#50
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
御上孝(日曜劇場「御上先生」より)
日曜劇場『御上先生』Episode 4 - fate -でのヒトコマ。
冴島(常盤貴子)と国家公務員採用総合職試験会場で起こった殺人事件の関係が公になり、神崎(奥平大兼)は責任を感じ冴島のパート先を訪れるが、すでに辞めた後だった。
そんな中、教室では御上の提案で、生徒たちは議論を始める。
また、隣徳学院に届いたヤマトタケルを名乗る人物からの一枚のFAX、是枝(吉岡里帆)は自分なりの答えに辿り着き――。
原爆を肯定する言葉が載っている教科書がある
なぜならそれは
その国の正義だからだ
同じように
人や国の数だけ正義があるんだ
自分の正義だけが通ると信じていたら
誰とも話はできないよ
チャップリンの映画『殺人狂時代』のセリフにこんな言葉がある。
一人を殺せば悪人だが、百万人を殺せば英雄だ
正義の定義というものが、如何にいい加減なものかを如実に言い表している言葉である。
平時に1人でも人を殺めれば殺人者と呼ばれるが、それが戦時となれば敵兵を百万人殺めようとも英雄と讃えられる。
正義の定義なんてものは、定める人間の状況や立場でいくらでも変わる。
所詮は自分自身の行動を正当化するための詭弁にすぎないのだ。
正義なんてあやふやなもの。
他人を思いやれない正義に、大義はない。
強すぎる正義感は、むしろ他人を傷つける刃だ。
自分だけの正義を振りかざす者を信じてはいけない。
自分の正義を他人に押し付けてはいけない。
正義なんてものは、胸に秘めておくくらいがちょうどいい。
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