#23
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
ウィリアム・シェイクスピア(リア王より)
ウィリアム・シェイクスピアはイングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。
卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れた英文学の作家とも言われている。
また彼の残した膨大な著作は、初期近代英語の実態を知るうえでの貴重な言語学的資料ともなっている。
『リア王』は、そのウィリアム・シェイクスピア作の悲劇。
1605年から1606年頃初演された。
シェイクスピア四大悲劇のひとつである。
これがドン底だなどと言っていられる間は、ドン底にはなっていないのだ。
最近はどうかわからないが、以前は自殺の名所とされる場所に「ちょっと待て。死ぬ気になればなんでもできる。」などと書いた看板が立っていたものだ。
死のうとまで思い詰めた人間が、こんな立て看板一枚で自殺を思いとどまるはずはない…といいたくなるが、この看板はそれなりの効力があったとされる。
何故なら一瞬でも死への思いを止めることができれば、死の誘惑はスーッと遠のいていくものだからだ。
自殺には様々な事情があるだろうが、その瞬間は誰でもほとんど正気を失っている。
生きていれば、良い時もあれば悪い時もある。
歯車が狂い、思うようにならない日々が続くこともある。
しかし嫌なことが続くことで、「もうダメだ」と自己暗示をかけてしまう。
その暗示は日増しに強くなり、いつしか正気を失ってしまう。
自分自身による暗示によって、自分自身を苦しめることになる。
そもそも「もうダメだ」と思ってしまう大方の理由は、他人と比べたり、期待に応えようとするからだ。
本来なら自分のこともままならない状態で、そんなものを気にするべくもないのだが、人間というのはどこまでいってもプライドは捨てられない生き物のようだ。
そしてその無用なプライドにこそ、落とし穴がある。
つまらないプライドなら捨ててしまおう。
周りの目なんか、気にしなくても良いではないか。
逃げ出したって良いではないか。
著者自身、誰かに自信を持って「生きてさえいれば」とはまだ言い切れないが、自分の中のつまらないプライドを捨てられるなら、生きることもまんざら苦しいことばかりではないな、と思えるようになった。
自分が本当にドン底まで堕ちたと感じたなら、プライドなんかかなぐり捨てて、好きなように生きてみるのもひとつの生き方ではないだろうか。
生き方に正解はない。
ましてや誰かと比べるものなんかでは、断じてないのだから。
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