其の三十六
美しき日本語の世界。
もともとは祭りにまつわる言葉
関の山
「関の山」とは、一生懸命やって成し得る限度。
精一杯のところ。
これ以上はできないという限度を指し、多く見積もってもそこまでだということを意味する。
「関の山」の「関」とは、三重県の関町(2005年1月11日に市町合併し、現在は亀山市)のこと。
また「山」は、祭りの「山車」のことである。
八坂神社の祇園祭に出される「関の山(山車)」は、大変立派なものだった。
そのため、「関の山」以上の贅沢な山は作れないないだろうと思われ、精一杯の限度を「関の山」というようになった。
神輿と山車の違い
大勢の人が豪華絢爛な神輿をかついだり、山車を曳いて街を練り歩いたりする光景は、日本のまつりを象徴するワンシーンだ。
しかし存在を認知していても、その役割や背景を理解している人は意外と少ないのではないだろうか。
千年以上も前に生まれた神々の乗り物が「神輿」
「神輿」とは、ひと言で表すと神々が移動するための「乗り物」である。
神輿が初めて記録されたのは今から千年以上も前の749(延暦13)年、東大寺に宇佐八幡宮の神霊を迎えた際の記録が初見といわれている。
これ以前の神霊の移動は人や馬によって行なわれていましたが、平安中期からの御霊信仰とともに、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して移動する神幸式(しんこうしき)の "まつり" が主流となった。
以降、神幸式の "まつり" として、2基以上の神輿がぶつかりあう喧嘩祭や、神輿を川や海に入れる浜降祭、神輿洗い、かついだ神輿を振り動かす神輿振りなどが登場し、全国のまつりに伝播していった。
神輿はふつう、屋根、胴、台輪という三つの部分から成りたっており、胴体を支える台に持ち手となる縦横二本の棒が取りつけられることで、人々が肩でかついだり、手で担いだりすることが可能になる。
屋根の中央には鳳凰の飾り(鳳輦)や葱の花の飾り(葱花)を据え、屋根の端にはくるりとカーブした「蕨手」と呼ばれるパーツがついているなど、豪華な装飾が施されているのも特徴である。
元は疫病の流行を鎮めるため?
飾り物が巨大化して山車になるまで
「山車」とは神輿の100年以上後、863(貞観5)年に始まった京都祇園祭の山鉾(やまぼこ)を起源とする。
疫病の流行を鎮めるために始まった祇園祭では、祭場に、国に広がる疫神を表す66本の矛を立て、経典を講じ、子どもたちが舞う「童舞(わらわまい)」、雅楽のひとつである「舞楽」、中国大陸から伝来したとされる「散楽雑技」などが演じられた。
"まつり" の主役は、盆踊りの先行芸能とも言われる「風流拍子物(ふりゅうはやしもの)」である。
風流拍子物とは、笠鉾(かさほこ、大きな傘の上に鉾・なぎなた・造花などを飾りつけたもの)などの造り物、仮装衆と呼ばれるパフォーマンスと、それを囃し立てる行列のこと。
厳かな神事を行なうのではなく、楽しく神様を盛り上げる、いわゆる「神賑わい」により疫神を送り鎮めることを目的とし、疫神が乗り移るとされる造り物が趣向を競い合った。
この盛り上がりにより、本来は単なる飾り物であった造り物が大型化、華美化し、山・鉾に変化していったのが山鉾、山車の起源とされている。
都市の形成と治世に "まつり" は重要な役割を果たし、特に江戸の「天下祭」は大変な賑いをみせた。
天下祭は現在の赤坂付近に位置する日枝山王神社の "まつり" と、神田明神の "まつり" を隔年で行なった催しだ。
この "まつり" は行列、仮装、造り物が混在するパレード、つまり「練り物」を中心としたものだった。
天下祭は「出シ(鉾などの先端を飾る造り物)」を乗せた笠舞、芸能を演じる芸屋台などにより華美化、大規模化して収拾がつかず、江戸幕府が規制や禁制を出すほど盛大なものに。
しかし、「出シ」は神霊の依る鉾とされていたため、禁制から逃れることができたと考えられている。
結果的にこの「出シ」の部分が練り物の屋台全体の名前となったものが「山車」なのだった。
山車は神輿を賑わすための装置
全国の山車まつりは江戸時代中期から後期の町人文化の成熟を基に発展した。
山車は疫神などを鎮送する役割を担っているほか、"まつり" の中心にある神輿を賑わすための装置でもあった。
例えば、能登半島の「あばれ祭、石崎奉灯祭」に担ぎ出される巨大な燈籠・キリコ(奉灯)も、山車の一種。
キリコを各地域で担ぎ巡り、キリコ上部に備えられた榊、幣串に疫神を招き、神輿が鎮座する御旅所へ向かう。
そして若衆は力の限りキリコを神輿の周りで担ぎ廻りその威勢を競い合う。
疫神を鎮め送るため御旅所は海辺、川辺に定められている。
人々が "まつり" を楽しめば楽しむほど神々の神威は上がりコミュニティーは団結し、さらに災害などに備えたのである。
京都祇園祭の山車には美術工芸の「粋」が集結
山車に注目する "まつり" として外せないのは、京都祇園祭。
山車のひとつとされる「山鉾」には、ペルシャ絨毯など豪華絢爛な懸装品が数多く用いられ、国内はもとよりシルクロードを通って遠く東アジアや中近東、そしてヨーロッパの美術工芸の「粋」が集結している。
このように祇園祭の山鉾は、古来の日本の伝統的装飾にこだわることのない雅と思いつきによる「造り物」なのである。
「造り物」、そして山車には、変化やうつろいにこそ「美」を見出す「風流」の感性が欠かせない。
山車まつりは高度経済成長時の唯物的精神などによって、一時は衰退したとされている。
しかしその後、"まつり" を文化として捉え、それに伴う観光化によって再興された。
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