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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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人は見た目が100%だ

 

 

 

 

 

本稿は断じて生まれつきの才能の話ではない。

 

思い違いをしたらいけない。

 

著者だって「あんな顔で生まれてきたら、きっとモテモテ人生だろうなぁ…」と思うことはある。

 

しかしそれは固有の才能だ。

 

今から記すのは他人の才能を羨む云々以前に考えるべきことだと思って読んで欲しい。

 

 

 

 

 

 

数多の恋愛相談を受けた中で好きになった理由を聞いてみると、多くの人が性格が良ければいいと言う。

 

この時点で既に疑問なのだが、性格が良いとは具体的に何を基準にして言っているのだろう?

 

一緒にいて居心地が良ければ性格が良い?

 

話が合えば性格が良い?

 

実に曖昧で、実に盲目的な基準だ。

 

恋は盲目とはよく言ったものだな。

 

そんな誰の目にも見えるような性格なんてものは、いくらでもどうとでも取り繕えるとは思わないのか?

 

ましてや仮にその相手に好意を抱いているのなら、少しでも良く見せようと思うのが人情だ。

 

だって、そうだろう?

 

相手に好かれたいと思ったのなら、相手の好みに極力合わせようとする。

 

相手にも好きになってもらえるよう努力する。

 

性悪な姿なんて見せるわけがないじゃないか。

 

これを粉飾【①うわべを飾ること②取り繕って立派に見せること】と呼ぶことを知っているか?

 

表面上の良い人は、意図的に作り出せる。

 

ただし、である。

 

例えば、生来美形の人間の本性が実は腐っていたとしたら、それは外見に現れる。

 

ゲスい性格をしている奴は表情に現れる。

 

歪んだ性格は歪んだ表情を作り出す。

 

性格は外見とリンクしているのだ。

 

昔、整形で美しくなりたい人を、TVの力で何とかしてあげる番組があった。

 

酷いことを言うようだが、応募で集めた人たちの何と卑屈なツラだったことか。

 

あまりの自信の無さが表情に現れていた。

 

あれでは完全にデス・スパイラルだ。

 

何度も言うが、性格は外見とリンクしている。

 

要するに、性格が良ければ外見もそれに伴って良くなるということだ。

 

そういう意味で、人は見た目が100%。

 

そのための努力は怠ってはいけない。

 

『うぬぼれ』を漢字で書くと『自惚れ』と書く。

 

自分が自分に惚れて何が悪い。

 

もし自分の見た目に自信のない人が読んでくれているなら、ここから始めるといい。

 

まずは自分で自分を愛してやれ。

 

才能云々はそれからの話だ。

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

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