宮崎駿監督作品
風立ちぬ
『風立ちぬ』とは
『風立ちぬ』は、宮崎駿監督、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。
宮崎監督が「モデルグラフィックス」誌上にて発表した連載漫画『風立ちぬ』を原作とする。
航空技術者・堀越二郎の半生と、作家・堀辰雄の小説の内容が、主な題材となった。
映画のポスターには両名の名を挙げており、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と記されている。
アニメーション監督の宮崎駿氏が「本気」の引退を覚悟して作り上げた作品である。
宮崎監督がこれまで手がけてきた過去作とは異なり、舞台を現実世界である大正から昭和前期の東京、名古屋、軽井沢などとし、実在の人物である堀越二郎の航空機設計に情熱を注いだ約30年にわたる半生に、同時代を生きた堀辰雄の実体験をもとに執筆された恋愛小説『風立ちぬ』などの内容が盛り込まれた、ズタズタになりながらも一日一日をとても大切に生きようとした人物を描き出す壮大な物語。
宮崎監督によれば、
この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公 "二郎" に仕立てている。
後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会い別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を超えた彩どりをそえて、完全なフィクションとして1930年代の青春を描く、異色の作品である。
本作の初号試写の際に宮崎監督は「恥ずかしいんですけど、自分の作った映画で泣いたのは初めてです」と声を震わせながら語った。
キャッチコピーは、「生きねば。」。
キャッチコピーの「生きねば。」の原典は、フランス人作家のポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「風立ちぬ、いざ生きめやも」(Le vent se lève, il faut tenter de vivre.)から、題名の「風立ちぬ」に続き「いざ生きめやも」の部分が引用され、訳し直されたもの。
さらに、「生きねば。」は宮崎が長年にわたって執筆した漫画作品『風の谷のナウシカ』最終巻の最後のコマに登場する言葉でもあり、「たとえどんな時代でも力を尽くして生きることが必要」という宮崎監督の強いメッセージが込められている。
2013年9月、宮崎監督は本作を最後に長編アニメ製作からの引退を発表したが、のちに『君たちはどう生きるか』の制作にあたっている。
ただし、宮崎監督は『君たちはどう生きるか』の公開に際して自身の名を「宮﨑駿」に改名したため、「宮崎駿」としての長編アニメ最終作は本作となる。
あらすじ
飛行機に憧れている少年・堀越二郎は、夢に現れた飛行機の設計家・カプローニ伯爵に励まされ、自分も飛行機の設計家になることを志す。
青年になった二郎は東京帝国大学で飛行機の設計学を学び、関東大震災が発生した際に乗車していた汽車の中で偶然出逢った少女・里見菜穂子と、菜穂子の女中である絹を助ける。
世間は世界恐慌による大不景気へと突入していた。
東京帝国大学を卒業した二郎は飛行機開発会社「三菱」に就職する。
"英才" と会社から評価される二郎は上司たちからも目をかけられ、企業の命運を左右する一プロジェクトの頓挫やドイツへの企業留学など仕事に打ち込んだ。
その結果、入社から5年経って大日本帝国海軍の戦闘機開発プロジェクトの先任チーフに大抜擢されるが、完成した飛行機は空中分解する事故を起こしてしまう。
飛行機開発において初の挫折を経験し意気消沈した二郎は、避暑地のホテルで休養を取り、そこで思いかけずに菜穂子と再会する。
元気を取り戻した二郎は、菜穂子との仲を急速に深めて結婚を申し込む。
菜穂子は自分が結核であることを告白したが、二郎は病気が治るまで待つことを約束して、二人は婚約する。
しかし、菜穂子の病状は良くなるどころか悪化の一途を辿る。
菜穂子は二郎とともに生き続けることを願い、人里離れた病院に入院する。
二郎は菜穂子に付き添って看病したかったが、飛行機の開発を捨てるわけにはいかず、そのまま菜穂子と結婚して毎日を大切に生きることを決意する。
二人の決意を知った二郎の上司・黒川の自宅にある離れに間借りして、二人は結婚生活を送りはじめた。
しかし、菜穂子は日増しに弱っていく。飛行機が完成して試験飛行が行われる日の朝、菜穂子は二郎を見送ると、置き手紙を残して密やかに二郎の元を去り、サナトリウムに戻る。
ふたたび夢に現れたカプローニ伯爵は、二郎が作った飛行機を褒め称えるが、二郎は自分の飛行機が一機も戻ることはなかったと打ちひしがれる。
しかし、同じ夢の中で再会した菜穂子から「生きて」と語りかけられる。
モデルとロケーション
劇中に登場する航空機はそのほとんどが実在する機体であり、三菱の一三式艦上攻撃機、三式艦上戦闘機、九六式陸上攻撃機、九試単座戦闘機、零式艦上戦闘機、ユンカースのG.38、F.13、カプロニのCa.36、Ca.60などがリアルに描かれている。
堀越二郎の生家は群馬県藤岡市であるが、家屋のモデルは、宮崎監督が戦時中に幼少期を過ごした栃木県宇都宮市にある古民家と言われている。
二郎が通う大学は東京帝国大学工学部航空学科であり、関東大震災のシーンでは東京帝国大学付属図書館が焼失する様子が描かれている。
二郎が勤める航空機製造工場は三菱内燃機名古屋工場(現・大江工場)、テスト飛行場は岐阜県各務原市の「各務原陸軍飛行場」(現・岐阜基地)である。
里見菜穂子の実家は東京の代々木上原、菜穂子が入院するサナトリウムは長野県富士見町の「富士見高原療養所」である。
避暑地のホテル(草軽ホテル)は、長野県軽井沢町]や同県上高地にあるクラシックホテル(「万平ホテル」や「上高地帝国ホテル」など)がモデルとされている。
森の中の小川が流れる泉は、旧軽井沢にある「御膳水」や、長野県軽井沢町と群馬県安中市の県境にある「碓氷川水源」などがそのモデルとされる。
そのほか、かつて軽井沢に向かう経路であった碓氷第三橋梁やそこを通過するアプト式鉄道などがリアルに描かれている。
二郎が上司の黒川から間借りして生活した離れは、熊本県玉名市にある「前田家別邸」がモデルとされている。
登場人物
堀越 二郎
声:庵野秀明
本作の主人公。
裕福な家庭に生まれ、性格はのほほんとしてとらえ所がなく、マイペースで時間や予定にルーズ。
頭脳明晰で教養もあるが、言葉数は少なく、夢想家で常に頭の中は飛行機とその設計プランで埋め尽くされており、時折周囲の言葉さえ耳に入らないこともある。
不器用で物分かりの悪い一面を見せることもあるものの、人柄は真面目で誠実かつ独特のユーモアを持ち合わせているため、人望に恵まれる。
大好物は鯖。
また "美しいもの" に目がない。
当時の常として喫煙者で、吸っているタバコは「チェリー」。
群馬の藤岡に生まれ、子供のころから飛行機に憧れるが、当時、二郎のような近眼の者に対してはパイロットへの道が閉ざされていた。
夢の中で尊敬するカプローニに出逢い、設計者の道を志す。
東京帝国大学で航空工学を学んでいた、帰京中の汽車に乗車していた時に関東大震災に遭遇。
その際、後に妻となる菜穂子と運命的な出逢いを果たす。
大恐慌最中となった東京帝国大学卒業後、請われて名古屋の三菱に入社。
入社当時から期待の英才として将来を嘱望される。
その後、ドイツへの留学を経て、航空技術者として菜穂子との想い出の品である計算尺を武器に数々の戦闘機を設計する。
七試艦上戦闘機の開発では、初めて設計主務を任されるが、同機は飛行試験中に垂直尾翼が折れて墜落した。
失意の中、休暇で訪れた長野の軽井沢で菜穂子に再会する。
避暑地での恋が実を結び、菜穂子と婚約。
帰京後、あらぬ疑いで特別高等警察に目をつけられ、上司の黒川宅に寄宿するようになる。
社内に研究会を立ち上げ、その中心となる。その後、療養所のある山を抜け出してきた菜穂子と黒川夫妻の仲人で結婚し、束の間の幸せな新婚生活を送る。
その後、九試単座戦闘機の試作一号機に逆ガル翼や沈頭鋲を採用するなど、独創的な設計を行い、その非凡な才能を開花させる。
のちに零式艦上戦闘機など優れた飛行機を次々と生み出した。
実在の人物である、航空技術者の堀越二郎と小説家の堀辰雄を主なモデルとし、宮崎駿の父・宮崎勝次や宮崎駿自身の姿も投影されている。
これらの人物の要素が混ぜ合わされた、「堀越二郎」というあくまでも架空の人物であることに留意する必要がある。
里見 菜穂子
声:瀧本美織
本作のヒロイン。
性格は明るく純真。
その一方で芯の強い女性。
東京の代々木上原に住まう資産家の令嬢(関東大震災前は上野広小路)。
趣味は画を描くこと。
東京行きの車中で二郎が風で飛ばした帽子をキャッチした。
関東大震災発生により乗っていた汽車が脱線した際に骨折した侍女のお絹を助けた二郎に恋心を抱き、二郎が添え木がわりに使った計算尺とお礼の品をお絹に届けさせたが、その後しばらくは再会することは叶わなかった。
療養のため滞在していた軽井沢町にて、風で飛ばしたパラソルをたまたま通りかかった二郎が受け止めた際に、その青年が初恋の相手・二郎と気付く。
写生の合間に泉で願かけしていたところに二郎が現れたことでかねてから胸に秘めていた想いを伝える。
二郎との会食の約束は持病(結核)が悪化し、発熱したことで果たせなかったが、紙飛行機を通じて互いの想いを深めることになる。
父の許しを得て交際を始めて将来を誓い合い、持病の結核を治すと宣言する。
しかし、病は悪化して喀血。
治すために自ら希望して療養施設(富士見高原療養所、サナトリウム)に入る。
しかし、二郎への想いは抑えがたく、療養所を抜け出して二郎の元へ帰ってくる。
その決意を知った二郎は黒川に仲人を頼み、二人は夫婦となる。
日々深刻になる病に苦しむ姿を見せまいと気丈に振る舞い、連日深夜に及ぶ二郎の仕事を精神的に支える。
だが、二郎が手がけていた飛行機の設計が終わり一段落ついたのを機に、置き手紙を残して療養所に戻った。
その後、再び病は悪化し、のちに亡くなった。
なお亡くなったことは、劇中で直接的には描写されていない。
本作オリジナルの架空の人物であるがモデルは存在する。
堀辰雄が軽井沢で出逢った(堀の小説『美しい村』に所収)、油絵を描くのが好きな少女・矢野綾子が、本作におけるモデルの主軸となっている。
矢野綾子は、実際に若くして結核を患い、堀辰雄と婚約後、富士見高原療養所に入所し、同施設で24歳の若さで病死している。
名前の由来は堀辰雄の小説『菜穂子』に因む。
関東大震災の描写
本作の物語は、関東大震災を境に一気に動き出す。
本作のターニングポイントとなるその関東大震災の描写がとにかく印象的で凄い。
不謹慎な表現だが、本当に素晴らしい。
それはおそらく、『崖の上のポニョ』の波の描写の応用だったのだろう。
大地震を表現するために、画面を揺らすのではなく、大地をうねらせたアイデアは秀逸だ。
大地のうねりは大地震への畏怖を一層引き立たせている。
地震大国・日本に住んでいる人間なら、一度はあの恐怖感を覚えたことがあるのではないだろうか。
さらに連動した効果音も非常に素晴らしかった。
まるで怪物の咆哮のような効果音は、関東大震災がどれほどの災害だったのかを如実に物語っている。
アニメだからでき得た表現だが、そのアイデアが素晴らしい。
本作の関東大震災の描写は、過地震を表現した過去のあらゆる作品より優れていると著者は思う。
「夢は呪いである」という自身の言葉を現実と虚構を織り交ぜ見事に描いた宮崎アニメの傑作
宮崎駿監督が日頃から訴えている言葉がある。
「夢は呪いである」。
本作に対しても宮崎駿監督は、こう述べている。
夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。
美しすぎるものへの憬れは、人生の罠でもある。
美に傾く代償は少なくない。
本作のような、ファンタジーから離れ現実世界とリンクさせた作品は、宮崎駿監督作品としては珍しい。
主人公も実在の人物をベースにしているし、物語だって基本は史実に基づいている。
ファンタジー世界を描くことが多い宮崎駿監督だが、本作を観ると、現実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)の織り交ぜ方がすこぶる巧いことを改めて思い知らされる。
ニワカ知識相手なら、本作が史実だと言われてもきっと気づけないだろう。
何故なら本作で描かれる関東大震災、世界恐慌、失業、貧困と結核、革命とファシズム、言論弾圧と戦争につぐ戦争などは、現実世界で本当に起こったことなのだから。
テーマ曲のチョイスも抜群だ。
主題歌に選ばれたのは、松任谷由実(荒井由美)さんの「ひこうき雲」。
『魔女の宅急便』でも大成功を収めている最強タッグだが、「ひこうき雲」の歌詞をみる限り、『魔女の宅急便』とはそのテイストが少し違っていた。
この曲からは "死" が連想される。
アニメの主題歌としては少々重めの曲である。
しかし松任谷由実(荒井由美)さんの歌声は、"死" のイメージを不思議と中和され、なんとも言えない魅力を放つ。
それはまるで儚い夢のような。
堀越二郎役を務めた庵野秀明氏も、不器用な感じが非常に良かった。
素人声優の起用も、宮崎作品オハコの手法だ。
ちなみにこの庵野秀明氏というのは、皆さんご存知『エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督のこと。
このようにそれまでの自身の作品を、あらゆる面で踏襲しつつも見事乗り越えた本作。
『風立ちぬ』こそ、宮崎駿監督の最高傑作といっても過言ではないかもしれない。
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