明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
阿良々木月火(偽物語より)
「怪異」にとり憑かれた5人の少女と出会い、
彼女たちが抱える問題を解決した高校3年生の阿良々木暦。
そんな出会いを経てから約1か月後の夏休み、暦が目を醒ましたのはなぜか廃墟の学習塾跡だった…。
ケンカっていうのはね
それはそれで立派なコミュニケーションなんだよ
ケンカがいけないんじゃない
正しいケンカのしかたを知らないことがいけないんだよ
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大人が子に正しいケンカの仕方を教えないから、歪みが生じ、イジメになる。
大人が子供にいい子でいることを強要するから、子は正しいケンカの仕方がわからない。
いつだっただろうか、昔流行った『「NO」と言える日本人』という本の便乗本に『「NO」と言えない日本人』というのがあった気がする。
そもそもこれは、外交下手な日本人を揶揄していたと記憶しているが、日本人がNOと言えないのは果たして外交の時だけだろうか。
同じ日本人同士でさえ、NOと言えないのではないだろうか。
それではケンカにすらならずに、一方がただただ鬱憤をため込むだけである。
古来より日本人は「察しと思いやり」を重んじてきた民族である。
相手に気を遣うことが当たり前であった。
それはとても素晴らしいことではあるが、あくまで相手にも同じ気遣いができるという前提の元に成り立って然るべきである。
お互いが、お互いを気遣うからこその「察しと思いやり」なのである。
近年の日本はどこかおかしい。
自分は自己中心的に振る舞っているにもかかわらず、相手には気遣いを求める輩のなんと多いことか。
まったくバカバカしい。
そんな人間に「察しと思いやり」の気遣いは無用だろう。
そんな奴にはNOを突きつけてやればいい。
一度、しっかりケンカしてみたらいい。
ケンカがコミュニケーションの手段のひとつなら、仲直りはもっと立派なコミュニケーションなのだから。
もし仲直りできなかったなら、その程度の関係だったということだ。
ただそれだけのこと。
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