敬愛するアーティストが歌う。
『まだまだ恥をかきたりない 僕はboy…』
"恥をかきたりない人間は未成熟" という意味の言葉として筆者は捉えている。
第二回目はこの【恥】をテーマに稿を進めてみようと思う。
ただしここで言う恥とは、悪意を持って他人を悪戯に貶めることではない。
己を卑下して他人を敬ったり、素直に頭を下げられることをあえて恥と呼ぶ。
誰だって恥はかきたくないものである。
しかし恥をかきたりない大人が増えている。
恥をかくということは恥を知ることだ。
恥を知るということは痛みを知ることだ。
己が痛みを知らなければ他人の痛みなど分かるはずもない。
他人の痛みが分からないから自己中心的な思考しか出来ない。
あなたの周りを見渡してみて欲しい。
自尊心と虚栄心の塊のような恥知らずのなんと多いことか。
そういう人間を近頃ではモンスターと呼ぶ。
終身雇用と年功序列の成れの果てであるシルバーモンスター然り、今の日本には至る所にモンスターが溢れている。
義務と権利、エゴと権利の分別もつけられず、ただただ自己主張しか出来ない人間。
見ているこちらが恥ずかしい。
そしてこういう恥知らずの輩には仕事の出来る人間はいない。
使える人間は皆無だ。
一昔前…いや、二昔ほど前の話か?
新人営業マンの教育は、まず恥をかかせることから始まる。
これは水商売でも同様だ。
上司は公衆の面前であえて新人を叱る。
叱られる新人営業マンは好奇の目に晒されながらひたすら耐える。
そうやってストレス耐性をつけてゆくのだ。
今なら間違いなくパワハラで訴えられるだろうが、実際にそういう教育方法が存在しそういう場面をよく見かけた。
褒められたものではないだろう。
肯定するつもりもないが、今思えば優秀な人材を育成するための行為として一理あったように思う。
これは日本人の気質に起因しているように思うが、それはまた別の稿で書くことにする。
とにかく恥を知らない未成熟の人間に優秀な人材はいない。
しかし残念ながら今の世の中で恥をかく機会は失われつつある。
コンプライアンス云々がうるさすぎる昨今では弱者の理論ばかりがまかり通る。
弱者の理論で恥は屈辱でしかないのだろう。
このままでは日本に弱者しか生まれない。
弱者ばかりが互いに罵り合う世界に未来はあるのか?
もしあなたにあえて恥をかかせようとする人がいるならば、その人は大切にした方がよいかもしれない。
その人はあなたのためを思って、自ら進んで胸を痛めてくれているのかもしれない。
恥に感謝しよう。
恥を与えてくれる人を愛そう。
恥は成長の大きな糧である。
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