其の十七
美しき日本語の世界。
幾重にも張り巡らされた粋な謎かけで大ヒットしたおはぎ
時は幕末、江戸時代末期
どんな時代の庶民でも、必ず持っているのが権力者への不満である。
お上だろうと誰だろうと、とりあえず文句を言ってみるという姿勢は、今も昔も変わらない。
江戸末期の日本は開国によって一気に貿易量が増えたはいいものの、日本の小判が海外へ大量に持ち出されたり、これまでの流通の仕組みが崩されたりして、凄まじいインフレに陥っていた。
インフレで生活が苦しいのは幕府のせい!
庶民はこう考えた。
この頃、悩める庶民の支持は孤独に戦い続ける長州藩に集まっている。
外国にはコテンパンにされ、幕府からは長州征伐で攻め入られ、まさに泣きっ面に蜂状態の長州藩。
第一次長州征伐で幕府の命を受けた各藩兵士が長州を目指し進軍していた頃、京都ではある商品が大ヒットしていた。
長州おはぎ
この長州おはぎ。
別に長州藩特製のおはぎでもなければ、復興支援の特別商品というわけではない。
この機に京都の商人が勝手に作った代物である。
中身はいたってシンプル。
何の変哲もない、そこいらで売っているただのおはぎが三つ並んでいるだけ。
しかし、
- おはぎを選んだこと
- 並べ方
- 値段
に、京都の人たちの遊び心と知恵が隠されていた。
- おはぎが三つ
- 三角に並べられている
- 値段は36文
まず、おはぎは長州藩の中心都市・萩にちなんでいる。
現在の山口県の県庁所在地は瀬戸内海に面した山口だが、当時は日本海側の萩に藩庁が置かれていた。
1600(慶長5)年、関ヶ原の合戦で西軍の総大将だった毛利氏は戦後に領地を大幅に削られて防長二カ国に封じ込められてしまうのだが、同時に海運の利点がある瀬戸内海側に城や藩の中心地を建てることも禁じられ、ずっと交通に不便な日本海側でしか、城下町を造成できなかったのだ。
そしておはぎを三角に並べるのは、毛利家家紋の「一文字に三つ星」を象ったもの。
さらに36文という値段には、長州藩の表高である36万石に因んでいた。
どれをとっても、まさに長州づくしでアイデアものだが、売買時にもイタズラ心溢れるルールが設けられていた。
粋すぎる売り文句と買い文句
長州おはぎを買う人は、必ず「まけてくれ」と値切り、売る人は「絶対にまけない」と断るという作法になっていた。
なぜそんな回りくどいルールを設けたのか?
そこには庶民の粋な心が溢れる知恵が隠されていた。
この売り文句と買い文句には、実はもうひとつ、別の隠れた意味が込められている。
買い手と売り手の台詞に隠された意味とは、「(長州は幕府に)負けてくれ」「(長州は幕末に)絶対に負けない」というものだったのだ。
今とは違い、絶対王政状態の江戸時代にあって、庶民は大っぴらに幕府を批判できない。
だからこうして溜飲を下げていたのだ。
意味が真逆の青餅もヒット
さらに翌年の1865(慶応元)年に徳川慶喜が第二次長州征伐を企てた時には、またも京都で青餅がヒットしている。
青は葵に通じ、徳川将軍家の「葵の御紋」を表した商品セレクトだった。
もちろん売買時の掛け合いも健在。
今度は買う側が口にすることになっている「まけてくれ」というセリフは、ストレートに「(幕府が)負けろ」という意味になり、売る側の「絶対まけない」のセリフには、「(青餅=幕府は)最初から負けている。だから(これ以上は)負けない」という意味になる。
権力からの抑圧に対し、批判する側も趣向を凝らして反撃する。
批判が禁止されている事柄を巧みに言い換えて楽しむという試みは、歌舞伎の演目で多くみられるが、江戸時代の庶民だって負けてはいない。
微笑ましくもエスプリの効いた、京都の人たちの反逆であった。
見習いたい反骨精神
政府の悪政に洗脳されて、すっかり飼い慣らされてしまった現代人には是非、見習ってもらいたい江戸時代の庶民の心意気。
このような庶民の小さな反抗も、維新を少なからず後押ししたことは疑いようもない事実である。
粋な日本人気質を取り戻すということは、日本国の誇りをも取り戻すことになるのではないだろうか。
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