隆慶一郎作の歴史小説「一夢庵風流記」を原作とした原哲夫による漫画「花の慶次 -雲のかなたに-」。
まずは自由に生きる武将・前田慶次に対して、松田慎之助という登場人物が発した一言から。
『慶次殿はいいなぁ。好きなときに寝、好きなときに起き、好きなことだけをして死ぬんだ。』
それを受けての前田慶次の名言が考えさせられる。
『そんなに自由に生きたかったら乞食にでもなるさ。だがその自由も野たれ死にの自由と背中合わせだがな。』
自由の意味を明文化するのは、実はなかなか難しい。
言葉の意味だけを追求するならば自由とは、"物事が自分の思い通りになること" なのだろう。
しかしあまりに一方的な理屈でしかなく現実的ではない。
人間社会でこの道理は通じないのだから。
では、現実的に人間社会で通用する自由の意味とは?
あらゆる著名人…学者だったりアーティストだったりが、いろいろな言葉で自由を表現してきたがどこか詩的要素が強い気がする。
どう伝えたら万人に伝わるのか…
そんなジレンマを解消してくれたのが慶次のこの一言だった。
誰かに干渉する自由はお互いが持っていることを知らなければいけない。
"殴っていいということは、殴られてもいい" ということだ。
今どきの風潮を皮肉るなら "誹謗中傷する自由は、誹謗中傷される自由と隣り合わせ" なのだ。
その覚悟がないならまだしも、そんなことも知らないで自由ばかりを主張するのはいただけない。
そんなものは子供のワガママでしかない。
一昔前なら、近頃の若者は…なんて言っていただろう。
しかし近頃は、年配者の自由のはき違えが目に余る。
本当なら年配者を敬いたい気持ちは、ある。
いや、本当は敬いたいと思っている。
どんな道であろうと先人たちの知恵は貴重で勉強になる。
何より経験値に基づく話は聞いていて面白い。
人生経験豊富な年配者は本来なら尊敬されて然るべきなのだ。
ただ、残念なことに尊敬すべき年配者は減った。
どこに消えてしまったのか、周りを見渡しても姿が見えない。
かわりに自己中心的な年配者が増殖した。
自由をはき違えた思考停止人間たちだ。
そういう輩は年を取って思考停止したわけではなく、きっと最初から何も考えないで生きてきたのだろう。
年を取ったら何でも許されると思っているのだろうか。
他人に迷惑をかけてはいけませんと教えてきたのはあなた方ではなかったか。
コンプライアンスがうるさい世の中だから下手に叩けない。
極めて厄介な存在だ。
今の悪しき日本を作ったのはこういう人間たちだと知っておくべきだ。
古臭い思想を頑なに正しいと信じたまま、時代に取り残されていることにすら気づかず、若い世代の邪魔をしのうのうと居座り続ける人間なんかいらない。
こんなことは本来なら言いたくもないのだが…
あなた方に尊敬すべき点は一切ない。
漠然とただ年を取っただけの人間は尊敬の対象にはならない。
居るのは仕方ないが、頼むから邪魔をしないでくれ。
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