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ioritorei’s blog

完全趣味の世界

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【映画『日本のいちばん長い日』(2015年版) 】洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる名作邦画をプレイバック!

 

洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる…

それこそ邦画の最大の魅力

 

 

洋画の派手さこそないがどうしようもなく心にしみる…

それが邦画の良さだと思う。

昔は当たり前のように洋画一択だったが、近年の邦画はなかなかバカにできない。

製作費でハリウッドに勝てないならシナリオと演出と演技で勝負といわんばかりに、邦画のクオリティーは年々高くなっている。

たしかにハリウッド映画は華やかで見栄えもするが、どうしても大味になってしまっているように感じる。

演出的にはどうしても地味な邦画ではあるが、シナリオ的に感性が合うのはやはり制作者が同じ日本人だからだろうか。 もちろん作品によるが、邦画には洋画のクライマックス的派手な見せ場がほとんどない。

ドッカンドッカン爆破しないし、ガガガガ派手な銃撃戦もない。

カッコいい戦闘機も、イカツイ戦車も邦画とは無縁に近い。

だが、最近そんな邦画が観ていてとても心地よい。 ガチャガチャとうるさいだけの映画は苦手だ。

時には深く考えさせられ、じわじわ心にしみてくる映画を好むようになってからというもの、邦画が面白くて仕方ない。

日本人ならではの感性で演出し魅せていくのが邦画だ。

ここではまったく派手ではないけれど、どうしようもなく心にしみて今なお強く記憶に残っている邦画をご紹介したいと思う。

 

 

 

映画(2015年版)

日本のいちばん長い日

 

 

『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』とは

 

 

『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』は、半藤一利先生によるノンフィクション書籍。

1965年(昭和40年)の初版刊行時は文藝春秋新社から大宅壮一編のクレジットで発売され、1995年(平成7年)6月に文藝春秋から半藤名義で『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日 決定版』として再版された。

昭和天皇鈴木貫太郎内閣の閣僚たちが御前会議において日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

これまで劇場用映画が2つ製作公開された。

岡本喜八監督による1967年版(製作・配給東宝)と原田眞人監督による2015年版(製作・配給松竹)がある。

 

 

 

 

日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)

日本のいちばん長い日 決定版 (文春文庫)

 

 

 

2015年版映画

『日本のいちばん長い日』とは

 

 

2015年(平成27年)、原田眞人監督により再び映画化された。

製作・配給は松竹。

『THE EMPEROR IN AUGUST』の英語タイトルが原田氏によって付けられている。

第二次世界大戦後70年に当たる2015年(平成27年)8月8日に全国公開された。

半藤一利先生の『日本のいちばん長い日 決定版』を原作とし、さらに同作品の公開年に宮内庁から公表出版され始めた昭和天皇実録鈴木貫太郎首相を描いた『聖断 昭和天皇鈴木貫太郎の要素も加えられている。

原田氏は1967年版について、「(陸軍大臣の)阿南さんの魂の相剋(そうこく)の描写も物足りなかったし、軍人は坊主でもなく不満を感じた。完全な映画化とは言えなかった」と不満を口にしている。

原田氏は「半藤先生の幾多の終戦にまつわる著作を何回も読み、天皇の勇気を支えたのが終戦内閣の鈴木貫太郎首相と阿南惟幾陸相のふたりであるとも確信しました」とコメントし、阿南と鈴木を軸に本作を製作したことを述べている。

また、主要な人物である鈴木、阿南、昭和天皇をそれぞれ「父、長男、次男」と捉え、三人を中心にした「家族」をテーマに描いている。

また、大東亜戦争を扱った映画の中で、昭和天皇の姿を明確に描いた最初の日本映画とされる。

昭和天皇役の本木雅弘氏は当初本作の出演オファーを受けるのを躊躇したが、義母である樹木希林さんの後押しでオファーを引き受けた。

1967年(昭和42年)公開の前作では主要人物でありながら、公開時がいまだに本人の存命・在位中ということもあり「特別な扱われ方」がなされた天皇であったが、本作では「ひとりの人物」として描かれている。

また、前作の映画では登場しなかった香淳皇后が、本作では夫の昭和天皇との食事シーンにおいて池坊由紀が演じる形で登場した。

 

 

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主要人物

 

 

 

 

 

あらすじ

 

 

1945年4月、元海軍大将で侍従長を歴任した鈴木貫太郎内閣総理大臣に推薦される。

彼は昭和天皇からの信任が厚かった。

鈴木はすでに77歳と高齢で、耳も遠いという身体的な不安材料もあったが、元海軍軍人の彼には「軍人は政治に関与せざるべし」という信念があり辞退を強く主張する。

鈴木を呼び出した昭和天皇は、そのことも加味しつつ「頼むから」と、強く説得し組閣するよう命じる。

天皇からの大命に鈴木は観念し、第42代内閣総理大臣に就任。

鈴木は早急に組閣を進める。

長男が書記官を名乗り出て父を助ける。

組閣の難所は陸軍大臣を誰にするかだった。

戦時下で一番の権力を固持していたのが陸軍だった。

陸軍出身の東条英機が総理大臣を務めている際に、本土防衛の主体を築いていたからだ。

戦況の悪化が理由で内閣総辞職となった経緯から、口に出すのは憚れながらも、和平を望む気風が漂い始めていたが、血気盛んな一部の軍人は “本土決戦” に備えている。

士気の高い陸軍には、緩衝材となりうる人材が必要だった。

鈴木の頭には重任を全うできるのは、部下からの人望が厚い “阿南惟幾(あなみこれちか)” の存在があった。

阿南は鈴木の侍従長時代に昭和天皇の侍従を務めており、阿南の天皇に対する忠誠心と、天皇の阿南に対する信頼の強さを知っていたからだ。

鈴木は陸軍の前陸相杉山元を訪れ、阿南惟幾陸軍大臣の入閣を求める。

和平への動きを察知していた陸軍は、強硬派の青年将校らが納得できる条件として、以下の3つを提示する。

  1. 飽くまでも大東亜戦争を完遂すること。
  2. 勉めて陸海軍一体化の実現を期し得る内閣を組織すること。
  3. 本土決戦必勝の為、陸軍の企図する施策を具体的に躊躇なく実行すること。

鈴木はこれをあっさりと快諾。

三鷹の阿南宅に出向き、陸軍大臣としての入閣を直接要請する。

噂を聞きつけた陸軍省青年将校達は、阿南が陸軍大臣になれば、本土決戦の士気が上がると歓迎ムードで湧きあがる。

その頃、阿南は娘の婚約者と披露宴の話しをしていた。

2人は時節柄を考え自粛したいと申し出る。

阿南は20歳という若さで戦死した、次男・惟晟(これあきら)を通し、できるときにやれるだけのしたい… “どんどん” やってほしいと、清々粛々な披露宴を勧める。

鈴木内閣が発足してまもなく、当時のアメリカ大統領・ルーズベルトが急逝する。

それでも日本の戦局は加速して悪化し、同盟国のドイツも降伏寸前に追い詰められ、ヒトラー総統は自死した。

そして5月25日の “東京大空襲” で戦火が飛び火し、皇居宮殿と海軍省が焼失してしまう。

国務大臣らの要請で鈴木総理を囲み、陸軍大臣海軍大臣らの戦局の見通しや時局の将来について懇談の機会が設けられるが、陸海の軋轢は深く意見はまとまらなかった。

6月8日で行われた “御前会議” では、本土決戦による勝利をもって、戦争終結の道筋を開くと、決議する。

しかし理想と現実の隔たりは高く、国民も兵士も疲弊し、兵器や物資も底をついていた。

6月22日、御文庫地下防空壕にて鈴木総理をはじめ閣僚たちと、昭和天皇が参席する懇談が行われる。

この席で天皇は心中を明解に表す。

天皇は東京から地方にまで焦土が広がった原因も知った上で、終戦に向けた具体的な努力を講じ、速やかに終結することを希望する。

鈴木は心の中では思っていても、口に出すのは憚られることを天皇のお言葉として聞き、和平に向けて方針転換し動き出す。

ところが陸軍省に東条元首相が訪れ、青年将校たちに天皇の御言葉について独自の解釈を広め、“初心を断行すべし” と方々の軍事施設に吹聴し将校の士気を焚きつける。

閣僚会議は意見がまとまらず、月例会議では “一億総決起の歌” が披露され、総理や閣僚、迫水書記官たちが学校に展示されている武器を見学する。

鈴木はまともな兵器はもうないのだと嘆き、迫水はまともな思考が残っていないのだと、怒りをあらわにする。

閣僚の1人が阿南に600万将兵の頂点に立つ身、心してほしいと伝えるが、阿南は陸軍直属の軍人ではなく、天皇直属だと言い切る。

7月27日、連合国よりポツダム宣言が発令され、日本に無条件降伏勧告がなされる。

閣議が開かれると鈴木は受諾する他にないとの天皇の意向を伝えるが、阿南は “国体護持” の確証が示されないなら断固拒否すべきだと意見する。

“拒否” という意見に外務大臣は怪訝そうにし、鈴木は政府の方針として “静観” か “黙殺” と発言するが、“黙殺” の方が連合国側に伝わったのちに、8月5日広島に原子力爆弾が投下される。

さらにソ連を介しての和平交渉に時間を割いてきたが、ソ連が参戦という裏切りに遭い、日本はさらに窮地に追い込まれてしまう。

外務大臣はもはや総辞職しかないと鈴木に迫まるが、鈴木は毅然とした姿勢でこの内閣の中で戦争を終結させると宣言する。

鈴木は天皇ポツダム宣言に関する詳細を報告。

官邸で待つ迫水書記官は天皇が受諾の意向を示したと確認すると、次は陸軍の扱いについて危惧する。

総理秘書が “戦争最高会議” に閣僚を招集し、抜き打ちの “御前会議” にて “聖断” を仰ぐと説明すると、迫水は憲法運用上の規範を破ることになると焦る。

鈴木はルールを破り “大元帥命令” によって軍を抑えると告げる。

これは国の方針を天皇の意思によるものし、その全責任が天皇にかかるという意味だった。

とはいえ、本当に天皇に責任を負わせる気はなく、最高責任者である鈴木が死をもって臨む方針だと準備を進めるよう迫水に伝え、彼は海軍省陸軍省へと走る。

海軍省では大西海軍中将から戦争を続ける方策を考えるよう迫られ、「2000万の国民を特攻で殺すつもりさえあれば勝てる」とまで言い切られてしまう。

陸軍省では戦争最高会議に向う阿南に、青年将校達が駆け寄り、“本土決戦” の道を血気盛んに熱望する。

戦争最高会議では無条件降伏の受諾一択か、条件付きで受諾するかが焦点となる。

阿南は “国体護持” の確約と、自国の手による武装解除がなければ戦争は続行するしかないと主張する。

米内海軍大臣はこの阿南の意見に、「事実上日本は敗戦しているにもかかわらず希望的観測だ」と反論。

2人が激論を交わす中、迫水に伝言が入り、長崎に2発目の原子力爆弾が投下され、広島と同様に被害は甚大だと伝えられる。

鈴木は天皇に謁見し、戦争指導者会議では話しがまとまらず、官邸にて閣議を開くが議論を重ねても、おそらく結論は出ないと思われ、その場合は天皇の助けを乞うじたいと願い出る。

天皇は「自分の名によって始められた戦争を、自分の本心からの言葉によって収拾できるのなら、ありがたく思う」と、静かに応える。

案の定、官邸での閣議は平行線のままだった。

そこへ阿南に陸軍省からの緊急連絡が入り陸軍省へと戻ると、部下から “決起案” がまとまったと書面を渡される。

それは全国に戒厳令を引き、内閣を倒し軍政権の確立を目指すというものだった。

阿南はそれを読み、深いため息をついた。

陸軍省のクーデター計画を知った阿南には、全軍からの一挙手一投足が注視される重圧もかかっていた。

御前会議が始まると阿南は、「国体の護持」「保障占領」「日本自身による武装解除」「日本による戦争犯罪の処分」の4条件を満たせば受諾すると強く主張する。

鈴木はひと通り意見を聞くと、意見が二分し議決できない上に事態の悪化は一刻の遅延も許さないため、異例で畏れ多いとしながらも天皇の意見を仰ぎ、 “聖断” として本会議の結論とすると伝える。

天皇はまず、外務大臣の意見に賛成した上で、自分には祖先から受け継いだ日本国を子孫に伝える使命があり、1人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、将来立ち上がってもらいたいと語る。

さらに「戦争を続け文化を破壊し、世界人類の不幸を招くことは、自分の望むところではない。」と、本心を語り “聖断” を下す。

ポツダム宣言受諾の一報に陸軍は混乱するが、阿南は皇室保全の確証が絶対条件で、これがなければ戦争は続けると、連合軍の返答を待つよう陸軍幹部たちに一致団結を訴える。

しかし東条元首相が天皇を謁見し、ポツダム宣言受諾反対の奏上。

天皇は東条にナポレオンの半生を例にし、前半生はフランスのために尽くしたが、後半生は自己の名誉のためにのみ働き、フランスだけでなく世界のためにもならなかったと、東條をなだめる。

ところがこれでは収まらないのが陸軍だった。

陸軍省を担ぎ出そうとするクーデター派と、陸軍省ごと内閣を倒そうとする過激派に二分。

8月11日、20時半。

三鷹の阿南宅に、畑中健二陸軍少佐ら軍人と、憲兵十数名がやってくる。

和平派が、阿南を監禁し暗殺計画の噂が出たため警護に来たと伝える。

8月12日。

連合国から日本からの条項に関する回答が届いた。

その内容は日本の条件を正面から受け入れるでもなく、かといって否定するものでもない、解釈の難しい内容だった。

天皇の処遇について「連合軍最高司令官に “subject to” する」という翻訳を、外務省は「最高司令官の “制限の元” に置かれる」としたが、陸軍省では「 “隷属する” 」と直訳してしまう。

阿南は戦死した次男の写真を持ち、妻の綾子に今生の別れを意味した和歌を渡し、省庁へと向う。

8月13日。

阿南は天皇を逃避させようと動くが、天皇は国体護持を確信していると留まることを阿南に告げる。

鈴木もまた何がおこるかわからないからと、嫁の布美に子供が疎開している秋田に行くよう促す。

陸軍省では将校達によるクーデター計画が進められるが、荒尾軍務課長から実行には陸軍大臣参謀総長、東部軍司令官、近衛団長の承認を得ることを条件にする。

将校は無理な条件だと反論するが、理念なき逆賊となりかねないと判断し、荒尾軍務課長をはじめとするクーデター計画の首謀者は、阿南がいる陸軍官舎に押しかける。

クーデター計画の内容は、14日の閣僚会議に押入り、和平派の要人を監禁したのち、陛下に受諾の変更を迫るというものだった。

将校たちの暴走を防ぎたい阿南は、閣議に全力を注ぎ、経過は吉積軍部局長に随時伝えるという提案で彼らを納得させる。

ところが閣議では連合国からの回答を受諾することに賛成票があつまり、ほぼ和平派となる結果へ向かう。

阿南は迫水を呼び別室で電話をかける。

相手は陸軍省の吉積軍部局長だった。

阿南は閣僚の大半は受諾に “反対” していると噓の報告をして、自分が戻るまでジッとしているよう指示を出す。

阿南はその様子を迫水に聞かせ、閣議の様子を知りたいなら、迫水書記官に変わるというと、迫水は阿南の真意を理解する。

阿南は吉積に0時に省に戻り、荒尾に結審を伝えると安心させる。

鈴木は閣議の内容を天皇に報告し、明日、重ねて "聖断" を仰ぐと宣言し散会する。

阿南は閣僚達がいなくなるのを待ち、陸軍が真実を知り暴走するのを予見して、鈴木に1日だけ御前会議を待てないか申し出る。

しかし1日待てばソ連が日本へ侵攻し、ドイツと同様に国が分断されてしまう。

一刻の猶予もないと考える鈴木はこれを認めなかった。

阿南は「クーデターに訴えては、国民の協力はえられない」と、参謀総長・東部軍司令官・近衛団長のもとに協力要請へと向かう将校を説得するよう根回しする。

8月14日、御文庫地下防空壕

天皇「私自身はいかになろうと、国民の生命を助けたいと思う。明治天皇の三国干渉の際の苦しいお心持ちをしのび、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、将来に期待したいと思う。」と言葉にすると、閣僚達はむせび泣く。

そして「自身が国民に語りかける必要があれば、マイクの前に立つ心構えはできている」と、終戦に関する詔書を至急準備するよう命じる。

阿南は陸軍省に戻ると、クーデター計画の首謀者を含む将校達に昭和天皇の言葉を伝える。

「御聖断は下ったのだ、この上は大御心のままにすすむほかない」と、諭すのだった。

それでも納得のいかない将校達は阿南に詰め寄るが、「御聖断は下った!納得できんのなら、まずは俺を斬っていけ!」と恫喝する。

最後まで抗戦にこだわった畑中は、近衛師団司令部へ赴くが師団長は不在で、そこにいた同朋数名と東部軍司令官に、クーデター協力要請するも叱責されてしまう。

一方宮内省では天皇が “詔書” を録音する準備が始まり、阿南は道場で1人、刀を振り精神統一する。

その頃三鷹の阿南邸には、若い復員兵が次男の戦地での様子と、その最期についてを伝えに訪ねてきていた。

陸軍省では、すでに省内の書類整理が始められ、井田中佐と椎崎中佐も荷物をまとめだしていた。

そこに畑中があらわれ、玉音放送までの20時間を無駄できないと計画をまくし立てると、椎崎は畑中の熱意に感化され、共にクーデター実行へと動き出す。

17時。

総理官邸では “終戦詔書” の審議が始まるが、阿南は原案の「戦勢日に非にして(日ごとに劣勢になり)」の部分がひっかかっていた。

そして「戦局必ずしも好転せず(必ずしも持ち直したとは言えない)」に変更し、“負け” ではなく、やむなく "終戦" するという表現にこだわる。

海軍大臣の米内は原案の方を強く推し、いったん海軍省へ帰ると官邸を出る。

外では多数の兵士が不穏な動きをしていた。

海軍省へ戻った米内は一部の将校による、鈴木と阿南の暗殺計画の動きがあると情報を聞き、審議の続く官邸へ戻った米内は一転、阿南の修正案を推し“詔書” は決定した。

阿南が陸軍省へ帰ると、将校や憲兵の誰もいなかった。

阿南は辞職願したため、自宅へ電話を掛けるが話し中でつながらない。

荒尾が大臣室を訪れると、中央幕僚の役割について不安を口にする。

阿南は日本の復興を固く信じ、平静な終戦処理を進めるよう、葉巻箱から2本取り出して彼に託す。

その頃近衛師団司令部では、陸軍将校が集まり “近衛師団命令” を偽装し同朋を募ると、宮城内警備司令所へと赴き、畑中は司令官にクーデターの全貌を話す。

椎崎と畑中は井田を呼び戻し、森師団長を説得するため近衛師団司令部へと向かうが、森師団長は接客中だった。

しかし畑中の元に、所在が不明だった竹下中佐が見つかったとの報告が入り、彼を呼び戻しに向かう。

その頃官邸では、 “詔書” に関する閣僚達の署名が終わっていた。

阿南は鈴木が控えている部屋へ赴くと、いくら “国体護持” を死守するためとはいえ、強硬な意見をしてしまったことを詫びた。

鈴木は彼の国を思う気持ちを讃えると、阿南は持参した葉巻箱を鈴木に献上し、一礼して去る。

鈴木は阿南の様子を察し “暇乞い” に来たのだと、迫水と秘書の息子に話す。

阿南は陸軍官舎に帰ると遺書をしたためる。

23時25分。

昭和天皇宮内省に到着し、玉音放送の録音を開始。

8月15日未明には終了し、2枚の玉音盤は侍従に預けられた。

一方、森師団長との面会をとりつけた井田と椎崎だが、森は彼らの話しを引き伸ばしながら、陛下の意思に反する行為は許されないとたしなめる。

深夜1時20分。

畑中が近衛師団司令部に戻ると、事態は一変していた。

畑中の苛立ちと怒りは、制御ができない精神状態へと陥っていた。

畑中は森師団長の執務室へ入ると、井田と椎崎の制止をふりきり森を銃殺し、同席していた白石中佐も窪田少佐が斬殺。

指令書に師団長の印を捺印してしまう。

1時37分。

捺印のある近衛師団命令を確認した城内警備司令所は、各部署に省内から出る玉音放送関係者を拘束し、捕虜にするよう通達する。

陸軍官舎を訪ねていた竹下は、畑中の様子を見て反乱の気も覚めたと阿南に話す。

それを聞いた阿南は自死の決意を話すと、竹下は淡々とその言葉を受け入れ、2人は別れの盃を交わした。

その頃放送局では、録音された玉音盤の捜索が続いていた。

宮城(皇居)では放送関係者が拘留され、尋問も始まっていた。

井田は、東部軍事司令部で自らを反乱軍と名乗り、森師団長が暗殺されたと報告する。

高嶋参謀長は井田に畑中を説得するよう命じる。

2時。

警備司令所の隊長にも森師団長の死が伝わると、阿南大臣の到着なしに以後の発令はしないと、畑中と椎崎に伝える。

説得に戻った井田は、東部軍事司令部は白けた空気が流れていると伝え、夜明けまでに撤収するよう諭す。

椎崎は竹下が阿南の説得に向ったと話しても、井田は自ら確認すると出て行ってしまう。

そこに玉音盤はまだ、宮内省内に残されているという情報が入り、近衛兵が捜索に向かう。

阿南は次男の命日(8月20日)に合わせて自決しようと考えたが、それでは遅く、日は明けてしまったが、遺書の日付は父親の命日14日にしたと竹下に話す。

竹下は阿南の “家族ありき” な理由を聞くと、楠正成の真の教えは “家族を大事に思うこと” だと、自分の心中にあるものを語った。

4時過ぎに訪ねてきた井田に「2人の介添え人か」とつぶやくと、井田はあとからお共すると阿南に伝える。

しかし阿南は井田の頬を殴り、「死ぬのは俺1人だ!いいか!?」と激高。

警備司令所に電話した東部軍司令部は、聖断に従う意向を伝え、将校たちに投降するよう説得する。

それでも畑中は、玉音放送の前に思いの丈をラジオで話させてほしいと、悪あがきをし拒否される。

阿南は軍服に次男の写真を置き自死の準備を整える中で、軍からの使いが宮城での事件を伝える。

軍からの使いへは竹下が対応。

井田は所払いされ、阿南はひとり切腹する。

椎崎中佐と畑中少佐は、二重橋の見える広場で自決。

御文庫の皇后宮に保管されていた玉音盤は無事放送局に運ばれ、正午、国民へ向けてラジオで流された。

阿南の亡骸を前にした妻の綾子は、伝え聞いた次男の勇姿を耳元で話すのであった…。

 

 


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日本人なら知っておくべき歴史

終戦に向けた日本国内で本当に起こっていたこと

 

 

終戦の日

 

終戦の日は、日本における第二次世界大戦終結(終戦)の日の呼称である。

日本において太平洋戦争(日中戦争)が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。

 

1945年(昭和20年)8月15日

 

正午からラジオで放送された玉音放送により、前日に決まったポツダム宣言受諾及び日本の降伏が国民に公表された日。
日本政府が軍に武装解除アメリカ・イギリス・中国などの連合軍への投降命令を発し、連合国もそれを受け戦闘を止めた。

 

1945年(昭和20年)9月2日

 

日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日。

 

1952年(昭和27年)4月28日

 

日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソビエト連邦などの東側諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日。

 

日本では終戦記念日を8月15日と認識されているが、アメリカ合衆国など多くの国々では一般的に降伏文書に調印した1945年9月に終結したと認識されている(国によって1945年9月2日とする国[アメリカ合衆国など]と9月3日とする国[中華人民共和国など]がある)。

第二次世界大戦戦勝国にあたるいくつかの国では、対日戦勝記念日が祝われる。

日本では当たり前のように8月15日が終戦の日とされているが、この日はあくまで降伏の意志を示しただけ(各地で戦闘中の軍には降伏命令を発布)の日にすぎない。

正式に日本が降伏したのは、それから半月後の対連合国への降伏文書が調印された同年9月2日のことであり、それまでは国際法上交戦状態だったことを鑑みると、かなり自己都合に偏った終戦の日といえる。

終戦の日」を終戦記念日と呼ぶこともあるが、その呼び方には個人的に抵抗がある。

連合国側からすれば記念日なのだろうが、日本人にとってはいったい何を記念しているのだろう?

しっかりと敗戦を受け入れ、自戒の念を込めて「終戦の日」とちゃんと呼ぶべきだろう。

 

 

玉音放送

 

玉音放送とは、天皇の肉声を放送すること。

玉音放送」と言えば、通常1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、当時日本唯一の放送局だった社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)から放送された大東亜戦争終結詔書の音読レコード(玉音盤)のラジオ放送を指すことが多い。

この放送は、第二次世界大戦における枢軸国側の日本のポツダム宣言受諾による終戦(日本の降伏)を日本国民に伝える目的で、日本ではこの玉音放送の行われた8月15日を「終戦の日」あるいは終戦記念日と呼び、以後毎年のように、日本政府主催で全国戦没者追悼式を日本武道館で行い、正午に黙祷を行うのが通例となっている。

 

 

玉音放送全文

 

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所

曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庻ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス

世界ノ大勢亦我ニ利アラス

加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル

而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セム

是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス

帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク

且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス

爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル

然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ


御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣總理大臣鈴木貫太郞

 

 

玉音放送全文(現代仮名遣い・常用漢字・ひらがな)

 

朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置をもって時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり

そもそも帝国臣民の康寧をはかり 万邦共栄の楽しみを共にするは 皇祖皇宗の遺範にして 朕の拳々措かざる所

さきに米英二国に宣戦せる所以もまた 実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出でて 他国の主権を排し領土を侵すが如きは もとより朕が志にあらず

然るに交戦既に四歳を閲し 朕が陸海将兵の勇戦 朕が百僚有司の励精 朕が一億衆庶の奉公 各々最善を尽くせるに拘らず 戦局必ずしも好転せず
世界の大勢また我に利あらず

しかのみならず 敵は新たに残虐なる爆弾を使用して しきりに無辜を殺傷し 惨害の及ぶところ真に測るべからざるに至る

しかもなお交戦を継続せんか 遂に我が民族の滅亡を招来するのみならず ひいて人類の文明をも破却すべし

かくの如くは 朕何をもってか 億兆の赤子を保し 皇祖皇宗の神霊に謝せんや

是れ 朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり

朕は帝国と共に 終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し 遺憾の意を表せざるを得ず

帝国臣民にして戦陣に死し 職域に殉じ 非命に倒れたる者及び 其の遺族に想いを致せば五内為に裂く

且つ戦傷を負い 災禍を被り 家業を失いたる者の厚生に至りては 朕の深く軫念する所なり
思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず

汝臣民の衷情も朕よく是れを知る

然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪え 忍び難きを忍びもって万世の為に太平を開かんと欲す

朕はここに国体を護持し得て 忠良なる汝臣民の赤誠に信倚し 常に汝臣民と共に在り

もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排擠 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うが如きは 朕最も之を戒む
宜しく 挙国一家 子孫相伝え かたく神州の不滅を信じ 任重くして道遠きを念い 総力を将来の建設に傾け 道義を篤くし 志操を堅くし 誓って国体の精華を発揚し世界の進運に後れざらんことを期すべし

汝臣民それ克く朕が意を体せよ


御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣総理大臣鈴木貫太郎

 

 

玉音放送全文(現代語訳)

 

私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。私は、帝国政府に、アメリカ・イギリス・中国・ソ連の4国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、全ての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。

先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、正に日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、元より私の本意ではない。

しかしながら、交戦状態も既に4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにも関わらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。

それ所か、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。

それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、更には人類の文明をも破滅させるに違いない。

そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)に詫びることができようか。

これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。

私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。

日本国民であって戦場で没し、職責の為に亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。

更に、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。

考えて見れば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。

あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。

然し、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いを堪え、永遠に続く未来の為に平和な世を切り開こうと思う。

私は、ここにこうして、この国の形を維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごす事ができる。

感情の高ぶりから節度なく争い事を繰り返したり、或は仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、その為に人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒める所である。

正に国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。

あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動して欲しい。

 

御名御璽

昭和二十年八月十四日

内閣総理大臣鈴木貫太郎

 

 

昭和20年8月、昭和天皇がラジオを通じて国民に終戦を告げた「玉音放送」の音声を記録したレコード盤「玉音盤」の原盤が、戦後70年を経て宮内庁より平成27年8月1日に初めて公開されている。

音声は全体で4分30秒あり、ところどころに雑音が入っているが、これまでテレビなどで使われてきた「玉音盤」のコピーに比べ、昭和天皇の肉声がはっきりと再現されている。

我々がこれまで耳にしてきた昭和天皇の「玉音放送」は、「玉音盤」そのものの音声ではない。

終戦の翌年、GHQ連合国軍総司令部の命令でつくられた「玉音盤」をコピーしたものの音声だ。

当時、作業にあたったNHKの職員が余分につくって自分で保管していたものが、のちにNHKにわたり、今日の放送で使われている「玉音放送」の音源として広く用いられるようになったということらしい。

とはいえ、なかなか耳にする機会のない玉音放送

まともに聞いたのは本作がはじめてだった気がする。

 

 

宮城事件

 

本作で描かれる軍将校によるクーデターを宮城事件と呼ぶ。

宮城事件は、1945年(昭和20年)8月14日の深夜から15日(日本時間)にかけて、宮城(皇居)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件である。

終戦反対事件、あるいは八・一五事件とも呼ばれる。

日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。

しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、一部は自殺もしくは逮捕された。

これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。

ただし事件に関係した将校たちは明らかに当時の軍法・刑法に違反する行為を行ったにもかかわらず、敗戦によって彼らを裁くべき軍組織が解散させられたため、軍事裁判にかけられることも刑事責任を問われることもなかった。

日本人にまだ愛国心があった時代。

命を賭して日本国に殉じた若者がこの頃はまだいたという事実を、今の日本人は知るべきだろう。

良くも悪くも、あなたはこれほどまでに母国を愛せるだろうか?

 

 

 

名優たちが繰り広げる

殺人すら厭わない緊迫のシーンの連続

 

 

新旧実力俳優揃いの豪華キャスト

 

 

侍従武官を務めたこともあって、昭和天皇からは信頼され、陸軍大学同期の石原莞爾も認めるほどであった。

劇中では、天皇と将校たちそれぞれの信頼に板挟みになり苦悩する姿を、役所広司氏が好演している。

最後に自刃するシーンでは、観る人に様々な感情を沸き起こす。

 

 

 

まず何よりその見かけに驚く。

詳細に見比べると違いは顕著だが、本作だけをみるなら昭和天皇にそっくり。

瓜二つとさえ思うほどだ。

また実際の昭和天皇も、本作での本木雅弘氏のようだったのではと思わせるほど、真に迫る演技をみせてくれている。

著者は皇国史観なんてものを持ち合わせていないが、本作の昭和天皇像こそ真実の姿だったのではないかと思っている。

戦争の全責任を負う覚悟をもって、玉音放送に臨んでいたのだろうと考える。

それほど本木雅弘氏の凛とした演技が印象的だった。

結局日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判では、昭和天皇を訴追する動きもなかったわけではないが、早い時期にそのような動きは撤回され、天皇は裁かれないことになった。

また、戦争直後には昭和天皇が退位するという選択肢もまったく検討されなかったわけではないが、実際には戦後の民主的な選挙によって構成された国会によって日本国憲法が制定され、大多数の国民の支持を得た上で昭和天皇天皇の地位にとどまり、戦後の象徴天皇制が始まった。

しかしアメリカでは、戦争終結直前の1945年6月29日に行われた世論調査によれば、「昭和天皇を処刑するべき」とする意見が33%、「裁判にかけるべき」とする意見が17%、「終身刑とすべき」とする意見が11%であったという。

 

 

 

鈴木貫太郎の名は、あまり馴染みがないかもしれない。

鈴木貫太郎は海軍軍人であり政治家である。

最終階級は海軍大将。

栄典は従一位勲一等功三級男爵。

海軍士官として海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長(第8代)などの顕職を歴任した。

予備役編入後に侍従長に就任。

さらに枢密顧問官も兼任。

枢密院副議長(第14代)、枢密院議長(第20・22代)を務めたあと、小磯國昭の後任として内閣総理大臣(第42代)に就任した。

一時、外務大臣(第70代)、大東亜大臣(第3代)も兼任した。

陸軍の反対を押し切って、ポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦終戦へと導いた人物である。

1936年(昭和11年)2月26日に勃発した二・二六事件で鈴木は四発撃たれ、肩、左脚付根、左胸、脇腹に被弾し倒れ伏している。

飯田町病院に運んだが、出血多量で意識を喪失、心臓も停止。

直ちに甦生術が施され、枕元では妻・たかが必死の思いで呼びかけたところ、奇跡的に息を吹き返している。

後に首相に推されるが、「軍人は政治に関与せざるべし」という信念で固辞。

だが「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい」と天皇自らに述べられ首相に就任している凄い人。

が、鈴木をまたしても凶刃が襲う。

終戦に納得いかない一部の軍人が降伏阻止を図り、鈴木をはじめとした要人の殺害とクーデターをしかけたのだ。

間一髪で鈴木は助かったが、敗戦と事件の責任を取り、内閣ごと辞職している。

その後は「敗軍の将である」ということで、積極的に政治へ関わろうとはしなかったという。

このように、名宰相と呼べるのが鈴木貫太郎である。

その鈴木を演じたのが、これまた名優の山崎努氏。

悪人役を演じさせたら超一流の山崎努氏だが、善人役も超一流。

正直鈴木貫太郎という名は、本作を観るまで存じ上げなかったのだが、山崎努氏が演じていたことで当初は悪者だと思っていた。

それが実は稀代の名宰相だった。

こうなると鈴木の一挙手一投足で、途端に涙が出てくるから不思議だ。

それはきっと山崎努氏の寡黙なイメージが、善人役の時では逆に妙味になっているという良い証拠だろう。

 

 

 

畑中健二は陸軍軍人である。

最終階級は陸軍少佐。

鈴木貫太郎内閣のポツダム宣言受諾決定(日本の降伏)に抗議する一部の陸軍省幕僚と近衛師団参謀が企図したクーデター未遂事件(宮城事件)の首謀人物の一人。

しかし決起は叶わず、玉音放送直前の8月15日午前11時過ぎに二重橋と坂下門の間の芝生上で椎崎二郎とピストル自決している。

1967年版映画では、血気・熱情の性格を強調して描かれたが、実際の畑中は純朴で物静かな文学青年といった印象であり、陸大時代には母校へ来て後輩を励ます事もあったという。

そのため公開当時、実像とはかけ離れた描写に、母校の園部中学校関係者らから訂正を求める要望が上がった。

本作でも血気・熱情の性格で描かれている。

演じるのは松坂桃李氏。

若手実力俳優だ。

実像とはかけ離れているかもしれないが、松坂桃李氏の演じた畑中の狂気にも等しい真っ直ぐな目力は必見だ。

特に印象に残ったのは上官への敬礼のシーン。

このシーンでは、日本の軍国主義が如何なるものだったのかを如実に物語っているような気がした。

 

 

 

息を呑む阿南惟幾の最期

 

 

役所広司氏が演じる阿南の最期は自決だった。

“自決” という現代では理解されにくい行為の描写は、時に悲壮感が強く、時に美談として大袈裟に演出されがちだ。

だが本作では違っていた。

淡々と自決の準備を進める阿南。

何とか思い止まれないかと説得はしても、無理に止めようとはしない周囲の人間。

それは軍国主義が武士社会の延長線上にあって、その慣習が当たり前に残っていた様を淡々と描いていた。

阿南の亡骸を前にした妻の綾子も毅然としていた。

泣き喚くわけでもなく、静かに伝え聞いた亡き次男の勇姿を阿南の耳元で話すのであった。

何故阿南は死ななければいけなかったのか?

責任を取るべき人間は他にいたのではないのか?

阿南の生き様には、考えさせられるものがたくさんある。

 

 

 

阿南の愛国心、鈴木の愛国心、畑中の愛国心

 

 

『日本のいちばん長い日』は1967年にも、岡本喜八氏の監督で映画化されている。

しかし2015年版はそのリメイクではなく、阿南惟幾の魂の葛藤を丁寧に描かれた作品だ。

昭和天皇への忠誠心を軸に、軍人としての自分、将校たちの気持ちが複雑に絡みながら、和平へと託されている鈴木貫太郎への尊敬と、2人の信頼関係がより忠実に描かれている。

戦争終結を目指した阿南や鈴木の愛国心

戦争継続を願った畑中の愛国心

常識的には戦争の終結こそが正しい愛国心だと考えるだろう。

果たして畑中の愛国心は、間違っていたのだろうか?

立場や行動の違いこそあれど、阿南も鈴木も畑中も、日本の将来を憂いての行動だったのではないのか。

だが当時の日本は運命の大きなうねりの中にあり、人ひとりの力でどうこうできる状態にはなかった。

だから畑中の行動だけを責めるわけにはいかない。

行動の善し悪しはあっても、これほどの愛国心を持った日本人は今の世の中にいないのだから…。

終戦から77年。

戦争を知らない世代だからこそ、今当たり前のように享受している平和が、たくさんの人の犠牲の上に成り立つものだと知るべきだ。

本作を観れば、先人たちがどんな思いで日本の未来を繋いでくれたのかがよくわかる。

我々は先人たちが繋いでくれた、未来の世界で生きているのだから。

全編を通してシリアスな展開の作品だが、是非一度観てほしい作品である。

 

 

 

 

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