短編アニメーション映画
にわとりはじめてとやにつく
強制的にコミュニケーションを断たれた世代が考えるコミュニケーションの大切さ
短編アニメーション映画『にわとりはじめてとやにつく』とは
止まった時間を、再び動かすということ。
200x年、世界は「全ての生き物が生まれも死にもしなくなる」という未知の災害に襲われた生という無期刑を課せられた世界で男と少女は出会う。
人が生きる意味に迫った、SF短編アニメーション映画作品。
【キャスト】デザイナーの男:真田将太朗/墓掘りの女:若井杏里咲/観察者の男(山下):池田翔/医者:島多璃音
【スタッフ】企画:栗原侑莉 / 音楽:中村陽太 / 主題歌) 歌:愛祈、作詞作曲:kiki/ピアノ:玖吽 / ヴァイオリン:石塚万菜、倉沢茉紘
ヴィオラ:廣瀬瑠璃 / コントラバス:川村茜/録音(声優) 池田翔 / 録音(音楽) 佐藤匡介 / 録音助手:澁谷陽奈
監督:栗原侑莉(Kurihara Yuri)
「にわとりはじめてとやにつく(雞始乳)」とは
「にわとりはじめてとやにつく(雞始乳)」は、二十四節気の「大寒」の末候にあたる七十二候で、1月30日から2月3日頃を指す。
この時期になると、春の気配を感じたニワトリが卵を産み始めるという意味である。
「とや」は鶏が卵を抱いて巣にこもる「鳥屋(とや)」を意味している。
現在の鶏卵は生産管理され、季節を問わず供給されているので季節感がなくなってしまっているが、自然な状態であれば、冬の鶏はほとんど卵を産まなくなる。
その鶏が再び卵を抱いている姿を見ることは昔の人々にとって、長い冬が終わりを告げる印であり、大きな喜びでもあったことだろう。
この候は七十二候の最後にあたり、これを過ぎると暦の上では春の訪れを意識するものが増えていく。
あらすじ
その年に大学に入学した私たちは、何もできない、何かすることを許されない虚無感の中で日々をただ消費してた。
コロナ禍が明けかけた今も、失った時間を夢想し、有意義に時間を消費できなかった自分を責める。
…果たして本当に、何もなかったのだろうか。
果たして全ての時間が忌むべきものだっただろうか。
これは、少しだけ人生を振り返るための物語。
人はひとりでは生きていけない、生きていない
作品概要も見ずに観始めた本作から最初に感じたのは、『笑ゥせぇるすまん』と同じ世界観だった。
甘い言葉で人の心の闇に巧みに入り込む。
快楽に浸り切った人間は、結果的に報いを受けて自らの業の深さを思い知る。
本作の冒頭からはそういう印象を受けた。
こういう作品は深く考えさせられはするが、心の芯の部分に響きにくい。
ところがどっこい。
観進めると、これが以外と心に沁みる良作だった。
ーーーコミュニケーション障害(以後、コミュ障)と呼ばれる人がいる。
コミュ障とは、言語や対人スキルに問題があり、適切なコミュニケーションが難しい状態の人のことを指す。
だが、コミュ障と一括りにいってもコミュニケーションが苦手であるということを示した用語として使われる場合と、医学的な診断基準がある疾患として分類されている場合の2つがある。
後者は理解もするし、求められれば協力も厭わない。
問題は前者である。
ちょっと人見知りなだけ、ちょっと自分に自信がないだけ、あがり症なだけといった日常生活において、特に問題ないレベルの人たち。
彼らは意図的に他人との関わりを断つ傾向にある。
人見知りしない人なんて、自分に自信満々な奴なんてほとんどいないのに、自分だけが被害者面の特別扱い。
そんな調子だから周囲からも浮いていく。
他人から干渉されないことが心地良いから、それをいいことに、ますます他人との関わりを断つようになる。
結果、ひとりよがりのスタンドプレー。
自分だけが気持ち良いセルフプレジャー。
陰で誰かがそっと助けてくれていることにも気づかず、たったひとりで生きていると勘違いしている。
こういう大の大人の、なんと多いことだろう。
そんな孤独を気取る勘違いな大人にこそ、ぜひ観ていただきたい本作。
本作はコロナ禍、強制的にコミュニケーションを断たれた世代の作品である。
コミュニケーションしたくても、できなかった世代の作品である。
人はひとりでは生きていけない、生きていない。
たとえこの世がどんなに腐り果てても、他人との関わりを棄て、人は生きていけない。
改めて、そう感じさせてくれた本作。
何せ、コミュニケーションしたくてもできなかった世代が考えるコミュニケーションの大切さである。
表現のすべてに説得力がある。
孤独気取りで周りに居る人のありがたみがわからない人は、本作を観てよく知るべきだ。
孤独を気取っているうちは、本当の孤独を知らないということを。
作品を彩る「音」にも注目
本作は、東京藝術大学の卒業作品として発表された自主制作アニメーションだという。
自主制作アニメというと作りが荒いイメージがあるが、本作ななかなかどうしてかなりしっかり作り込まれており、そのクオリティの高さに驚かされる。
特に作品を彩る「音」が素晴らしい。
栗原侑莉監督曰く、
「映画は85%が音楽」という言葉を鵜呑みにし、予算の95%を音に注ぎ込みました!
音楽・音響はどんな映画にも負けないほど素晴らしいです。
なにせ名実ともに日本一の学生達がタッグを組んでいますから!映画表現の根幹に迫る音楽・サウンドデザインをどうぞお楽しみください。
らしいが、その言葉に偽りはない。
エンディングまでキッチリ作り込まれていて、とてもこれが自主制作とは思えないほど。
ただひとつ厳しいことを言うならば、作品のクオリティに対し声優さんの技量が足りていないと感じる部分があったこと。
特に、長尺名言の受けでタイトルの伏線を回収する大事なシーンで、少し棒読み感が目立ってしまった。
ただし残念というより、惜しいという程度。
そもそも自主制作レベルで、気になったところが「たったそれだけ」であること自体、とても凄いこと。
こういう若い才能の "これから" には、否が応でも期待が高まる。
いつか宮崎駿氏・細田守氏・新海誠氏(あるいは押井守氏・今敏氏・庵野秀明氏)と並び称される、日本を代表する監督になるかもしれない。
それほど高いポテンシャルを感じる栗原侑莉監督の、今後の活躍にぜひ注目していきたい。
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