観ている者にこれでもかというほどの情報をぶち込んでくる庵野式演出はいつ確立されたのだろう?
TV版エヴァンゲリオン。
秀逸なタイトルでも有名だ。
その第弐拾弐話 「せめて、人間らしく」。
うん、いいタイトルだ。
久しぶりに観てみたのだが、あるシーンで庵野秀明監督の凄まじさを改めて思い知る。
それは情報過多の庵野式とは真逆の演出だった。
アスカとレイがエレベーターで二人きりになるシーン。
「劇場版エヴァンゲリオン : 破」でもシチュエーションとセリフだけ変えて、まったく同じカメラ割りのシーンがあった。
覚えている人もいるだろう、このシーンである。
だがTV版と劇場版とではまったく違う印象を受ける。
驚くべきはTV版。
無言のまま延々とこのカットだけが流れているのだ。
時間にしてなんと約52秒もの間、エレベーターの音だけが響いている。
劇場版は計測していないが、同様のシーンでアスカが喋り出すのが著者でも少し早いと感じるほど短い。
劇場版では時間的制約があったにせよ、この演出の違いに過ぎた年月の長さを感じざるを得ない。
TV版と比べて劇場版では作画が格段に綺麗になった。
圧倒的な映像美と表現しても良いだろう。
劇場版のヤシマ作戦などはいい例だ。
実に美しい。
しかし、庵野秀明監督の演出の真実の魅力は作品が内包している闇の部分だと思う。
すっかり忘れていたのだが、著者が庵野秀明監督が好きな理由はこういう所だった。
それが改めてこのエレベーターのシーンを観て痛感した。
TV版終了後すぐに劇場版に取り掛かれていたらどんな作品になっていたのか。
今となっては考えるべくもない。
ただ、著者はやはりTV版エヴァンゲリオンを庵野秀明監督自らの手で再編して欲しい。
どれだけ時間が掛かっても待てる自信はある。
それも叶わない夢なのはわかっているが…
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