#84
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
金子みすゞ(詩「私と小鳥と鈴と」より)
金子みすゞ(本名:金子テル)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。
約500編の詩を遺した。
金子みすゞの詩は長らく忘れられていた。
童謡詩人の矢崎節夫が大学1年生だった1966年、岩波文庫『日本童謡集』所収のうちの唯一の金子みすゞ作品「大漁」を読んで感動し、以後16年、作品探しなど金子みすゞの足跡を探した。
みすゞの実弟と巡り会って保管されていた遺稿集3冊およびみすゞの写真4葉(下関市黒川写真館にて1923年に20歳の時に撮影した写真、姉弟で撮影した写真、結婚記念写真、下関市三好写真館にて1930年3月9日に撮影した写真)等を委ねられ、1984年に『金子みすゞ全集』(JULA出版局)として刊行。
脚光を浴び、再評価が進んだ。
代表作には「私と小鳥と鈴と」や「大漁」などがある。
みんなちがって
みんないい
金子みすゞさんの有名な詩の一節。
人にはそれぞれの良さがあり、比べる必要なんてないという温かい肯定感は、いつの時代も心に響く。
忙しない毎日の中で、ついつい他人と比べて落ち込んでしまった時に思い出すと、少し心が軽くなる魔法のような言葉である。
この言葉を名言と捉えている人も多いだろう。
たしかに、金子みすゞさんの詩は美しい。
だが、現代ではそれが「努力しない自分」を正当化する、便利な免罪符になっていないだろうか?
「ダメな奴がダメなままでいい」という免罪符になっていないか?
詩の続きを読み解く。
「わたしと小鳥とすずと」
わたしが両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速く走れない。
わたしが体をゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように、
たくさんな唄は知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
小鳥は飛ぶ努力をし、鈴は鳴る役割を果たしている。
この詩は「何もしないこと」を肯定しているのではなく、「それぞれの土俵でベストを尽くすこと」を認めているだけなのである。
しかし「違っていい」を「今のままでいい(成長不要)」と履き違えた結果、この国から競争力が失われた。
「ダメな奴がダメなままでいい」という、風潮。
努力をしない世の中が出来上がった。
今、日本は衰退の一途を辿っている。
国全体が停滞した理由は、多様性を自己都合で歪曲解釈した結果だ。
「ダメなままでいい」ではなく、「自分の強みを尖らせ、価値を出すこと」。
これが本来の多様性である。
弱者の声を拾い上げることは必要であるし大切なことだ。
だが、それに乗じた弱者擬きをこれ以上のさばらせていたら、この国の未来は暗い。
どんなに素晴らしい言葉も、解釈を間違えれば台無しになる。
だから何度でも言おう。
「みんなちがって、みんないい」とは、「努力しない自分」を正当化するための便利な免罪符ではない。
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