呼ばれ、格別な絆で結ばれる事があった。

軍記物語においても、主人の傍に乳兄弟が親しく仕え、腹心として重宝される情景が少なからず描かれている。

 

 

頼家の乳母

 

頼家の乳母に選ばれたのが比企氏である。

もともとは頼朝の乳母を務めた家系である。

比企氏(比企尼)は平治の乱で敗れた頼朝が、伊豆国蛭ヶ小島に流された後も、20年という長い間、頼朝の生活のための援助をしていたのだという。

その恩を忘れなかった頼朝は、嫡男・頼家の乳母に比企氏を指名した。

 

 

養い子に絶大な影響力を持つ乳母

 

前述した通り、当時の乳母と養い子の関係は我々が考えるよりずっと固い絆で結ばれていた。

その絆は時に実母よりも強いものであった。

故に乳母は養い子に絶大な影響力を持つことになる。

頼朝が比企氏を重用したのも、乳母を務めたことが大きく影響しているのだった。

 

 

 

鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の追放と暗殺

 

 

カツオがタラちゃんを滅ぼすという異常事態

 

いよいよ本題だ。

なぜ源頼家鎌倉幕府から追放され、遂には暗殺されてしまったのか?

それは北条と比企の政争によるものである。

そもそも源頼家とは、源頼朝北条政子の子である。

すなわち源家と北条家の子ということになる。

頼家は源頼家であり、北条頼家でもあるはずだった。

しかし頼家の乳母を比企家が務めたことで、パワーバランスがおかしなことになってしまった。

結果的に頼家は、源頼家であり北条頼家でもあるが、比企頼家でもあったのだ。

そして頼朝が亡くなる。

源頼家でないのなら、北条頼家か比企頼家のどちらかということになる。

現在の感覚で考えるなら実母である北条姓を名乗るのが順当であろうが、当時は実母より乳母の方が絆は固く強かった。

さらに悪いことに、頼家の側近や政治的後見人はいずれも頼朝が選んだ人物であったが、その顔ぶれにより次の世代が比企氏中心となることが誰の目にも明らかであった。

そうして頼家は、比企頼家となった。

頼朝亡き後に鎌倉幕府を主導していた北条家(政子)にとって、これほど邪魔な存在はない。

また頼家の子・一幡に至っては母が比企能員の娘・若狭局だったことも、北条家にとっては懸念材料であった。

このままでは3代将軍の座は一幡に決まり、比企家の権力は増すばかりである。

だが幸いなことに頼家には弟・実朝がいた。

実朝も北条政子の子であるから、源実朝であり北条実朝なのである。

北条家からしてみれば、比企頼家と一幡を排除しても北条実朝がいる。

こうして北条家は比企一族もろとも将軍・頼家まで滅ぼすことになる。

『鎌倉殿の13人』の脚本を務める三谷幸喜氏の言葉を借りるなら、「カツオがタラちゃんを滅ぼす」ことになる理由とは、こういうことからである。

 

 

 

鎌倉のその後

 

 

暗殺計画の露呈

 

『鎌倉殿の13人』の主人公・北条義時が、いよいよ権力を握ることになったのは、北条時政と後妻・牧の方が密かに実朝暗殺計画を練り、これが発覚したことがキッカケだった。

時政は修善寺に追われ、時政の息子で政子の弟・義時が執権職を継承し権力を掌握する。

 

 

実朝の暗殺

 

建保7年1月27日(1219年2月13日)、鎌倉幕府3代将軍・源実朝が、鶴岡八幡宮で暗殺される。

犯人は兄・頼家の遺児・公暁だった。

公暁による暗殺については、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれた為だとする説がある。

ただし、その黒幕の正体については北条義時三浦義村、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀、後鳥羽上皇など諸説ある。

またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところに、この事件の最も大きな要因を求める見解もあるがはっきりしていない。

なお実朝の暗殺の際に、太刀持ちをしていた北条義時は途中で腹痛を訴え、参列を離れ難を逃れているというから歴史というのは面白い。

運命的な偶然か、それとも…。

 

ただ個人的な見解では、実朝暗殺事件に北条の関与の可能性は低いと考える。

北条氏は実朝に忠節を尽くす名目で次々と対抗勢力を滅ぼしていく。

公家風を好み、和歌に熱中し、『金塊和歌集』の編纂に力を入れる将軍・実朝は、北条にとって非常に都合の良い存在であったはずである。

傀儡にするにはうってつけの実朝を、自らの手でわざわざ排除してしまうこともないとは思うのだが…。

 

だがこの説にいまひとつ確信が持てないのは、ひとつだけ懸念があるからだ。

実朝は官位の昇進が非常に早かった。

最終的には武士として初めて右大臣に就任している。

そこには実朝を取り込もうとする後鳥羽上皇の目論見があったといわれているが、この構図は後白河法皇義経の関係によく似ている。

また、実朝自身も武家の身としては位人臣を極めている。

もし北条が、傀儡とはいえ実朝が持つ朝廷の権威に脅威を感じていたとすれば、実朝暗殺の黒幕にもなり得たのかもしれない。

 

 

 

 

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