#28
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
宗森周平(「ハケンアニメ」より)
宗森周平
演 - 工藤阿須加
埼玉県秩父市観光課の職員。
スタンプラリーやサイダーや聖地巡礼マップなど「サバク」とのコラボレーションに心血を注ぎ、地元のためを思い地元に根差し働く。
子供の頃、アニメはドラゴンボールや北斗の拳などを観たきりで全然観ず、外で遊ぶ事が好きだった。
アニメも漫画も読まないため、アニメの絵は機械が描くものだと思っていた。
"神原画" アニメーター・並澤和奈は社命により、アニメ「サバク」の聖地化を目指す埼玉県秩父市観光課の公務員・宗森周平と交流するようになる。
宗森のことを "リア充" だと感じた並澤だったが、宗森は "リア充" の言葉の意味を勘違いして…。
"リア充" って言葉…
あれって確か
リアルしか充実していない人間を指す言葉でしたよね
並澤さんや ここの皆さんは
僕と違って
想像の…
リアル以外の場所も豊かじゃないですか
すべては考え方次第。
この言葉には、単なる意味の勘違いではない妙な説得力を感じる。
多角的視点を持つためには、こういう考え方が必要だ。
そもそも "リア充" とは、インターネット上のコミュニティに入り浸る者が、現実生活が充実していないことを自虐的に表現するための対語的造語だった。
当時は「友達が1人でもいればリア充」とされていた。
しかしその後このニュアンスは、従来のネット文化に(触れずにいた事から)染まっていない、フィーチャーホンを介したネットの利用者たちが流入するにつれ、彼らの恋愛や仕事の充実ぶりに対する妬みへと変化していった。
したがって "リア充" とは、本来ならリア充自らが遣う言葉でも、それでマウントが取れるような言葉でもないのだ。
それでも "リア充" が広まり出した頃だったなら、まだそう呼ばれる優越感があったのだろう。
しかしSNSが発達した現在では、リア充を気取りたいばかりに見栄を張る人間で溢れている。
おかげで "リア充" という言葉は形骸化し、そのほとんどが中身スカスカの自己満承認欲求人間を指す言葉へと変貌してしまった。
ほとんどが薄っぺらい偽物ばかりで所詮はハリボテ。
メッキが剥がれれば普通の人間がそこにいるだけだ。
そんな時代だからこそ、今この言葉には説得力がある。
きっともう、"リア充" という言葉がもたらす優越感はないのだろう。
何より浅い知識しか持たない著者にとっては、長所をとことん突き詰め抜いた、リアル以外の場所が豊かな人間の方により強く魅力を感じる。
ヲタク上等、素晴らしいではないか。
たとえマニアックと言われようと、その造詣の深さは本物だ。
何ら恥じることはない。
表面上の美しさのみを追求することの愚かしさを、この言葉が教えてくれる。
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