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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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もったいない精神はどこへ?【自動車税と自動車重量税】「愛車を大事に乗ったら増税」などという悪法。

 

 

 

 

もったいない精神はどこへ?

所有年数が13年超で自動車税が高くなる!?

「愛車を大事に乗ったら増税」などという悪法

 

 

自動車税自動車重量税

 

 

毎年5月になるとクルマの所有者には、自動車税の納税通知が郵送されてくる。

その金額を見て「去年よりも多くないか?」と思う人がいるかも知れない。

最初に登録(軽自動車は届け出)されてから13年を超えると、自動車税自動車重量税増税されるからだ。

付け加えると、最初の登録から18年を超えた段階で「自動車重量税」というのはさらに増税される。

 

 

自動車税

 

まず自動車税だが、2019年9月末日までに新規登録されたエンジン排気量1501~2000㏄の自家用乗用車の場合、通常の自動車税年額3万9500円

これが最初の登録から13年を超えると4万5400円増税される。

比率に換算すると15%の上乗せだ。

軽自動車税は、最初の届け出を2016年3月末日までに行った自家用軽乗用車は年額7200円

これが13年を超えると1万2900円に高まり、比率に換算すると約80%の大幅増税となる。

 

 

自動車重量税

 

自動車重量税は車両重量が1001~1500㎏の自家用乗用車の場合、継続車検時に納める2年分はエコカー減税車を除くと2万4600円

これが最初の登録から13年を超えると3万4200円に高まり、約40%の上乗せになる。

さらに18年を超えると2年分が3万7800円だから、通常の2万4600円に比べると、約50%の増税となる。

自家用軽乗用車の自動車重量税は、継続車検時に納める通常の税額が2年分で6600円

13年を超えると24%の上乗せで8200円に高まり、18年で8800円だから、通常に比べて30%増税される。

 

 

 

国と互いに結託した自動車産業は左うちわ

 

 

古いクルマを増税する目的は、表向きは環境性能の優れたクルマへ乗り替えさせることにある。

しかし、新車を製造したり、流通させる過程でも資源を消費し、二酸化炭素はフツーに排出する。

特に購入してから走行距離が少ない車両の場合、新車に乗り替えることが、地球環境に優しいとは必ずしもいえない。

もっといえば、モノを大切に使うと増税されるわけで、日本という国の考え方は、根本的な矛盾を抱えているともいえよう。

それに、13年を超えた古いクルマを使う人たちには、新車に乗り替えられない事情だってあるだろう。

例えば少子高齢化に伴う過疎化、あるいは都市部への人口流出で公共交通機関(鉄道やバスなど)の乗客が減少。

当然、採算が取れなくなり、規模縮小などに陥っている。

結果、年金で生活する高齢者などは古い軽自動車を使い、毎日の買い物や通院をしているのが令和ニッポンの実情だ。

それでなくとも、昨今は新型コロナウイルスの影響で所得が減り、新車の購入を断念せざるを得ない状況の人も少なくない。

仮に新車が買える余裕があるとして、半導体を含むパーツ不足により、現在新車の納期は1年を大きく超える車種も存在する。

そのため新車を買いたくても手に入らず、最初の登録から13年を超えたクルマに仕方なく乗り続ける人も増えている。

要するに、この手の困っている人たちから国は、多額の税金を巻き上げているのだ。

自動車工業会にしても、以前から「税金を安くしろ!」と言い続けてきたが、古いクルマの増税にはダンマリを決め込む。

なぜか?

増税に耐え切れず、それだったらと泣く泣く新車に乗り替える。

当然、クルマの売れ行きは伸び、自動車産業は左うちわ。

そういうシステムが出来上がっているからだ。

つまり、古いクルマを増税する目的には新車の販売促進も含まれる。

国と自動車業界が互いに結託し、税収と業界の利益を守る構図だ。

その負担を富裕層に押し付けるなら、百歩譲ってまだ納得もできるが、困窮している人や庶民を踏みつけにするのなら、即刻廃止にすべき悪法にほかならない。

 

 

 

もったいない精神はどこへ?

 

 

日本人にとって馴染みのある「もったいない精神」は、今や日本の美しい文化として世界中に知られている美徳である。

もったいないは「勿体無い」とも書き、仏教用語に由来する言葉とされている。

ものが持つ本来の価値をなくしてしまうことが惜しい。

物事はすべて繋がっていて、ものを無駄にすることは自分の命を削ることにつながる。

このような仏教の教えから、「ものの形が残っている限りは最後まで使う」という「もったいない精神」が生まれたとされている。

今からたった300年ほど前の江戸の町は、人口100万人を超える大都市だったにもかかわらず、「もったいない精神」で溢れていた。

着物は燃やした灰までも貴重な資源として利用したり、ろうそくは溶けた蝋まで再利用。

排泄物までリサイクルされていた。

それが今はどうだろう。

食品の廃棄に関しては、日本の国民1人あたり「おにぎり1つ分」の食品を毎日捨てているという。

この表現にも違和感を感じるのだが、日本の国民1人あたり「おにぎり1つ分」なんていわれて、心の底からもったいと感じる人がどれほどいるのだろう?

されど「おにぎり1つ分」と思うだろうか?

否。

なんだ、たった「おにぎり1つ分」か…と考えてしまうのが普通ではないのか?

だから全体像がピンとこない。

改めて計算し直そう。

日本の人口は1.257億(2021年)

日本の食品ロスは国民1人あたり「おにぎり1つ分」。

つまり毎日1億2570万個のおにぎりが廃棄されていることになる。

これだけの無駄が、毎日発生しているのだ。

現代の日本は「もったいない精神」が薄れ消費大国となった。

その弊害で崇高な精神は失われ、賎民に成り下がってしまった。

賎民筆頭は、既得権益を貪り続けている政治家どもである。

いっそのこと、政治家どもをリサイクルできないものか?

でもダメか。

廃棄にお金が掛かるだけで、使い回せる部品などひとつもないだろうから。

貴重な食品は簡単に捨てるくせに、無駄な政治家を棄てられない日本の歪んだ「もったいない精神」は、これからどうなっていくのか。

文句は言っても何も手を打たなければ何も変える気がないまま、また憂鬱な5月がやってくる。

 

 

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