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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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【大河ドラマ『どうする家康』に学ぶ本当は凄かった江戸時代】家康が作り上げた究極のSDGsワールド「江戸」。①

 

 

 

 

大河ドラマ『どうする家康』に学ぶ

本当は凄かった江戸時代

 

 

家康が作り上げた究極のSDGsワールド「江戸」①

 

 

徳川将軍家が実質的に日本を支配した260年あまりの期間を、一般に「江戸時代」と呼ぶ。

家康が作り上げた江戸の町は大きな発展を遂げ、それに伴い社会も成熟していった。

そうして迎えた幕末期。

日本には「国際社会から大きく遅れをとった、閉鎖的で進歩がない時代」…そんなイメージが長らくつきまとっていた。

これは明治政府が、打倒した江戸幕府が支配していた時代を「遅れていた」と印象づけたことが強く影響している。

しかし本当にそうだったのか?

幕末日本の真実の実力とは?

 

 

 

SDGsとは

 

 

SDGsとは略称であり、正しくは「持続可能な開発目標」(英語: Sustainable Development Goals)という。

2015年9月25日に国連総会で採択された、持続可能な開発のための17の国際目標である。

その下に、169の達成基準と232の指標が決められている。

簡単に言ってしまえば「持続可能でよりよい社会の実現を目指す世界共通の目標」ということである。

 

 

 

江戸の町のインフラ技術は世界最高峰

 

 

安全な水とトイレを世界中に

(英: Clean Water and Sanitation)

 

「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」

 

明治維新後、フランス人やイギリス人が日本を訪れて驚愕した技術がある。

それは江戸の町中に行き届いた上下水道だ。

江戸時代初期から末期までに、いくつもの水源から水道管が敷かれ、長屋の敷地などを区切る境界部分には下水溝まで設けられていた。

各家庭で用済みになった生活排水は近くの川に流されていくのだが、糞尿は近隣の農民が貴重な肥料として買い取っていたため流されず、伝染病が蔓延することはなかった。

江戸っ子は水道水を飲料などに、川で汲んだ水を生活用水として使用していたが、大坂は逆であった。

飲料としていた川には生活排水が流れていたのだが、それでも大きな疫病は発生しなかった。

大都市のように上下水道が完備されていない農村でも糞尿は下肥として再利用されていたし、風呂の残り湯や洗濯排水も肥料の足しとして畑に撒いて活用していたのだ。

黒船を率いてやってきたアメリカのペリー提督は、日本の下水道技術に関してこんな日記を残している。

 

下田(静岡県)は進歩した開化の様相を呈していて、同町の建設者が同地の清潔と健康とに留意した点は、吾々が誇りとする合衆國の進歩した清潔と健康さより進んでいる。

濠があるばかりでなく下水もあって、汚水や汚物は直接に海に流すか、又は町の間を通ってゐる小川に流し込む。

 

ペリーが「合衆国より遥かに進んでいる」と驚嘆したのも無理はない。

当時、花の都・パリでさえ、糞尿はバケツなどで窓から道路にぶち撒けるという、今からすると信じ難い習慣があったのだから…。

こんな有り様なので、中世にはコレラやペストといった伝染病が何度も流行し、いったい流行すると収まるまでに大変な時間を要した。

 

 

 

世界最高の水道網

 

 

同時代、大規模な水道網を備えていた都市は江戸とロンドンだけ。

それでも両都市の上下水道網の実力は、大人と子供、横綱と幕下ぐらいかけ離れている。

19世紀ロンドンの上下水道は、週3日でしかも1日7〜8時間しか使えない代物だった。

ところが江戸の上下水道は、それよりはるかに以前から24時間給水可能。

さらに総給水量や給水人口、給水面積など、どんな数字で比べても、規模や完成度に至るまではるかにロンドンを上回っていたというのだから驚きだ。

 

 

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