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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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美しき日本語の世界。[其の十一]

 

 

 

 

其の十一

美しき日本語の世界。

 

 

海外の人が感嘆する「日本の考え方・言葉」

 

 

我々が何気なく使っている日本語の言葉には、海外の人の胸を打つものがあるようだ。

科学ニュースサイトのZMEサイエンスは、日本は最新技術で知られるとともに古くからの哲学を持つ国だと説明している。

また、親日国としても知られるトルコのデイリー・サバ紙は、長寿国・日本の考え方をぜひトルコも取り入れるべきだと説く。

「侘び寂び」は日本固有のコンセプトとして有名だが、意外にも「木漏れ日」などのワードも海外にはない表現となっているようだ。

海外のメディアも注目する日本語には、いったいどんな言葉があるのか注目してみた。

 

 

侘び寂び(わびさび)

 

仏教に由来する「侘び寂び」の考え方は、儚さや不完全さを認め、そこに未完成の美を見出す思考を表現したものだ。

常に完璧とはいかない人生のなかで、完全を目指す重荷から解放され、未完成な自分を楽しむコンセプトとして海外で理解されているようだ。

 

 

もったいない

 

「もったいない」は食べ物を無駄にせず、限られた資源を大切に扱うという思想が宿る言葉だ。

英語でも「wasteful (無駄が多い)」との言葉はあるものの、やはり「mottainai」はモノを大切にする日本で重視されているワードとして知名度が高い。

 

 

生きがい

 

「生きがい」は、英語では「A reason for being (存在の理由)」とも訳される。

自分なりに人生の意義を見出し、そこへ情熱を傾け一日一日を大切に生きる。

仕事であれ趣味であれ、生き生きと毎日を過ごすための秘訣として海外でも注目を集めているワードである。

 

 

改善

 

仕事に関連して、もうひとつ有名な日本のコンセプトがある。

もはや英語として通用するようになったカイゼンだ。

トヨタの工場における、効率を継続的に高めていく手法として知られるようになった。

日々の好ましい習慣を習得する方法として、日常生活でも取り入れようとしている人々は多い。

 

 

 

「和を以て貴しとなす」。

日本人は争いを好まず、全体の和を尊重するとよくいわれる。

争いがまったくないわけではないものの、社会や集団の整合性を重視し、ときに個人の感情を表に出さないことは、良くも悪くも「和」の精神の表れと言えるだろう。

 

 

渋い

 

余分なものを付け足さず、シンプルさのなかに美を見出す。

これが「渋い」の真髄といえるかもしれない。

自然さ、謙虚さ、不完全さ、そして「ハレを追求せずケを良しとする※」姿勢など、複数の観点を総合した複雑な概念が込められている。

 

※「ハレとケ」とは、柳田國男氏によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ。

民俗学文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表している。

 

 

おもてなし

 

オリンピック招致のスピーチを通じ、海外でも知られることになった。

見返りを期待せず、最高の待遇で迎えることを意味する。

「おもてなし」の精神を海外では、日本社会に深く根ざした重要な文化の一部だと受け止められている。

 

 

桜梅桃李(おうばいとうり)

 

こちらは少し難しく、日本人でも耳慣れない言葉かもしれない。

桜・梅・桃・李(スモモ)がそれぞれの姿で美しく咲き誇ることから、他人と自分を比べる必要はなく、自分らしく誇らしげであろうというコンセプトである。

 

 

思いやり

 

自分の考えはいったん置いて、相手の心情を汲み取ろうとする考え方である「思いやり」

なかなか無私の心を得るのは難しいが、それでも相手の立場を尊重する教えとして、海外のビジネスや教育の場で導入が試みられることがあるようだ。

 

 

木漏れ日

 

森に茂る木の葉の隙間から、太陽の光が優しく洩れてくる「木漏れ日」

世界中どこにでもありそうな現象でありながら、この状況を指す専用の言葉が存在するのは、どうやらほぼ日本語のみのようだ。

 

 

 

根底にあるのは「察しと思いやり」の文化

 

 

海外の人が感嘆する日本の考え方や言葉の根底にあるのは、「察しと思いやり」の文化である。

例えば日本人は過ぎた自己主張を好まない。 

学校教育や企業研修などでディベート・スキルを磨く練習をするなど、自己主張が推奨されるようになってきたが、自己主張が苦手だと感じている日本人は少なくないはず。

そこには、日本人特有のさりげないやさしさ、相手に負担をかけないように配慮するやさしさなどが文化として根付いていることが影響している。

言わずもがな、「察しと思いやり」の文化である。

日本人は自己主張が苦手だが、グローバル化の時代だから、ちゃんと自己主張できるようにならなければといわれ、学校教育や企業研修でもディベート・スキルを磨く練習をするなど、自己主張が推奨されるようになってきた。

それにもかかわらず、相変わらず自己主張が苦手な日本人が圧倒的に多い。

今どきの若者は自己主張が強いといわれたりするが、それでもかなり気を遣っており、自己主張は苦手だという者が多い。

他の人が言った意見が間違っていると思っても指摘できない、こんなことを言ったらさっき意見を言った人が傷つかないかなと思ったりしているうちに、発言のタイミングを逸することが多いという意見が多数を占める。

そのような心理には、多くの日本人が共感できるのではないだろうか。

私たちは、自己主張しないようにと意識しているわけではないが、無意識のうちに自己主張にブレーキがかかる心の構造を持つのである。

どこまでも自己主張する心を文化的に植えつけられている欧米人と違って、我々日本人は意見をいう際に、自分の意見を無邪気に主張することなどできない。

ものごとにはいろんな側面があり、いろんな見方があることがわかる。

相手の立場や気持ちを思いやる心を文化的に植えつけられているため、自分の見方を堂々と主張するようなことはし難い。

自分の立場のみから自己主張するのは、思いやりに欠け、自己中心的でみっともないといった感覚がある。

だから自己主張がし難いのだ。

自己主張が苦手なことに対して、「自分の意見がない」などと批判されることが多いが、けっして自分の意見がないわけではない。

「こうしたい」「こうしてほしい」「こう思う」といったものは当然ある。

ただ、相手の視点も理解できるため、自分の見方だけを一方的に主張するような自己中心的な行動は取れないということなのである。

ゆえに、欧米式に遠慮なく自己主張する人物に対しては、「利己的で見苦しい」と感じてしまう。

そんな自分勝手な自己主張をしたら、相手に対して失礼だし、相手の気持ちを傷つけるではないかと思う。

だから遠慮なく自己主張するなどということができないのだ。

そのように自己主張が苦手な心には、ある意味でやさしさが溢れているといえないだろうか。

 

 

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