其の八
美しき日本語の世界。
季節と自然の魅力を表す四季折々の言葉【春編】
日本には昔から、四季折々の季節や自然の魅力を表す美しい日本語が数多く存在する。
時候の挨拶や祝電などでメッセージを送るとき、その季節に合った味わい深い言葉を添えると、表現に奥行きが生まれるだろう。
今回は、古くから伝えられてきた季節ごとの美しい日本語について記してみようと思う。
四季を表す表現が豊かな日本語
四季がある日本は、気候の変化に伴い自然も繊細に変化していく。
そのせいか日本語は季節のうつろいを表す言葉が豊かで、それは古典からも感じ取ることができる。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」
これは「春の夜明けのすばらしさ。すこしずつ白しらんでいく山ぎわの空のほの明かりのなか、紫がかった横雲のたなびく優雅さを、なんと言おう。」という意味で、なんとも春の風情を感じる名和文として知られている。
また、日本語は季節のうつろいとともに変わっていく気候、風、植物や動物などの自然を表す表現も豊かである。
三十六歌仙の一人である藤原敏行は、「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」と歌った。
これは「まだはっきりとした秋の訪れが見えるわけではないけれど、風から新しい季節の到来を感じられる」という意味の歌である。
どちらの作品からも、日本人が四季折々の景観や自然の美しさを堪能し、愛でながら大切に言葉を紡いできたことがよくわかる。
言葉は日々変化しているが、昔から伝わる言葉の魅力は今でも色褪せない。
日常の会話に美しい日本語を交えると、一層季節の趣を感じることができるだろう。
季節の訪れと喜びを先取りで楽しむ季語
季語について記す前に、改めて俳句のおさらいから。
「五・七・五」という独特のリズムを持つ俳句。
川柳も同じリズムであるが、俳句には「季語」を入れるのが決まりとなっている。
俳句の起源は中世。
基となったのは、1人目が「五・七・五」、2人目が「七・七」、3人目が「五・七・五」…と、次々に詠み手がかわる連歌という遊びからだったという。
そもそも季語化の意識が強くなったのは、四季の句をちりばめて成立するこの連歌においてである。
連歌の一句目となる発句は、あいさつ句とも呼ばれ、連歌会が行われる場所や季節感を上手に歌の中に盛り込む必要があるため、季節を表す季語を1人目が必ず使うというルールができたとか。
やがて江戸時代の中期になると、松尾芭蕉が登場する。
ゲームの要素が強かった連歌から「五・七・五」だけを取り出し、研ぎ澄まされた言葉で後世に残る芸術的な句を詠んで世界的にも知られるようになった。
ちなみに、たった17文字の詩を「俳句」と名づけたのは明治の俳人・歌人の正岡子規。
俳句に必ず季語を入れるというルールができたのも、実は意外と最近の話で明治時代のことらしい。
しかし、季語そのものは平安時代から使われていた。
能因法師がまとめた和歌の学問書『能因歌枕』では、月別に分類された150の季語を確認することができる。
聞けば誰もがその季節をイメージできる季語ではあるが、1年中見ることができる「月」が「秋に見るのがいちばん美しい」という理由で秋の季語となっているなど、端々に日本人ならではの美意識が感じられる。
最初は150ほどだった数も、どんどん変化する日本人の生活を反映して今や5000以上。
季節ごとに分類されて「歳時記」や「季寄せ」と呼ばれる季語の辞書に収められている。
なお、季節の区切りは旧暦に従っているため、実際の季節を1カ月ほど先取り。
たとえば「春」は2月4日(立春)から5月5日(立夏の前日)までとされている。
春を表す美しい日本語
入学や就職など、新しい季節のスタートともいえる春。
美しい桜や梅なども見頃になる春には、なんといっても華やかさがある。
しかし華やかさの反面で、儚さや侘しさといった、そこはかとない寂寥感に襲われる。
それは桜の花が散るが如く。
そして春が別れの季節でもあるからだろう。
そんな儚くも美しい春を言い表す日本語には、いったいどんな言葉があるのだろう。
ほんの一例だがご紹介しよう。
- あけぼの
「あけ」は夜明け、「ぼの」は「ほのぼのとした」という意味合いを表す。
そのふたつが合わさることで、「赤や紫に淡く染まる、ほのぼのとした夜明け」を表している。
春の夜明けを表す意味で「春曙(しゅんしょ)」とも言われる。
例文:あけぼのの色がほのかに空を染める今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
- 山笑う
春は山に生える草木が芽吹いて全体が明るい様子になることから、「山がまるで笑っているかのように見える」という意味を表している。
春を表す俳句や短歌、手紙の時候の挨拶などによく使われる。
例文:山笑う季節となってきましたが、元気でお過ごしでしょうか。
- 春たけなわ
春と、「真っ盛り」「真っ最中」という意味のたけなわを組み合わせた言葉。
「もっとも春らしい時季」という意味で、時候の挨拶でよく使われる。
3月中旬~4月上旬頃に使うと良いだろう。
例文:春たけなわのこの頃、合格の知らせに胸を高鳴らせています。
- 陽炎(かげろう)
地面や野原から気が立ちのぼり、「景色がゆらめいて見えるさま」という意味。
陽炎は春だけの現象ではないものの、春の暖かさを感じさせるという理由で、春の季語として使われている。
例文:野に陽炎が燃え立つ季節がやってきました。
- 春愁(しゅんしゅう)
春の華やかな季節にふと感じるもの悲しさ、わびしさ、哀愁を表した言葉。
主に、4月の時候の挨拶に用いられる。
四字熟語に「春愁秋思」という言葉があるが、これは春に感じる哀愁と、秋に感じるもの悲しさの両方を表した言葉となる。
例文:春愁の候 行く春が惜しまれますが、いかがお過ごしでしょうか。
- 霞の衣(かすみのころも)
春に霧が立ち込め霞みがかった様子を、「まるで春が衣をまとっているように見える」と表した言葉。
平安時代末期の歌集『山家集 上巻』では、「山桜 霞の衣厚く着て この春だにも 風つつまなむ」と歌われている。
例文:裏山の木々は、まるで霞の衣をまとっているようです。
- 花筏(はないかだ)
桜の花びらが水面に散り、まとまって筏のようにゆったり流れていく様子を表している。
桜が散ったことが伝わってきて、春の終わりを感じさせる。
春の季語として俳句にも使われる言葉でもある。
例文:水面に漂う花筏が趣深い季節になってまいりました。
- 忍冬(すいかずら)
常緑木である忍冬は、初夏から夏にかけて葉っぱの間から香りの良い白い花が咲く。
冬の寒さを忍び、春に花を咲かせることから、この名前が付けられた。
初夏や夏の訪れを表す言葉としても使わる。
例文:忍冬に 眼薬を売る 裏家かな(正岡子規)
- 雪洞(ぼんぼり)
「あかりをつけましょ ぼんぼりに~」で有名なひな祭りの歌に登場する「ぼんぼり」。
お内裏様とお雛様の左右脇に置いている灯のことで、漢字で「雪洞」と書く。
もともとは囲炉裏の炭を長持ちさせるためにかぶせていた覆いを指し、かつては音読みで「せっとう」と呼ばれていた。
白い紙でつくられ、穴が開いていたため、雪の洞窟に見立てられたことから「雪洞」と名付けられた。
「せっとう」でロウソクの灯りなどを覆うと、灯りがぼんやり見えたことから、ぼんやり、ほのか、という意味を持つ「ぼんぼり」と言われるようになったとされている。
最後に
何かと合理化を求められる昨今、手紙はおろか、メールですら要件を伝えるのみのツールと化してきている。
時候の挨拶は時間の無駄というわけだ。
ビジネスシーンにおいては、それも仕方ないのかもしれない。
だが、例えば遠く離れた大切な人に、たまには直筆で手紙を書いてみるのも良いではないか。
その時は、粋な時候の挨拶でも添えてみたらどうだろう。
その手紙はもらった時はもちろん、いつか読み返した時、素敵な思い出になるのではないだろうか。
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