其の十九
美しき日本語の世界。
知っておくべき「平等」「公平」の意味と違い
同じような意味合いを示すものの、微妙な違いを持つ日本語はたくさんある。
「平等」と「公平」も、そうした言葉の一種だ。
多くの場合、これらの違いはあまり意識されまない。
だが実際にはそれぞれ個別の特徴がある。
そして、その違いを理解することが、我々の生活にも直結してくるのだ。
今回はこの二つの言葉の意味や違いをみることで、この言葉を発する意図を考えていきたい。
「平等」
「平等」とは、偏りや差別が無く、みな等しいこと。
仏教用語では、物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であることを意味し、個人間に、あるいは集団間に、なんらの差別もない状態をいう。
例えば、法の下の平等、両性の平等、国家間の平等などがその例であるが、ここで知っておくべきは、全ての国家・社会には、常に(多数派が公平感・平等感を感じられるような)平等主義へと促されていく潜在的圧力が掛かり続けているということである。
「公平」
「公平」とは、公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということである。
人間には、「先に手を出したもの勝ち」とか、偏り、えこひいき、仲間外れなどがつきものである。
公平とは、義務履行の結果として、平らに報じるとの概念である。
判断や処理などがある方向に偏ったりしないことや、そうしたさまを指す。
「公に平等」という意味の公平であるが、実際には「平等」とは異なるものといえる。
例えば、3個のリンゴを3人で分けるとき、1人1個ずつなら平等かというと、リンゴの大小や味などの要素があり、厳密には異なる。
大きさについては、歳の順で年少からあるいは年長から大きいものをとっていくなどという決め方も考えられるが、味のほうは外見ではわからないので、結果が平等とは限らない。
また、カステラを3等分する場合、もし金尺とノギスを使って厳密に測って3等分しようとしても、真ん中と端では異なる。
そもそも、物差しがあってもふつうは目測で3等分することになる。
厳密に3等分されることは期待できないので、おおよそ3等分だろうというところを切り、切らなかった人から好きなところを取っていくなどのやり方をしたり、あるいはじゃんけんで決めたりする。
「私はカステラが嫌いだから2人で半分ずつにしてくれ」と1人がいう場合もあるだろう。
いずれも、少なくともその場にいる3人が納得していれば、「平等よりは公平がふさわしい」場合といえる。
「平等」は弱者を追い詰める。重要なのは「公平」だ。
「平等」と「公平」。
今一度、それぞれの言葉の意味を調べてみよう。
「平等」とは「差別がなくみな一様に等しいこと」。
「公平」とは「すべてのものを同じように扱うこと。判断や処理などが、かたよっていないこと。また、そのさま」である。
「平等」な状態を生み出すためには、それぞれの状況に応じて待遇を変える等、「公平」な判断が求められるということになる。
したがって、当事者間や第3者に求められるのは、まず「自分とは異なる人(行動様式や価値観など)がいる」ということを認め、次にその「異なる人」を理解して、互いに折り合える地点を模索することが必要であるといえるのではないだろうか。
では、今の日本の現状はといえば、どういう状態なのかを考えてみる。
日本は「平等」な国なのだろうか?
「公平」な国だといえるのだろうか?
「平等」という、政治家やマスコミが遣う耳触りの良い言葉に騙されてはいけない。
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