其の二十八
美しき日本語の世界。
一度でいいから格好良く遣ってみたい故事成語
故事成語とは、ある故事がもとになってできた言葉のこと。
故事とは昔の出来事のことで、故事成語のほとんどは中国の古典に書かれた話からできている。
元々は中国の故事を由来とする表現ではあるが、日本の文化と融合して発展・定着した故事成語は、もはやれっきとした日本語だといえよう。
天網恢恢疎にして漏らさず
天の神が地に張り巡らした網の目はゆったりして粗いようであるが、悪いことを犯した人はひとりも決して漏らすことはなく、取り逃さずにそれに搦め捕られる。
すなわち、悪事を行えば、一時的には逃げおおせるなどうまくいったように見えるが、結局は、捕らえられる乃至その報いを受けるということ。
天道は厳正であり、悪いことをすれば必ず報いがある。
「天網(てんもう)」とは、天の張りめぐらす網のこと。
「恢恢(かいかい)」は、広くて大きい様。
「疎(そ)」は、目が粗いこと。
この言葉が好きな理由は、響きの格好良さがもちろんある。
類語には「悪いことはできない」や「お天道様はお見通し」があるが、遣い熟せればダントツで頭が良さそうにみえるであろう点も魅力。
何より世の中こうであってほしい、こうであるべきだと本気で思っていることが大きい。
特に、国を滅ぼしてでも私腹を肥やし続ける政治家たちには因果応報を。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
小さな鳥にどうして大きな鳥の心がわかるだろうかという意味。
小さな鳥には大きな鳥の志は理解できない。
転じて、つまらない人物には大人物の遠大な志はわからないということ。
「燕雀(えんじゃく)」は、「つばめ」と「すずめ」のこと。
「鴻鵠(こうこく)」は、「おおとり」と「くぐい」という大きな鳥のこと。
大っぴらに言ってしまえば角が立つ言葉でも、故事成語を遣えばスマートに聞こえるから不思議だ。
おまけに意味を知る人も少ない(たぶん)から、対象となる相手に堂々と言い放ってしまってもたいした問題にはならなそう。
皮肉にだって知性を込めたい人にはおすすめの言葉である。
故事成語は成り立ちを知ればなおさら面白い
故事成語は、成り立ちを知ればなおさら面白い。
成り立ちさえ知ってしまえば、言葉の意味はわかったも同然。
例えば、前述した『燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや』。
成り立ち
昔々の中国。
秦(しん)が中国を支配したとき、陽城(ようじょう)に陳渉(ちんしょう)という男がいた。
小作人として働いていたが、耕作の手を休めて畔(あぜ)に行き、身の上を嘆くことしばらくして言った。
「もし自分が偉くなったらお前たちのことを忘れずにいてやろう。」
すると仲間たちは、笑って答えた。
「お前さんは人に雇われて耕している。なんで富貴を望めようか。」
陳渉はため息をついて言った。
「ああ、燕や雀のような小鳥に、どうして鴻(おおとり)や鵠(くぐい)のような大きな鳥の気持ちがわかるだろうか。」
陳渉は秦に対して、初めて反乱を起こした人物で、一度は楚(そ)の王となった人物である。
しかし結局は失敗して、天下を取ることはできなかった。
しかし、司馬遷(しばせん)は、彼のそうした先駆的な行動を、独自のものと評価し、『史記』の中で、諸侯の記録である世家(せいか)に入れている。
いかがだろう。
成り立ちを知ったら、すんなり意味が入ってきたのではないだろうか。
故事成語は、成り立ちこそ一番面白い。
著者はそう思っている。
しかしいかんせん、実際の遣い所はすこぶる難しいのが故事成語。
いつか自然な流れでスマートに遣ってみたいものである。
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