#174
心に沁みる名言
今日を精一杯生きるために…
明日ではなく今日。
今、この時を精一杯生きるあなたのために素敵な言葉を綴ろう。
斧乃木余接(アニメ「終物語」より)
「よろしく、鬼のお兄ちゃん―――僕はキメ顔でそう言った」
可愛らしい見かけによらずパワータイプで、自らの肉体を強化する技を使う。
ただ、上記のような口癖の割には表情が動く事は滅多に無い。
所謂無表情キャラだが、感情自体は有する。
阿良々木暦を「鬼のお兄ちゃん」と呼び、時々乱暴な言葉で罵ったりもする、キャラの掴みづらい子。
忍野忍に対しては「後期高齢者」呼ばわりするなど調子に乗るも、その後大変な目に遭わされトラウマとなってしまう。
彼女と影縫余弦、手折正弦の名前の由来はそれぞれ、サイン(正弦)、コサイン(余弦)、コタンジェント(余接)からきている。
アニメ『終物語』第12話「しのぶメイル 其の陸」のヒトコマ。
夏休みが終わって二学期が始まった直後、吸血鬼もどきの高校生阿良々木暦は半年ぶりに生身の人間に戻っていた。
普段は彼の影に潜んでいるはずの吸血鬼・忍野忍がとある事件によって、影から消えてしまったからである。
そのような状態で怪異の専門家・臥煙伊豆湖に、暦の後輩である神原駿河を呼び出してほしいと頼まれる。
依頼通り、暦は駿河を学習塾跡に呼び出すのだが、そこで二人は恐ろしい力を持つ謎の鎧武者、さらに突然の火災に襲われる。
斧乃木余接の助けで辛くも命拾いした二人は、忍、そして伊豆湖と再会し、その鎧武者の正体が、400年の時を経て復活した忍の最初の眷属・初代怪異殺しであることを知った。
少年の姿で再び暦の前に現れた初代怪異殺しは忍との復縁を望むが、忍は頑なに拒絶、暦は伊豆湖に呼び出された吸血鬼ハンター・エピソードと共に、初代怪異殺し・死屍累生死郎との決闘に挑む……。
(言い訳のようにも聞こえるけれどね)
幸せにならないから勘弁してください
幸せになろうとなんかしないからどうか許してください
どうか見逃してくださいと言っているようにも
僕たちはこんなに不幸なんだから責めるなよ
可哀想だろって主張しているようにも
ねぇ 鬼いちゃん
ひょっとしてあなた
不幸や不遇に甘んじていることを「頑張ってる」と思っちゃってるんじゃないの?
そういうのを世間では「何もしていない」って言うんだよ
不幸なくらいで許されると思うな
ハッピーエンドを目指すべきだ
(中略)
不幸でいつづけることは怠慢だし
幸せになろうとしないことは卑怯だよ
生まれながらに人間は不平等だ。
悪いと言われようが、いけないと言われようが、これは事実である。
近年、「親ガチャ」なんていう言葉が若者の間で流行した。
「親ガチャ」とは、生まれもった容姿や能力、家庭環境によって人生が大きく左右されるという認識に立ち、「生まれてくる子供は親を選べない」ことを、スマホゲームの「ガチャ」 に例えたインターネットスラングである。
2015年頃からスマホゲームの流行とともに、「親ガチャ」という言葉がネット上で流行。
当時は愚痴を言う感覚で使う自虐的なスラングであったが、2021年9月以降、「親ガチャ」は毒親や経済格差について論じるシリアスな言葉に変容した。
その後、「親ガチャ」からは「身長ガチャ」「容姿ガチャ」等、様々な言葉に派生。
どれも生まれながらの不平等さを嘆く、もしくは恵まれない現状にいじけているような言葉である。
生まれながらに剣を手にした人間は、たしかに存在する。
そんな人間を羨み妬む気持ちもわからなくもない。
しかし「親ガチャ」「身長ガチャ」「容姿ガチャ」という言葉の裏を返せば、「僕たちはこんなに不幸なんだから責めるなよ」「可哀想だろ」と主張しているようにも聞こえてしまう。
不幸や不遇に甘んじていることを「頑張ってる」と勘違いし、現状を嘆いて他人を羨み、すべてを言い訳にして結果何もしてはいない。
これでは負け犬の遠吠えだ。
たしかに人間は不平等であるが、ではたとえばベートーヴェンは、生まれながらに恵まれた人間だったのか。
ご存知の通り、ベートーヴェン(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)は「楽聖」とも呼ばれる偉大な音楽家である。
しかし20歳代後半から両側の難聴を患い、30歳頃にはほとんど耳が聞こえなくなり、40歳には全聾になっている。
それでもなお数々の名曲を生み出しているベートーヴェンは、生まれながらに恵まれた人間といえるのだろうか。
たとえばアインシュタイン(アルベルト・アインシュタイン)は、20世紀を代表する物理学者で、相対性理論の提唱者として知られている。
それまでの物理学の認識を根本から変え、「20世紀最高の物理学者」とも評されるアインシュタインも幼少期には言葉が遅く、3歳頃になって初めて言葉を話したというエピソードがあり、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)を患っていたと考えられている。
ヘレン・ケラーは、幼い頃に病気で聴覚と視覚を失ったにもかかわらず、障害者の教育・福祉の発展に尽力したことで知られる人物であるが、家庭教師のアン・サリバンから指導を受け、名門ラドクリフ大学を卒業。
さらにはパーキンス盲学校で目の手術を受けて視力を取り戻し、首席で卒業している。
ヘレン・ケラーは、決意と努力と想像力があれば逆境に打ち勝つことができるという力強い例を示し、世界的に尊敬される活動家となった。
偉人と呼ばれる彼らがもし、生まれながらの不遇を呪っていたなら、皆に崇められるような現在の存在になり得ただろうか。
答えは否。
もちろん天賦の才は認めざるを得ない。
圧倒的な本物の天才が、この世にはたしかに存在する。
彼らもあるいは圧倒的な本物の天才だったのかもしれない。
だが彼らが偉人と呼ばれるようになった最大の理由は、現実がどうであろうとこの世に生まれた以上は全力で生き抜いた結果だったのではないのだろうか。
自分にどんな才能あるのかなんて、存外自分自身が一番わからないものである。
不公正な世の現実を見据え、弱点を弱点と認識した上でとらわれなく生き、望むものを手に入れるために戦い、敗北しても悔いない。
望むものを手に入れるために戦い抜いた人間にだけ、才能という名のギフトが与えられる。
それが人間の正しい生き方なのではないだろうか。
人間は皆、はじめから宿命を負って生まれて来たのであり、最後には宿命の前に屈服するのだと覚悟して、はじめてその限界内で自由を享受することができ、のびのびと生きることができる。
不公平のない社会は来ないし、また、それが来ようとこようと、来まいと、そういうことにこだわらぬ心を養うことこそが人間の真の生き方であり、幸福のつかみ方であるといえるのではないだろうか。
人間は不平等でも、幸福を目指す権利は皆等しく有している。
不幸でいつづけることは怠慢だし、幸せになろうとしないことは卑怯だよ。
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当該名言の出典元となったのは西尾維新先生による小説をシャフトによりアニメ化したシリーズ作品である〈物語〉シリーズ『終物語』。
そして同シリーズの『〈物語〉シリーズ オフ&モンスターシーズン』主題歌「UNDEAD」には、担当したYOASOBIの作品愛を感じさせるこんなフレーズがある。
生きていることとは変わり続けることだ
不幸に甘んじて
満足するなよ
幸せになろうとしないなんて卑怯だ
何時の世も
過去も未来も現在にあるんだ
生きていることを
愚直に果たせよ
目指せハッピーエンド
おそらくは原作ファンにしかわからないであろうこの名言。
それほどマニアックな言葉をちゃんと拾い上げて楽曲の中に落とし込み、巧みに名曲を創り上げるYOASOBI。
アニメ主題歌が「またYOASOBI?」なんて声も聞こえてくるが、作品にしっかり寄り添い、作品愛が感じられる楽曲を生み出すYOASOBIだからこそ、常にアニソン界のトップランナーであり続けられるのだろう。
それは、このフレーズを聴けばよくわかる。
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