其のニ
美しき日本語の世界。
母語話者として日本語を使う者
「母語」 (one's mother tongue)とは,個人が最初に習得し、自らの日常的な使用言語であるとみなしている言語のことであり極めて私的なものである。
ちなみ「母国語」(one's national language)とは「母国」である国家が公的に採用している言語を指し、定義上、公的なものである。
日本人が日本語を母語とする場合などは母語と母国語が一致することになるが、日本語を母語としながら日本国籍を持たない場合ももちろんある。
母語として身につけた言語を日常語として使う人のことを「母語話者」という。
人が使う言語は大きく分けて「母語」、「第一言語」(日常語)、「第二言語」のようになる。
通常は母語と第一言語は同じ言語となるが、環境によっては母語と第一言語が異なることがあることは前述した通り。
そして個人が言語としての特徴として影響されるものは、すべて母語によるものになる。
母語をどの言語で身につけたかによって、脳の機能と言語による特徴が決まる。
身につけた母語と異なる言語環境の中で、幼児期以降の日常語での生活をすることになると、母語と異なる第一言語(日常語)を身につけて使用することになる。
言語の感覚が異なるから、コミュニケーションにおいてとても苦労することになる。
言語としての特徴はすべて母語によって形成されるのだ。
つまりは、5歳頃までに言語としての特徴の基本が出来上がってしまうことになる。
そして、母語は書き換えることができない。
したがって、言語の特徴は文字や言葉に出るのではなく、その言語を母語話者として持つ人において現れることになる。
正確に表現すると、日本語の特徴は母語話者として日本語を使用する人に表れる特徴ということになるのだ。
そこに国籍や人種は全く関係ない。
母語として日本語を身につけている者であれば、誰であっても同じ特徴を示すことになる。
更に、第一言語として日本語を使用している者であれば、より顕著にその特徴が表れることになる。
本稿で記すのは、言語の特徴というよりは、母語話者として日本語を使う人に表れる特徴である。
自然の音を「言葉」として受け取る感覚を持つ日本語
母語として日本語を持つ人は、他の言語に比べて決定的に違う特徴がある。
それが、自然の音を「言葉」として聞くことができる感覚である。
例えば風の音を「そよそよ」、「ざわざわ」、「ひゅうひゅう」、「びゅうびゅう」など聞いたり、表現したりするだろう。
虫の音を「ころころ」、「りーんりーん」、「すいっちょ」などと聞いたりするだろう。
日本人は、これらを言葉として左脳で感じっるが、他の言語においては機械音などと同じに雑音として右脳で感じている。
音楽についても、西洋では右脳を音楽脳と呼んだりして右脳で処理していることがわかっているが、日本語話者の脳では、人間や動物の鳴き声や邦楽を言葉として左脳で処理している。
その証拠に日本語では「チントンシャン」、「ドンドコドン」など、音楽を言葉で表現し伝えたりしている。
しなし西洋音楽(洋楽)については、日本語話者であっても右脳で処理しているが分かっている。
「洋楽のヴォーカルは楽器」と表現される所以はそこにあるのだ。
この理由として考えられるのは、日本語が典型的な母音言語であること。
子音は人が口の形や舌を複雑に使って生み出した音だが、母音は自然音である。
自然の音を言葉として受け取る感覚は、母音言語が影響している可能性があると考えられるが、詳しいことはいまだにわかっていない。
わかっているのは、この感覚が他の言語話者(例外もある)にはないものであるということだけである。
日本人は、最悪擬音だけでも何とか会話を成立させることができる。
日本語には数多の擬音が存在するが、それは音を言葉に変換できて、且つそれをイメージできたからである。
日本語が表現力に優れているのは、こういった理由からでもあるのだ。
非常に感覚的ではあるが、ニュアンスを感じ取ることができる感性は誇るべきことではないだろうか。
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