どちらも大ヒットした漫画でありアニメだ。
そしてどちらも著者が最初の2〜3話で一度挫折したアニメだ。
「進撃の巨人」は、たしか3話目で一時止まり、再視聴まで半年を要した。
「鬼滅の刃」は、たしか4話目くらいまで頑張ったがやはり挫折。
その後、想像以上に大ヒットしてしまったおかげで天の邪鬼の著者は結局いまだに未視聴のままだ。
著者の印象にもっとも残っているアニメの第1話といえば「機動戦士ガンダム」と「新世紀エヴァンゲリオン」なのだが、進撃と鬼滅の第1話はそれらとはまったく違うものだった。
進撃も鬼滅も物語序盤からストーリーがとにかくヘビーだ。
どちらも描写がエグい。
バシバシ人が死ぬ。
そりゃガンダムだってエヴァだって多少は人が死ぬのだが、人の死をそれほど生々しくは描いていない。
エヴァに至っては直接的な死の描写はなかったと思う。
これは著者の個人的な意見だが、漫画やアニメの第1話には今後に繋がる謎とワクワクが必要だと考えている。
進撃も鬼滅も、第1話に今後のワクワクは感じられなかった。
だから著者は挫折したわけだが、進撃も鬼滅も世間では大ヒットした。
大ヒットするからには物語自体が面白いのが大前提だ。
面白くもないものが大ヒットするわがない。
だからどちらもストーリーは面白いのは間違いない。
だが、なぜあれほど「進撃の巨人」と「鬼滅の刃」が大ヒットしたのか考えると、実はアニメーターの力に依るところが大きいと思われる。
どちらもOP曲が大ヒットしているが、OP映像こそメガヒット級のデキと言えるだろう。
OP映像はその作品の作画のバロメーターだ。
あのOP映像を観れば期待しないわけがないだろう。
思った通りどちらの作品も劇中の作画は秀逸だった。
未視聴とは言ったものの、実は3話以降の「鬼滅の刃」のワンシーンだけはがっつり拝見している。
それは、炭治郎が父親との思い出とともに水と炎(火?)の呼吸を同時に発動するシーン(定かではないのだが…)だった。
たしか、歌がカットインしていたな。
あのシーンを観ただけで担当したアニメーターのこだわりと熱意が伝わってきて、ちょっと感動したのを覚えている。
何より美しかった。
内容はわからなくても良いものを観たと思ったものだ。
アニメーターの勝利といえば、「進撃の巨人」については間違いないだろう。
進撃の原作の作画はお世辞にも上手いとは言えない。
それがアニメーションになった途端、超美麗な作画に変わった。
初見でなんとか3話まで頑張れたのは、その超美麗な作画のおかげだと言っても過言ではない。
そんなこんなで結果的に後々の物語が気になり見始めるわけだが、物語の入り方としてはモヤモヤが残った。
何故なら進撃も鬼滅も、第1話まで遡って見直そうとは思わないからだ。
ついつい途中からでいいと思ってしまう。
この点で、やはり「機動戦士ガンダム」や「新世紀エヴァンゲリオン」の第1話の作り方には及ばないと考える。
何故ならエヴァなら1話から観たいと思うからだ。
いや、1話から見直さなければ意味がないとさえ考えている。
個人的にこの差は大きい。
今後、恒久的に観たいと思うか否かの分かれ目だからだ。
進撃と鬼滅の大ヒットが一時的なヒットでしかなかったのなら、こういう理由からではないだろうか。
永く語り継がれる作品の第1話には魅力的でなくてはいけない。
「機動戦士ガンダム」は別格として、特に「新世紀エヴァンゲリオン」の "第1話から推察する超大ヒットの理由" なんてものを考えてみたのだが、少々長い文章になったので、つづく。
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