其の二十二
美しき日本語の世界。
日本語の助数詞
助数詞
助数詞(じょすうし)は、数を表す語の後ろに付けてどのような事物の数量であるかを表す語要素である。
数詞を作る接尾辞の一群。
類別詞の一種である。
日本語の助数詞はたくさんありすぎて遣い熟すのが非常に難しい。
一説には約500種類もの助数詞が存在するともいわれている。
例えば魚の場合。
生きている魚は「匹」。
釣りや漁の獲物としての魚は「尾」。
水揚げされて取引されるサンマやイワシ、タチウオといった細長い魚は「本」。
同じくヒラメやカレイなどの平面的な魚は「枚」。
さらに商品や食料としての魚には、この段階で形状や性質に応じて様々な数え方が出現する。
頭と背骨を落とした半身の、さらに半分は「丁」。
ころと呼ばれるブロック状の肉片を小さく切り分けると「柵」になる。
まだまだこれで終わりではない。
さらに刺身や鮨にするひと口大に切り分けたものは「切」。
握り寿司になったら「貫」……
確かに多い。
いや、多すぎるだろ。
だが興味深く面白い。
きっとこれを面倒くさいと思うか面白いと思うかで、日本語への興味が180度変わってくる。
さて、あなたはどちらだろう?
助数詞はどこの国にでもある?
「1、2、3………」を数詞という。
しかし日本語ではモノを数えるとき、数字だけではなくその名詞に独特の数えるための単位としての助数詞が必要になってくる。
助数詞は数詞の接尾辞として、数詞の一部としての役割を果たす。
さらに助数詞には、名詞を類別する(=何を数えているか)という重要な役割がある。
助数詞を持つ言語としては日本語のほかに、中国語・韓国語など東アジア・東南アジアの多くの言語、またアメリカ大陸先住民の言語などにあるようだ。
英語の場合でも、「a cup of coffee」「a glass of water」「a pair of shoes」など、助数詞の感覚に近いものが存在する。
面白いうさぎの数え方
ウサギを「1羽」「2羽」と数える由来には諸説ある。
獣を口にすることができない僧侶がウサギを鳥類にこじつけて食べたためだという説や、ウサギの大きく長い耳が鳥の羽に見えるためだとする説などが有力である。
面白いのが、獣を口にすることができない僧侶がウサギを鳥類にこじつけて食べるためにこねた屁理屈だ。
ウサギの「ウ」は、本来は漢字の「兎」に当たるものだが、残りの「サギ」はどこから来ているのかはっきりしたことがわかっていない。
一説では、「サギ」は兎の意味を持つ梵語である「舎舎迦(ささか)」から転じたものだとか、朝鮮語に由来しているのだとか…。
だが著者は、僧侶たちがこねた屁理屈の方がよほど面白いし、妙に納得してしまうところがある。
それは「サギ」に鳥のサギ(鷺)を当てるというものだ。
そして「ウ」には兎ではなくウ(鵜)を当てる。
すると「ウサギ」は、「ウ(鵜)」と「サギ(鷺)」に言い換えることができるのだ。
なるほど、こうなると「ウサギ」は鳥類に早変わりする。
仮にウサギが「鵜鷺」と解釈され、言葉の上では鳥の仲間と捉えられていたとすれば、「羽」で数える習慣が生まれても不思議ではない。
しかし残念ながら現代では、ウサギを「羽」で数えることは少なくなり、鳥類とウサギを「羽」でまとめて数える場合以外は、「匹」で数える。
古き良き、シャレの効いたこの美しい日本語が廃れていくようで少し寂しい。
大人気アニメ『鬼滅の刃』で一躍脚光を浴びた神様の単位
大人気アニメ『鬼滅の刃』で一躍脚光を浴びた神様の単位である「柱」。
古墳時代に天皇が亡くなった際には供養のために柱を立て、そこに神様を招き迎える儀式を行ったことから「柱」と数えられるようになったという説がある。
現在でも諏訪大社で行われる御柱祭など、神事に柱を立てることがあり、「柱」が神聖なものとして崇められていたことがわかる。
また、伊勢神宮や出雲大社など本殿の中央を支える柱は心御柱(しんのみはしら)と呼ばれ、神様が宿るとされているし、そのほかの建物においても中央に最初に立てる柱は大黒柱と呼ばれ、神様が宿っていると信じられてきた。
柱に神様が宿ると信じられてきたことで、柱を神様と見立てたり、柱が神様そのものであると考えられるようになり、「柱」と数えられるようになったともいわれる。
また、日本では古来より森羅万象あらゆるものに神様が宿ると考えられてきた。
特に木々に神様が宿っていると考えられたことから、「柱」と数えられるようになったという説も存在する。
非常に興味深いのが、そもそも外国の神様は唯一であることが多く、数えることがないのだ。
そのため、「柱」はただの単位ではなく概念として存在していることがわかる。
日本独自の数え方といわれている「柱」は、八百万の神信仰が廃れていない証明である。
「柱」という単位に、再びスポットライトをあてた『鬼滅の刃』に登場するのは鬼。
面白い。
長い時間の単位に由来する「寿限無(じゅげむ)」の語源
落語の定番中の定番である「寿限無」。
その本名(正式な名前)は以下の通りで、「日本で最も長い名前」とされている。
日本で最も長い名前「寿限無」
寿限無、寿限無、五劫の擦すり切れ、海砂利水魚の、水行末・雲来末・風来末
喰う寝る処に住む処、藪ら柑子の藪柑子、パイポ・パイポ・パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの、
長久命の長助
この「寿限無(じゅげむ)」。
実はすべてが長い時間の単位に由来している。
寿限無
「幸福(寿)」が限り無いの意。
簡単に言うと寿命が無限ということ。
五劫の擦り切れ
本来は「五劫の摺り切れず」が正しい。
言い回しのために「ず」が省略されてしまったもの。
天女が時折泉で水浴びをする際、その泉の岩の表面が微かに擦り減り、それを繰り返して岩が無くなってしまうまでが一劫とされ、その期間はおよそ40億年。
それが5回擦り切れる、つまり永久に近いほど長い時間のこと。
別の落語では、天女が三千年に一回、須弥山に下りてきて羽衣で一振りして、須弥山がなくなるまでが一劫。
海砂利水魚
海の砂利や水中の魚のように数限りない喩え。
水行末・雲来末・風来末
水・雲・風の来し方行く末には果てがないことの喩え。
食う寝る処に住む処
衣食住の食・住のことで、これらに困らずに生きて行けることを祈ったもの。
※なお、『滑稽百面相』に記載の版では異なる説明がなされており、「食う寝る」とは実際には「くねる」であり、海中でくねる海藻の数のように果てしないこと、「住む処」とは「アノトコロ」なる正月の縁起物を指す掛詞で、「代々この場所に住みたい」という意味を持つ。
藪ら柑子の藪柑子
藪柑子(やぶこうじ)は生命力豊かな木の名称。
葉が落ちても実が生り続けることから縁起物とされる。
「(や)ぶらこうじ」は藪柑子がぶらぶらなり下がる様か、単に語呂の関係でつけられたとされる。
パイポ、シューリンガン、グーリンダイ、ポンポコピー、ポンポコナ
唐土(もろこし)のパイポ王国の歴代の王様の名前でいずれも長生きしたという架空の話から。
グーリンダイはシューリンガンのお妃様で、あとの2名が子供(娘)達という説も。
長久命
文字通り長く久しい命。
また、「天地長久」という読んでも書いてもめでたい言葉が経文に登場するので、そこからとったとする説も。
長助
長く助けるの意味合いを持つ。
これだから落語は本当に面白い。
不可説不可説転
一、十、百、千、万、億、兆
この先の単位を知らない人は多いだろうが、17世紀、吉田光由氏が記した『塵劫記』にはその先が書かれている。
京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数
一部の算数の教科書にも載っているから、無量大数を知っている好奇心旺盛な人は少なからずいるだろう。
しかし3世紀にまとめられた『大方広仏華厳経』によれば、驚くべきことに、さらにその先の単位が存在するというのだ。
そこで記された最大の単位が、不可説不可説転。
一般的に「最大の単位」としてしばしば紹介される無量大数が、1無量大数=10の68乗。
この時点ですでに天文学的な数字であるが、不可説不可説転はもはや異常と言わざるを得ない。
1不可説不可説転
‖
10の37218383881977644441306597687849648128乗
ということは、0が
37潤2183溝8388穣1977秭6444垓4130京6597兆6878億4964万8128個
あることになる。
何から何までもはや人智を超えている。
だからこそ、人は興味を持つべきだと著者は思う。
わからないことを、なんとか言葉で表現しようと苦慮した偉大なる先人たち。
先人たちの偉大なる叡智の結晶である、美しき日本語。
大切にしていきたいものである。
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