「万歳で送り出す苦しさ」そんな思いはもう二度とさせない
ある日突然に赤紙がやってきて、家族が兵隊にとられていく。
戦時体制下を描くドラマや映画などでよく目にする描写だ。
しかし日本の戦時下を知る人も語る人も、今ではずいぶん少なくなってしまった。
そもそも、赤紙とは何なのか?
ある日突然 "赤紙" がやってきた
赤紙とは、陸海軍による召集令状の一つで、とくに陸軍による充員召集・臨時召集・帰休兵召集・補欠召集などの令状のことであり、令状の用紙の色から赤紙と呼ばれた。
もっとも、アジア・太平洋戦争後半には物資の不足から用紙の色もピンク色に近くなっていったらしい。
ところで、赤い紙だから赤紙であるのなら、他の色の紙もあるのか?
他の色の紙があるなら、どんなものがあるのかといえば、実は白紙、青紙、紅紙などがあった。
紅紙は海軍による充員召集、白紙は教育召集・演習召集・簡閲点呼、青紙は防衛召集で、白紙と青紙は陸海軍を問わなかった。
- 赤紙:陸軍省による充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集国民兵召集は1941年(昭和16年)11月15日の陸軍召集規則の改正により廃止された。以降は充員召集と臨時召集に集約されており、現存する赤紙の多くは臨時召集のものである。
- 紅紙:海軍省による充員召集。
- 白紙:教育召集、演習召集、簡閲点呼。
召集令状を大まかに区分するのであれば、赤紙・紅紙は入営を、白紙は教育や訓練などへの参加を、青紙は空襲などに対する国土防衛のための短期動員をそれぞれ命ずるものであったと考えればよい。
戦争が勃発すれば、軍隊の規模を拡大する必要があるため、戦時動員を行うことになる。
ここで動員の対象となるのが、予備役や後備役、補充兵役、国民兵役などにある人々である。
こうした人々に入営を命ずる際に発行されるのが臨時召集令状、すなわち赤紙であった。
このため、赤紙は主に戦時動員の際に発行されるため、戦時体制下に多くみられるといえる。
むろん、平時であっても現役兵だけでは定員を充足できない場合には充員召集が行われるので、赤紙がやってくることはあるが、あまり一般的ではない。
一方、同じく入営を命ぜられる場合でも、現役兵の場合は通常の紙に印刷された色のない現役兵証書によるため、兵隊にとられるのはすべて赤紙による、というわけではない。
陸軍の赤紙などの召集令状は、陸軍省が定める動員計画によって各連隊区司令部で対象者を指定して発行される。
令状の発行後は、最寄りの警察署の金庫で密封保管され、動員令の発令後に警察官が市町村役場へと直接持参する。
その後は、役場の兵事係の職員が対象者を訪ねて、直接手渡しで交付する。
つまり、兵事係の職員にとっては、赤紙を配るということも重要な職務の一つだったということになる。
ところで、戦時中の体験記などでは兵士のことを「一銭五厘※」と呼ぶ描写などもみられるが、これは、当時の葉書の郵便料金が一銭五厘であったことから赤紙の郵便料金に由来しているとされている。
しかし、葉書の郵便料金は昭和12(1937)年4月1日に一銭五厘から二銭に値上げされているので、厳密には、日中戦争期やアジア・太平洋戦争期など、赤紙が最も多く発行されたはずの時期の郵便料金とは異なる。
そもそも前述した通り、赤紙は役場の兵事係が本人に直接手渡しで配ることになっているため、郵送されることはない。
それでは、なぜ兵士は「一銭五厘」と呼ばれたのか?
日中戦争やアジア・太平洋戦争の従軍経験者の体験談などでも多く語られていることから、これは、ごく一部に限られた話ではなかったということになろう。
命を惜しまずに戦う「精兵」を育てるという建前のもとに行われた初年兵教育をはじめとする、兵士の人命を軽視する陸海軍の風潮がこうした考え方につながったのではないだろうか。
いざという時に赤紙で召集されるのは、国民兵役にある満17歳から満40歳(昭和18年以降は兵役法改正により満45歳)までのほぼすべての男子が対象となっており、アジア・太平洋戦争末期には「根こそぎ動員」などと呼ばれるほど多くの人々が動員された。
赤紙とは、かくも重いものだったのである。
一銭五厘
一銭五厘(いっせんごりん)は、日本史(近代史・昭和史)において用いられる言葉。
太平洋戦争終戦前の郵便葉書料金のことで、これを徴兵・召集される兵士の命にたとえたものである。
一人に召集令状を送るのにも郵便葉書で一銭五厘が必要だろう、という理由でこのように言われていた。
花森安治氏※は二等兵だった頃に教育係をすることとなっていた軍曹が、「貴様らの代わりは一銭五厘で来るが軍馬はそうは行かない」と怒鳴っていて呆気に取られたという。
花森氏が一等兵へと昇進して前線に送り出された際には、そこでも「貴様ら一銭五厘」と言われていたと記している。
花森氏は戦後の1970年にこれらの経験を記した文章「見よぼくら一銭五厘の旗」を『暮しの手帖』に発表した。
石川岳氏の日本軍陣営に荷馬車で武器などを運ぶ部隊の荷馬車がぬかるみにはまり、荷馬車を押す作業員の1人が転倒して死亡するということがあった。
その時に日本兵の隊長は道の脇に死亡した作業員を埋葬するように部下に命じ埋葬された。
その時に隊長は一銭五厘損したと吐き捨てたということがあったという。
当時は死亡通知を郵送するのにも一銭五厘の切手代が必要であったからだ。
だが花森氏は「見よぼくら一銭五厘の旗 」の中で「(じっさいには一銭五厘もかからなかったが……)」と書いている。
実際の召集令状の送達は郵便葉書ではなく、(陸軍の場合)陸軍参謀本部が作成した動員令に基づいて各師団から地元警察署に配り、動員が下令されると師団が警察に開封を指示して警察から各市町村役場の兵事係が直接本人の家庭に令状を送達していた。
※花森安治
編集者・グラフィックデザイナー・ジャーナリスト・コピーライター。
生活雑誌『暮しの手帖』の創刊者。
金持ちたちが戦争を起こし、貧乏人が死ぬ
日本の今を予想した田中角栄、日本の過ちの過去を軽視する麻生太郎
軍費拡大を目論む日本政府。
戦争への第一歩は、いつだって国民の意志に反した政策を政治家がゴリ押ししたところから始まる。
この平和をいつまで享受することができるのだろう?
戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。
戦争を知らないやつが出てきて日本の中核になったとき、怖いなあ。
絶対戦争なんかダメだ。
だから、経験者が戦争の悲惨さを教えてやれ。
日本の今を予想した田中角栄元首相。
日本、台湾、米国をはじめとした有志の国に、非常に強い抑止力を機能させる覚悟が求められている。
戦う覚悟だ。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。
だれも気づかないで変わった。
あの手口学んだらどうかね。
日本の過ちの過去を軽視する麻生太郎氏。
広島・長崎の原爆忌に終戦の日が続く、日本にとって特別な月である8月。
平和の尊さを噛みしめ、無数の失われた尊い命に祈りを捧げ、二度とあの悲劇を繰り返さないと誓う大事な時に、「戦う」という言葉を軽々しく遣うこの政治家の異常な感覚に戦慄を覚える。
底なしに馬鹿な政治家ども。
「戦う覚悟」を持つ奴らに、これ以上この国の舵を取らせてはいけない。
この国は、過去の過ちと同じ道をもう歩まない。
戦争反対。
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