落語『時そば』は現代のビジネスや日常に潜む思考停止への警鐘
落語『時そば』
「そばぁぅぃぃ」
天秤棒を担いで歩くそば屋を、いかにも江戸っ子の職人が呼び止めた。
「しっぽく一つこしらえてくんねえ。寒いねえ」
「今晩は大変お寒うございます」
「おめえんとこの看板は変わってるねえ。こりゃ的に矢が当たってて、当たり屋。いい看板だねえ」
看板を褒めているうちに、そばが出来る。
「おっ、早えじゃねえか。気が利いてるね。江戸っ子は気が短えからねえ」
割り箸を褒め、汁を一口飲んでまた褒める。
「鰹節をおごったね」
そばをつまんで、さらに褒める。
「いいそばだねえ。腰が強くって、ポキポキしてやがらあ。竹輪も厚く切ったねえ。なかなかこう厚くは切らねえもんだ。薄いと痛々しいやねえ」
やがて勘定。
そば屋が十六文だと言うと、職人は小銭を取り出し一枚ずつ数えながら、そば屋の手へ、
「一つ、二つ」
八つまできて突然、大きな声で、
「今何刻だい?」
そば屋が、
「へえ、九つで」
「十、十一、一二、一三、一四、一五、一六」
と銭を渡して行ってしまった。
この様子を陰からこっそり見ていたのが、ちょっとボーッとした野郎。
「あん畜生、よく喋りやがったなあ。はなから終いまで世辞言ってやがら。あんまりよく喋るから食い逃げかと思ったら、ちゃんと銭を払ってやがる。大体、そばは十六文って相場は決まってるんだ。それをわざわざ聞いて、じゃらじゃらと小銭を一つ、二つ…って。おまけに変な所で刻を聞くし…ってあれ?」
様子を思い出しているうちに、職人が一文誤魔化したことに気がつき、翌晩、小銭を用意し、真似してやろうとそばを食いに出掛けた。
「しっぽくこしらえてくんねえ。寒いねえ」
「へえ、今晩はお暖かいようですな」
「おめえんとこの看板は変わってねえ。こりゃ的に矢が…、当たってねえや。ずいぶんあっさりしてやんな。丸が書いてある。丸屋あ?ああ、そう」
と、なんだか上手くいかない。
そばの出来は遅いし、丼はヒビだらけ。
「こりゃあノコギリに使えていい」
などと無理に褒め、そばをつまんで、
「そばは細いほう…ん?これ、うどんなの?ああ、そば。そばも太い方がいいや、食い出があって。竹輪は…、おめえんとこは竹輪入れないの?えっ?入ってます?…あった、あったよ、丼にピッタリくっついて。こりゃあ薄いや。向こうが透けて見えた見えらあ。もっとも厚くたって紛いに麩を使っている店もある。おめえんとこは本物、あー、本物の麩だ」
とにかく勘定をということになり、ソワソワと小銭を取り出す。
「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、今何刻だい?」
「へえ、四つで」
「五つ、六つ、七つ…」
極めて有名なこの噺。
だが現代人の中には、このサゲ(オチ)の意味すらわからない思考停止人間がいる。
そんなだから落語が廃れていってしまうのだろう。
現代人こそ、想像力の鍛錬に落語をもっと聴くべきである。
なぜなら、こんなバカバカしい噺にだって、多少なりとも教訓が含まれているからだ。
二人目の男はそば代をちょろまかそうとして、結局多く払ってしまった。
なぜか?
最大の失敗は、「なぜ一文ごまかせたのか」という仕組み(ロジック)を理解せず、表面的な手順(八つの次は時間を聞く)だけをコピーしたことにある。
つまり理屈の理解もないまま、ただ模倣しただけなのである。
さらには、 他人の茶碗で楽をしようとした人間への皮肉と罰。
ついうっかりなら可愛げもある。
だが、それが思慮の浅はかさならいただけない。
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