秀逸なタイトルが並ぶTV版エヴァンゲリオンの中で、最も深く美しかったタイトルこそ第弐拾四話「最後のシ者」ではなかろうか。
いや、正解には第弐拾四話から最終話にかけての流れと言うべきか。
ちなみに第弐拾伍話のタイトルは「終わる世界」。
最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」と続く。
第弐拾四話で満を辞して登場するのが自らをフィフスチルドレンと名乗る謎の少年・渚カヲル。
TV版では大人気キャラクターで、その正体は第17使徒ダブリス。
最後の使徒だった。
庵野監督はその重要キャラクター名をタイトルの中にぶち込んだ。
【最後の使徒=最後のシ者=最後の渚】というわけだ。
リアタイでは何故使者をシ者と表記したのかわからなかったが、後にこの事実を知って奮えたことは覚えている。
しかし庵野監督の深謀遠慮はこの程度で終わりではなかった。
そう、"おわり" ではない。
TV版エヴァンゲリオンの最終話は、TV版のエピローグであり、劇場版のプロローグでもある。
こういう表現が適切かは不明だが、TV版と劇場版を繋ぐおまけのような回だ。
わざわざ "最終話" と表記したのも、その辺の意図を感じる。
だからTV版のストーリー上の最終回は、第弐拾伍話だと著者は解釈している。
第弐拾伍話が最終回ならば、つまり第弐拾四話は最終回のひとつ前の回ということになる。
終わりのひとつ前。
"シ者" は渚。
ではカヲルは?
"おわり" のひとつ前。
五十音で《カヲル》をひとつずつ前にしていくと、実は《オワリ》となる。
渚カヲルとは、最後のシ者であり、物語を終わりへと導くキャラクターだったのだ。
この説は著者が文献や資料を漁って調べた知識ではない。
所詮は伝聞だからただの噂かもしれない。
ただ、著者はこれが真実だと思っている。
恐るべきは、庵野秀明監督だ。
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