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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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【心に沁みる名言『鞠谷アンジュ(ラジオドラマ「NISSAN あ、安部礼司 ~BEYOND THE AVERAGE~」より)』】今日を精一杯生きるために…。#173

 

 

 

 

 

 

 

#173

心に沁みる名言

 

 

今日を精一杯生きるために…

 

 

明日ではなく今日。

今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。

 

 

 

鞠谷アンジュ(ラジオドラマ「NISSAN あ、安部礼司 ~BEYOND THE AVERAGE~」より)

 

 

「今さら聞けないこと、ありますか?」

 

みなさんは、ありますか?

今さら恥ずかしくて、ひとに聞けないこと。

我らが安部礼司には、今さら聞けないことが、たくさん、あるようです。

そんな中、あの男がやってくる!

最近、神保町にコワーキング・スペース「ミタライ・ベース」を開業した、安部礼司と同い年の、御手洗到来(みたらい・とうらい)。

コミットしすぎる暑苦しい店主は、雨越虹花と古巣畑大二郎が気になって仕方ない様子。

二人にどんな化学反応をもたらすのか。

一方、鞠谷アンジュと、大野マジカ・アメージングは、会社の屋上で何やらまったりとおしゃべり?

今回も、何かが起こりそうで、何も、起きない(?)

 

ラジオドラマ『NISSAN あ、安部礼司 ~BEYOND THE AVERAGE~』 「今さら聞けないこと、ありますか?」でのヒトコマ。

 

 

私を傷つけるのも人間だけど

 

私を癒してくれるのも人間だ

 

 

あ、安部礼司です。 コミック 1-3巻セット (主婦と生活社)

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人は善根をなせば必ずさかう。

性善説性悪説

これは人間の性質に関する考え方で「人はみな生まれつき善の性質をもつ」とする説と「悪の性質をもつ」とする説である。

古代中国の儒家孟子荀子の説に由来し、日本では明治時代に哲学・倫理学の問題として再解釈された。

こういう話をしだすと、決まって人間を信用してかかるか疑ってかかるかという極論に発展しがちだが、一定数のそうした理解の定着が性善説性悪説への(意図的な?)誤解を生んでしまっている。

現代日本性善説は「すべての人は無条件に善人である」とされることが多いのだが、この使い方は間違っている。

孟子は「人間は生まれつき身の回りの人間関係に心を配り、正しい言動をとる能力があるものの、それは年齢を重ねるにしたがってダメになる場合がある」と言っている。

対して性悪説は、人間の心には生まれつき善と悪があるとした。

これはちょうど、心を○で表して真ん中に縦線を引き、左右を善悪で分けるイメージである。

そのうえで、悪の部分を強調したのが「性悪説」になる。

そしてこれは、善の部分を強調した性善説と同じ心の理解である。

 

性善説

 

孟子が唱えた、人間は本来善なるもので、教育によって主体的に努力するようになるという考え方。

 

性悪説

 

荀子が唱えた、人間は本来悪なるもので、努力や修養によって善の状態に達することができるという考え方。

 

性善説性悪説は、一見反対の言葉のように捉えられがちだが、どちらも「人がより素晴らしい存在になるには、どうすれば良いか?」という問いから始まっているのだ。

性善説性悪説にはまた、教育の重要性を説いているという共通点もある。

つまり、性善説性悪説はどちらも同じ心のイメージを持っており、善と悪、どちらに注目すべきかで対立しているだけである。

そしてこの善悪は、社会性の有無で説明できる。

すなわち、人間は生まれつき社会的な言動をとる心(善)があるものの、一方で身体的な快楽や利益の独占を求めて人々と争う心(悪)がある。

性善は放っておいても問題ないが、性悪は矯正しなければ社会を壊す。

よって性悪を強調して矯正を図るのである。

現代は性悪説に立つ人が圧倒的に多いといわれているが、コンプライアンス意識の高まりとともに、性善説にシフトしようとする動きもみられる。

人間は人づきあいをし、組織に所属する中で、少なからず喜びや失望を感じる。

そんなとき、「人間」という大きな主語で、信用できるかできないかを考えることはよくあることだ。

そこにそれらしく性善説性悪説と名づけることで、何となく証明された気持ちになる。

とはいえ、それはあくまでも個人的な喜びや失望を、理屈で正当化しているだけで、あまり意味がない。

みんなを信用してかかれば痛い目に遭うし、みんなを疑ってかかれば社会生活を送れない。

そんなことは自明であり、どちらも間違いだからだ。

つまり我々に今必要なのは性善説性悪説といった不毛な議論ではない。

「すべての人間は無条件に善人である」というのは、それこそ落語や講談に登場する人情の世界であり、いろんな悪事をはたらく人や、怠けてばかりで使い物にならない人であっても、どこかに優しさや愛嬌があり、またそうなってしまう事情があるという考え方である。

これは思想というよりも、むしろ庶民感情である。

江戸時代は武士が孟子をはじめとする儒教で倫理を学び、庶民は落語や講談で人情を学んでいた。

倫理と人情をすみ分けることで、性善説と人情の混同が起こらずにすみ、互いに日本社会を維持していた。

しかし近代にはそうした区分がないから、あっという間に人情一色になってしまった。

これが性善説を誤用する理由だろう。

お互いの信頼が低くなり、安心してよりかかれる共通の倫理がなくなってしまった現代日本では、人情の世界が通用しなくなった。

古来より日本人が大切にしてきた察しと思いやりの文化が衰退してしまったのも、そのせいである。

我々は日常生活で人間性を高めつつ、社会を少しずつより良いものにしなければならない。

性善説の「性」とは「生まれつき」という意味であり、「善」とは「倫理的」という意味である。

つまり、「人間は生まれつき倫理的である」というのが性善説の正しい意味になる。

現代日本で廃れてしまった人情の世界を回復するには、もう一方の倫理を回復する必要があり、そのためにはむしろ今こそ正しい性善説が必要なのである。

 

 

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