戦後は続くよ、どこまでも。
劇中で主人公・矢口がおよそ承服しかねる国連安保理決議に対して口にしたセリフが、
「戦後は続くよ、どこまでも。だから諦めるんですか?」
だった。
元ネタは我々もよく知っている歌の「線路はつづくよどこまでも」。
原曲がアメリカ民謡だという意味まで考えると、大変よく出来た皮肉と言えるだろう。
「戦後は続くよ、どこまでも。」
すっかり平和ボケしてしまった日本人の著者としては、ハッとさせられる言葉だった。
そうなのだ。
戦後はいまだに続いている。
我々はそうとは知らずにボケーっと平和を享受している。
もしかしたらその事実を利用し喰い物にしている政治家だっているのかもしれないのに、我々はそれを知らない。
その責は近年のマスコミの報道の在り方に依るところが大きい。
本来、マスコミの存在意義とは権力の監視役である。
権力が暴走しないための抑止力としてマスコミは存在する。
それがどうだ。
権力におもねっているようではないか。
政府・各省庁に都合の良いよう情報統制された報道は、まるで戦時中の軍部の情報統制のようである。
もし仮に政府ぐるみで情報統制が行われていたとして、そのことに国民がまったく気づいていないことが一番怖い。
知らず知らずのうちに思想誘導される恐怖。
思考が停止した人間は集団心理に流されやすい。
だから、みんなと一緒なら安心だと考える。
故に思想誘導は簡単だ。
自ら考えることもせず、ひとつの思想に誘導された人間の集団こそ、何より恐ろしい。
日本人が身近に戦争を感じなくなって久しい。
平和は喜ばしいことだ。
しかし頭の中まで平和ボケしてしまったら、正常な判断が下せなくなる。
結果ひとつの思想に誘導されることで、再び戦争を起こさせることも容易いのではないだろうか。
「戦後は続くよ、どこまでも。」
戦争は他人事ではない。
戦争ついて考える。
その意味は、今変わってきているのかもしれない。
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