以前の記事では日本語の奥ゆかしさと美しさについて語った。
書きたいことはまだまだあるが、とりあえず気が済んだから良しとしよう。
今回は日本語の奥ゆかしさ美しさを知った後のお話。
次に着目したのは漢字だった。
若い人でも有名なこの教師の名前くらいは知っているだろう。
金八先生が言いました。
「『親』という字は "木" の上に "立" って "見" ると書きます。
木から降りていって子供の喧嘩に参加する親がどこにいますか、このバカちんがぁ!!」
成り立ちを考えれば、なるほどそういう意味か。
また別の誰かが言いました。
「『歩』という字は "少" し "止" まると書きます。
少しずつ歩めばいいのです。」
なるほど、良いことを言うな。
この時は救われた気分だった。
さらに著者はこう思う。
「『躾』というのは自分の "身" を "美" しくするものなんです。」
※補足 : 「躾 / しつけ」
漢字の成り立ちとは、かくも美しいものなのだ。
ところで以前こんな記事を書いたことがある。
著者は、人は多少なりともナルシストであるべきだと考えている。
キッカケとなったのは『自惚れ』という漢字の成り立ちを考えた時だった。
世間ではあまり良い言葉として認知されていないようだが、自分自身に言い聞かせる言葉としては最高だと著者は考える。
『自惚れ』は "自" 分に "惚れ" ると書く。
何とも艶っぽいではないか。
自に惚れて何が悪い?
自分が自分に惚れてやらなくて、いったい他の誰が惚れてくれるというのだ?
漢字の成り立ちとは、こんなにも理にかなっていてだから妙な説得力がある。
漢字のルーツは象形文字だから当然といえば当然なのだが…
《名は体を表す》という言葉があるが漢字を "名" とするなら、その名は "体" である意味を見事に表している。
漢字の成り立ちを知れば、なるほどただの識別記号ではないらしい。
こうして著者の興味は漢字へ移り、その後はことわざやら故事やらに移ってゆくのだが、それはまた次の機会にしよう。
実際、《名は体を表す》という事象に皆さんも覚えがあるだろう。
〇〇という名前の男性には優しい人が多い‥とか、名前に〇の字が入っている人はだいたい頭が切れる‥とか。
だから親は子供の名前に願いを込める。
こんな人になって欲しいと願いを込めて名をつける。
しかし残念ながら、実際まーったく名が体を表していない人もいるのも事実だ。
結局は名が人間をつくるのではなく、その人が今までの人生で何をしてきたか。
その足跡の中に名があり、それが存外その通りの意味を成すのだろう。
こういうのも『言霊』というのだろうか?
【言霊:言葉に宿ると信じられた霊的な力】
皆さんは眉唾物と思われるかもしれないが、著者は言霊は存在すると思っている。
強く念じれば言葉は力を持つ。
善くも悪くも力を持つ。
言葉は刃物ぞ、気をつけて遣え。
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