世界が絶賛するデザイン
家紋
家紋とは
家紋とは、個人や家族を識別するために用いられる日本の紋章である。
日本では、構造的な類似性に基づいて241種類の一般的な分類がなされており(1つの紋が複数の分類に属することもある)、5116種類の個別の紋が存在する(ただし、この分類に含まれていない失われた紋や無名の紋が存在することもよく知られている)。
現代でも、日本人は冠婚葬祭用の着物や墓石などに、自分の家の家紋を使うことが多い。
そのモチーフは、古くから日本で親しまれた植物や動物、星などであり、デザインを細かく分類すると3万種類以上の家紋が存在するといわれている。
家紋のおこり
家紋が誕生したのは、王朝文化が栄えた平安時代(8世紀後半~12世紀後半)の後半。
当時、貴族たちが、自分の所有する牛車(牛が牽引した車)に独自の文様をつけ、ひと目で誰のものなのかが分かるようにしたことが家紋の始まりとされる。
華やかな暮らしぶりが伝えられる平安時代の貴族たちは、自分の牛車につける文様の優美さや縁起のよさを競い合った。
しかし、本来の目的は文様を使って身分や家系、階級を表すことであった。
やがて、この文様が "家" や "一族" を表す標章としての家紋に発展していくこととなった。
鎌倉時代(12世紀末~1333年)になり、武士の世になると、戦場で敵と味方を識別し、一族の武功を誇示するため、武家が家紋を使うようになった。
それぞれ、武運を上げるものや子孫繁栄などの思いが込められている。
実際に、戦場で目立つように陣地に掲げる陣幕や旗、鎧兜にも、こうした家紋が付けられることが多かった。
戦乱の世が終わり、江戸時代(17世紀初頭~19世紀後半半ば)になると、町人も家紋を使うようになった。
当時、多くの庶民は苗字を名乗ることを禁止されていたが、家紋を持つことは禁止されていなかったため、家をひと目で識別できる家紋が苗字の代わりに用いられることが多かったという。
1868年、江戸時代が終わり、日本は近代化が始まった。
1875年、新政府が公布した法令により、原則として公家や武家に限られていた苗字をすべての国民が持つことになった。
新たに苗字を名乗るようになると、それを機会に、家紋についても出自に沿った家紋を用いたり、それまで名字を持っていなかった者は土地の名士の助言を得て家紋を設定したりした。
また、新たに分家を構えるときには、本家の家紋を丸で囲むなど、少しだけ変えて使われるなどの例も多く、家紋の種類は増えていった。
例えば、日本の家紋の典型例として有名な、キリをモチーフとした家紋「桐紋」は、葉の描き方や花弁の個数など、実に多種多様なバリエーションがある。
代表的なものとして、花の数が、五、三、五つの順に並んでいる「五三の桐」、五、七、五つの順に並んでいる「五七の桐」と呼ばれているものがある。
日本の家紋は、モチーフの豊富さと文様の高い意匠性に最大の特徴があるといえるだろう。
日本四大姓
源平藤橘
「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」と呼ばれる源氏、平氏、藤原氏、橘氏といった強力な氏族が最も名を馳せていた時代、地方に移り住んだ氏族の一部が他の同じ氏族の人間と区別を図るため土地の名前などを自分の家名(屋号)とし、それが後の名字となった。
家紋は家の独自性を示す固有の目印的な紋章として生まれ、名字を表す紋章としての要素が強い。
源氏
源氏の家紋は「笹竜胆紋」であるといわれているが、源氏の流れは清和源氏・村上源氏・嵯峨源氏・宇多源氏など 十六もの流れがあり、当然家紋も「笹竜胆」だけではないのは当然のことだろう。
平氏
いくつかの流れに分かれたが公家の平氏が 「蝶紋」を用いている。
蝶紋が平氏の代表紋のようにいわれるが、実際のところは少数派といえそうだ。
藤原氏
藤原氏は日本屈指の大族。
日本史上の長い年月にわたって一族が活躍している。
中央にあって公家として活躍した流れと、地方に下って武家として発展していった藤原氏に分けられる。
橘氏
橘氏は敏達天皇を太祖とする氏族で、橘朝臣の姓を賜与された葛城王が橘諸兄を称しことに始まる。
諸兄ののち公家社会では急速に勢力を失い、下級官人として系が伝えられた。
南北朝時代の楠木正成は橘氏の後裔というが、その真偽は定かではない。
家紋由来のシンボルマーク
企業や地方公共団体のシンボルマークや旗章にも伝統的な家紋を利用したデザインのものが見られる。
たいていは、企業であれば創業家やパトロンの家紋、地方公共団体であれば、その地に縁の深い人物(その地を支配していた大名家など)の家紋が利用される。
デザインとしては、以下の形で利用される。
- 家紋を元に新しいデザインを作る(三菱グループのスリーダイヤなど)。
日本人だからこそ改めてその魅力を再認識すべき家紋
家紋が本格的に世界にお披露目されたのは、日本の美術工芸品などを出展した海外博覧会。
1867年のパリ万博をきっかけとして大流行となったジャポ ニズムの影響で、家紋にもスポットライトが当たった。
家紋は海外のデザインにも通用する美しさを持ち合わせており、捉え方と表現の仕方で何様にも変化するモチーフとして注目を集め、ヨーロッパでも家紋をアレンジした商品開発を行うメーカーが出始めた。
その代表例として知られているのがルイ・ヴィトンである。
パリ万国博覧会で、薩摩・島津家の家紋の入った品を見たルイ・ヴィトンの関係者がその家紋の美しさに惚れ込み、家紋をヒントにモノグラムのデザインが考案された。
モノグラムの星のデザインは島津家の家紋「丸に十の字」を、花のデザインは 「横木瓜」をアレンジしたものだ。
さらに代表的な事例を紹介すると、日本航空はフランス人デザイナーにロゴマーク作成を依頼した際、「日本には家紋という素晴らしいデザインがある」 と、家紋「鶴丸紋」にアレンジを加えたロゴマーク(JASとの合併前)を作成した。
三菱の社章も、家紋(三階菱、正確には「重ね三階菱」と「三ツ柏」を組み合わせたもの)をアレンジしたデザインとなっている。
このように世界が絶賛した家紋は、残念ながら現在の日本人には廃れてしまっている。
あなたは自分が使うべき家紋を知っているだろうか?
ご年配の方はともかくとして、ほとんど若い人には無関心なもの。
それが家紋への今の認識なのだろう。
だからこそ、今こそ改めて我々日本人がその魅力を再認識すべきなのである。
家紋に見られる巧みな造形表現は、時の今昔を問わず、洋の東西を問わず、人の 目を惹く視認性と訴求力を持っている。
家紋のデザ インは日本人の美意識の結晶であり、これからも日本が育んだデザイン文化として、末永く後世に受け継がれていかなくてはいけない。
何より、家紋も知れば知るほど面白いのだから。
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