日本映画
ごはん
※本稿はネタバレを含みます。ご注意下さい。
1杯の白ごはんの見え方が変わり、「いただきます」の言葉の重みがわかる、ある農家の物語
日本映画『ごはん』とは
就労者の平均年齢は65歳を超え、高齢化を高コストと引き換えに農作業の機械化で補っているのが日本の米作りの現状である。
この作品はそんな農家の現状を背景に、コメ作り農家を継ぐ事になった若い女性の奮闘を描く。
そこには大量の水田を管理しコメを作る、過結な労働としての農業があった。
2012年に発表された総務省の家計調査ではお米の消費額がパンのそれに逆転。
1キログラムあたりの値段はパンの半分にも満たない米。
米作り農家は決して儲かる商売ではないのである。
本作では、日本映画で描かれてこなかった米のリアルな生産過程と、日本映画史上もっとも美しく田園風景とその自然を映し出す。
撮影に要した時間は実に4年。
キャスト、スタッフの予定に加え、稲の成長、天候、実際の農作業の進捗状況などの複雑なスケジュール調整に手間取った。
また、いわゆる「美しい映像」だけでなく、娯楽として楽しめる作品を目指した。
映画を観終わったころ、主人公と共に観客は気づく。
全ての田んぼが過去から現在に至るまで、農民たちが必死に知恵を絞り時に敗北を味わいながらも戦い続けて残してくれた奇跡だと。
一杯のごはんへの感謝と慈しみを取り戻す。
それがこの作品の使命なのである。
あらすじ
東京でOLとして働くヒカリに父が急逝したとの知らせが入る。
彼女の父は京都で米作り農業を営んでいた。
幼い頃に母を亡くしたヒカリは仕事に明け暮れた父とはぎこちない間柄だった。
葬儀のために京都に戻ったヒカリ。
年老いた農家の人々に頼られ生前に父が引き受けていた田んぼが30軒分(15,000坪=約5ヘクタール)もあると知り愕然とする。
田植えが済んで1ヵ月が過ぎ、稲はどんどん成長していく。
「誰かが田んぼを見なければいかんのです」
足を怪我して入院中の青年源への頼みと、田を預かっている西山老人の、
「お父さんがあんなに頑張ってた理由を知りとうはないか」
との問いに、ヒカリは父の残した田んぼを引き継く事にする。
米作りの経験も知識もない彼女でしたが、さまざな人に助けられ、昔から伝わる先人の知恵を借りてひとり奮闘。
決して牧歌的ではない現代の米作り。
それは広大な田んぼと、一人の女性との命がけの戦いだった。
そんな中、仕事一筋に生きた不器用な父の思いをヒカリは少しずつ理解し始める。
やがて秋の風が稲穂の草原を渡る頃、想像もしなかった美しい奇跡が起こる……。
登場人物
- 寺田ヒカリ:演 - 沙倉ゆうの
- 源八(げんぱち、ゲンちゃん):演 - 源八(げんや)
- ヒカリの父:演 - 井上肇
- ヒカリの叔母敏子:演 - 紅壱子
- コンバイン営業員:演 - 小野孝弘
- 西山老人:演 - 福本清三
- コンバインを貸す農家:演 - 浅野博之
- ヒカリの母:演 - 森田亜紀
シナリオを犠牲にしてまで見せたかった、米作りの現実と日本の美しい原風景
タイトルからもお察しの通り、ごはん、つまり米作りをテーマに取り上げた本作。
タイトルはシンプルだが、かけられた手間と注がれた情熱は米作りそのもの。
それもそのはずで、実際の米作りの工程を4年かけて撮影されたという。
おかげで米作りへの造詣は深く、リアリティも非常に高い。
何百年も受け継がれてきた農法や知恵が、一粒のお米に凝縮されていることを実感できる作品である。
田植えから収穫まで、天候に左右されながら腰を据えて働くヒロインの姿。
泥にまみれになり、苦労して育てたお米が初めて炊き上がるシーンは、観る者に「いただきます」の重みを強く印象づける。
「いただきます」、ちゃんと言えてますか?
「いただきます」には感謝の意が込められている。
しかしそれは、主に命をいただくことを意味し、生産者の方の苦労に報いる言葉としてはあまり遣われない。
たが、本作を観れば、これまで以上に「いただきます」の言葉の重みを感じることになるだろう。
安田監督が本作に託した米作りのリアリティ。
それは、農法や知恵だけにとどまらない。
安田監督は、映画公開後の会見などで、米農家が直面している経済的な困窮について涙ながらに語っている。
監督自身の経験として、米を1袋作るごとに約1,000円の赤字が出るという。
日本の米農家の平均年収は非常に低く、時給換算するとわずか1円〜10円程度という衝撃的な実態にも言及し、たとえ令和の米騒動で一時的に米価が上昇したとしても、実際には「30年前の水準に戻っただけ」であり、農家の経営を支えるには不十分であるという。
約50年続いた減反政策(2018年廃止)により、生産量が制限され、農家は本来作りたいはずのお米を作れない状況が続いてきた。
これが政府の失政であることは明白だ。
日本という国が長年にわたって積み重ねてきた、システムそのものの腐敗、既得権益の醜悪さ、そして「国民の生活」を人質に取った政治の欺瞞。
「自分たちが作らないと日本の米は守れない」
先祖代々の思いと、報われない政策の間で戦う農家の姿。
これこそ本作の根底に流れる重要なテーマのひとつである。
本作は、ある意味ドキュメント作品なのだ。
では娯楽映画的にはというと、徹底的に米作りにのみフィーチャーした切り口の斬新さは特筆に値する。
だが、そのせいでシナリオが犠牲になってしまった印象は否めない。
俳優陣の演技も、お世辞にも上手いとはいえない。
しかし、それ以上に余りある映像の力がある。
本作に限らず、安田監督率いる未来映画社の作品には、「本物を撮る」という執念に近いこだわりが観る者を圧倒する。
たとえば『侍タイムスリッパー』では「これぞ時代劇」という様式美と、真剣勝負の緊迫感を、スタント任せにせず役者の肉体を通して描き切った。
では、米作りにおける「本物を撮る」とは?
それは安田監督自身が米作りをされたからこそ撮れた、一番美しい瞬間。
早朝の霧がかった田んぼ。
夕日に照らされる水面。
収穫を待つ稲穂の重み。
逃さなかった一瞬の輝きたち。
これらは、効率重視の商業映画ではなかなか撮ることができない。
割に合わないからだ。
これは、実際に米作りに4年という歳月を費やした人間だからこそ捕まえられた光なのである。
そして美しい風景の裏側にある、低すぎる米価や減反政策という残酷な現実。
これが本作の本質なのではないだろうか。
日本人の米離れが危ぶまれているが、とはいえ我々にとって米が主食であることは変わりない。
どんなに安価なパンやパスタがもてはやされようと、日本人から米を切り離すことできない。
その大切な米が、心ない人間の商売の種にされている。
政治の道具にされている。
我々は米価格の高騰云々を論じる前に、この国の農業の未来ついて、ちゃんと考えるべきだった。
日本の農家の未来のことをちゃんと考える政治家を、しかと見極め選ぶべきだ。
まだ遅くない。
手遅れになる前に、出来ることから始めよう。
少なくとも、著者は本作を観る前と後で、茶碗に盛られた白米の見え方が変わった。
1粒も残さず食べる。
それが、この美しい風景と、戦い続ける農家さんへの、我々が今できる一番身近な敬意なのかもしれない。
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