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負の感情を溜め置かないために。 宮本武蔵著「五輪書」

 

 

 

五輪書」(宮本武蔵著)にこうある。

 

 

《 平常も、戦いの際も、少しも変わることなく、心を広く、真っ直ぐにし、緊張しすぎることなく少しもたるむことなく、心が偏らないように心を真ん中に置き、心を流動自在な状態に保ち、その流れが、一瞬も止まらぬように、よくよく注意しなければならない。

 

動作が静かな時にも心は静止せず、動作が激しく動く時にも心を平静に保ち、心が動作に引きずられることなく、動作が心に捕らわれることなく、心の保ち方にはよくよく気を配り、動作に気を捕らわれぬようにする。

 

心は充実させ、また余計な処に心を捕らわれぬようにする。 》

 

 

 

この言葉の意味を宮本武蔵、曰く…

 

 

 

『 十人がひと太刀ずつ斬り込んできても、そのひと太刀ひと太刀を受け流して、跡に心を止めず、次々と跡を捨て跡を拾うならば、十人すべてに働きを欠かぬことになる。

 

十人に十度心が動いても、どのひとりにも心を止めなければ、次々に応じても、働きは欠けない。

 

もし、ひとりの前に心が止まるならば、そのひとりの太刀は受け流すことが出来ても、二人目の時は、こちらの働きが抜ける。 』

 

…ということになるらしい。

 

 

 

 

要するに、だ。

 

起こった出来事に捕らわれ頭でその都度いちいち考えていたら次の動作が遅れる、ということだろう。

 

この境地を「常の心=平常心」といい、平常心を保つことを「無心」と呼ぶらしい。

 

無心。

 

深い哀しみやどうしようもない苦しみに直面してしまうと人は心の動きを止めてしまう。

 

哀しみや苦しみが大きければ大きいほどおいそれと心を動かせなくなってしまう。

 

受け止めたくなかったり、考えたくなかったり、逃げ出してしまいたくなったりするから。

 

きっと現実逃避することで心が壊れてしまわないよう必死にバランスを保っているんだろう。

 

心が水の如くあれたらいいのに。

 

状況に従って形や状態を変え、時には一滴となり、時には大海ともなり、どこまでも自由自在な水のように。

 

青々と清らかに澄んで流れる水のように、淀まず、弛まず、自由自在に嫌な感情だけを綺麗に押し流してくれたらいいのに。

 

そうしたらきっとそんなに苦しまなくて済むじゃない?

 

もしそんなことが簡単に出来たとしたら生きることがずい分と楽になるんだろう。

 

心は常に流れる水のように。

 

嫌なことも一度は流してしまおう。

 

向き合うのはいつだっていいじゃないか。

 

こんなご時世だ。

 

今もし何かに苦しんでいる人がいて、その人がほんの少しでも楽な気持ちになれるように。

 

そこから抜け出す、きっかけのひとつになるよう切なる願いを込めて。

 

 

 

 

 

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