アニメ
ヴァイオレット・エヴァーガーデン
劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』特別版
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』とは
『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は、暁佳奈さんによる小説が原作とするアニメーション作品だ。
イラストは高瀬亜貴子さんが手掛けている。
KAエスマ文庫(京都アニメーション)より2015年12月から刊行された。
「自動手記人形(通称:ドール)」と呼ばれる代筆屋の少女を中心に繰り広げられる群像劇だ。
第5回京都アニメーション大賞の大賞受賞作であり、2021年現在で唯一の大賞受賞作。
2020年11月時点でシリーズ累計発行部数は50万部を突破している。
小説『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
あらすじ
4年間にわたる東西南北による大陸戦争が終結。
その戦場で「武器」と称されて戦うことしか知らなかった少女・ヴァイオレット・エヴァーガーデンは、激化する戦場で両腕を失い自在に動く義手を付けることを余儀なくされる。
退院したヴァイオレットは、ホッジンズ元中佐の下で、「自動手記人形」としてC.H郵便社で働きはじめる。
ヴァイオレットにはかつて戦場で誰よりも大切な人・ギルベルト少佐がいた。
最後に聞かされた「愛してる」という言葉が理解できなかったヴァイオレットは、仕事と日常を通じて人と触れ合いながら、その言葉の意味を探していく。
さすがの京アニクオリティ
昔のアニメはよく作画崩壊を起こしていた。
大好きな『機動戦士ガンダム』なんか、中盤からなかなか酷い作画崩壊を起こしている。
『ドラゴンボール』もナメック星編の中盤あたりが酷かったと記憶している。
主人公が、「これ誰?」レベルだからその程度も知れよう。
そんなアニメ界で一躍名を馳せたのが京アニこと京都アニメーションだ。
セル画の時代からほとんど作画崩壊しないことで有名な京都アニメーションの作画技術は、アニメ好きにとってブランド化している。
それもそのはずで少し調べてみたら過去に請け負った作品が凄すぎる。
かなり個人的趣味に傾倒するが一部を抜粋してみる。
背景担当作品編集
- 新世紀エヴァンゲリオン(1995年 - 1996年)
- ∀ガンダム(1999年 - 2000年)
劇場映画編集
- 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか(1984年)
- AKIRA(劇場、制作元請:東京ムービー新社、1988年)
- 魔女の宅急便(制作元請:スタジオジブリ、1989年)
- おもひでぽろぽろ(1991年)
- 紅の豚(1992年)
ジブリ作品まで手掛けていたとは。
こだわりが強そうな宮崎駿監督ですら、京アニクオリティを認めていたという証ではないだろうか。
死後の魂の在り方
人は死んだら無。
完全なる無へ還る。
著者はずっとそう思っていた。
魂とは生きている人間が発するエネルギーだ。
魂という精神的エネルギーが、その人が死してなお現世に存在し続けるとは到底思えない。
そう。
今まではそう信じて疑わなかった。
しかしどうやらこの考え方を改めなくてはならないようだ。
人が本当の意味で死ぬのは、その人を思い出してくれる人がいなくなった時だという。
たとえ肉体は滅びても生きている人間の中の記憶とともに、故人は生き続ける。
この理屈はわかる。
誰かにその存在を記憶してもらえているうちは、完全な死とはいえないのかもしれない。
よくよく考えたら、魂もそれと同じことではないだろうか?
魂というものの定義づけが難しいところだが、その人が持つ強く熱い想いを魂と呼ぶと著者は考えている。
そしてその人の熱意や愛情やその他様々な感情は、その人が大切にしていた人の心にその存在とともに間違いなく息づいている。
それを『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』で教わった気がする。
作中でこんなセリフがある。
「手紙とは、そもそも人の心を伝えるもの。よきドールとは、人が話している言葉の中から、伝えたい本当の心をすくい上げるものです。」
想いが伝われば、それは継承される。
想いが継承されれば、魂は生き続ける。
劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』
最後に…
シリーズの中でも特に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』は、京都アニメーション放火殺人事件が発生した前日に完成した作品だ。
事件では将来有望の若手クリエイターが多く犠牲になった。
希望に満ちた光り輝く未来を否応なく閉ざされた犠牲者の皆様に、改めて哀悼の意を表したい。
心よりご冥福をお祈りします。
君たちの魂は作品の中に生きている。