あまりにくだらない不祥事ばかりでいい加減ウンザリなのだが、起きた不祥事に共通しているのが何ひとつ心が動かない謝罪会見だろう。
この人たちは子供の頃、言わなかったのだろうか?
ごめんで済んだら警察はいらないよ。
まぁ、警察は警察でまったく謝り方を知らない人種の集まりだが今回それは置いておこう。
そもそも悪いと思っていないなら謝らなければいい。
間違っていないと思うなら、それはもう信念だ。
尊重するしないは別として、信念なら仕方ない。
ところがどうだ?
悪いと思っていないのに謝ろうとするから不信を買う。
そういえば先日解散発表をしたこの人も同類だった。
正直、まったく興味が無かったから拾うつもりもなかったのだが、とても良い例なので触れるとしよう。
大昔は好きだったのにな…
この人の謝り方で一番気に入らないのは、あとからならなんとでも言える感が満載なことだ。
あとから、あの時はこうでした。
あとから、自分は知らなかった。
あとから、なかなか伝えるキッカケがなくて。
あとから、あとで言おうと思っていた。
阿呆くさ。
こんな謝罪なら子供でも出来る。
典型的な保身第一の人にありがち過ぎて、もはや笑える。
悪いことをしたらまず謝る。
当たり前のことだ。
言い訳したいなら、その後でいくらでもすればいい。
一番いけないのは言い訳しながら謝ること。
悪いと思っていないのに謝ること。
どこを見ても薄っぺらい人間ばかりだ。
失敗した時こそ、その人の本質が試されるというのはどうやら本当らしい。
《実るほど頭を垂れる稲穂かな》
著者が座右の銘としている言葉だ。
【人格者になればなるほど謙虚になる】という意になる。
ジジイになっても自分が悪いと思うことに素直に頭を下げられる人間でいたい。
ジジイになっても誰に対しても素直にありがとうと言える人間でいたい。
ごめんなさいとありがとうを、素直に言える人間でありたい。
薄っぺらい人間たちを見ていて、そんなことを心底思う今日この頃。
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