#124
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
尾藤多恵(映画『ちひろさん』より)
尾藤多恵は、ちひろが働くのこのこ弁当店長の妻。
ちひろが尊敬する数少ない女性。
一年前階段から転落する事故で視力を失い長期入院している。
ちひろとは風俗嬢時代から知り合いだが、ちひろは「ゆきえ」と名乗って見舞いに通っていた。
あなたなら
どこにいたって
孤独を手放さずにいられるわ
人と人との繋がりを盲信的に重んじる傾向がある近頃の風潮とは、真逆をいくような言葉。
孤独を嫌う人にとっては、これのどこが名言なのかと疑問に思うだろう。
だが、そもそも孤独というものを勘違いしている人が多すぎるのだ。
孤独とは、単に精神的なよりどころとなる人や心の通じあう人などがなく、寂しいことを指すわけではない。
人間の精神性において、孤独は必ずしもネガティブなものというわけではないのだ。
ドイツの哲学者マックス・シュティルナーが「孤独は、知恵の最善の乳母である」という格言を残しているように、孤独状態において人間は自分の存在などについて考えること(哲学)を強いられ、その結果、創造性や想像力などに繋がると多くの哲人は結論付けた。
日本の禅宗では、他者とだらだらと会話をするようなこと、おしゃべりをするようなことはできるだけ避け、ひたすら「座る」、つまり座禅を組んで自分自身の心を観ずるという修行を行っている。
また、暗く沈んだ気持ちにある者に励ましを入れたがる人が多くいるが、励ましがむしろストレスとなる場合もある。
特にうつ病では、激励をしてしまうことは、むしろ医学上の禁忌となっている。
このように人間にとって孤独とは、自分自身と向き合うための、かけがえのない大切な時間なのである。
それが最近ではどうか。
SNSの発達は、人との繋がりを安易にした代わりに、人から孤独を奪ってしまった。
自分自身と向き合う時間を奪ってしまった。
人はひとりでは生きられない、厄介な生き物ではある。
しかし孤独を知らない人間というのもまた、非常に厄介な存在なのだ。
簡単に繋がれる関係は、切ることもまた簡単である。
故にそういう人間の大半は、他人の痛みに鈍感になっている。
人間関係の繋がりが浅いから、そこまで思いを巡らせない。
だから他人の心を、無自覚に、土足で踏みにじる。
人間関係が軽くなった分、自分たちの人間性も薄っぺらくなっていることに気づかない。
さらには、そんな付き合い方が推奨されているから始末が悪い。
人間は今、一元化されつつある。
人間がAIに取って代わられるようなもの。
これは危機なのだ。
アイデンティティを失ってしまう前に、人は孤独を取り戻すべきである。
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