ポノック短編劇場
ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-
『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』とは
『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』は、2018年8月24日に公開されたスタジオポノック制作による日本のアニメーション映画。
『カニーニとカニーノ』『サムライエッグ』『透明人間』の3つの短篇で構成される。
スタジオポノックのプロジェクト「ポノック短編劇場」の1作目。
『メアリと魔女の花』に続く劇場用映画で、スタジオポノックとしては初の短編映画となる。
ポノック短編劇場 ちいさな英雄 ‐カニとタマゴと透明人間‐ (角川つばさ文庫)
スタジオポノック
2015年4月15日、制作部の解散によってスタジオジブリを退社した西村義明プロデューサーが、同じくジブリを退社した米林宏昌監督の新作映画を作るために設立した。
「ポノック」という名前はクロアチア語で「深夜0時」を意味するponoćに由来し、新たな一日のはじまりの意味が込められている。
2014年末、宮崎駿監督の引退宣言によってそのままの体制を維持することが難しくなったジブリが制作部門を解散。
西村プロデューサーは、米アカデミー賞への出席でアメリカでの『ベイマックス』のドン・ホール監督やディズニー(当時)のジョン・ラセターたちの存在に感銘を受けた一方、「日本で宮崎駿、高畑勲、鈴木敏夫の3人の映画作りの考え方や姿勢をこの先誰が引き継ぐのか?」という焦りを感じた。
また「ジブリが一番」と思う一方でその制作部が無くなるという空しさもあった。
そこで「ジブリの血を引いた作品を作ろう」と決意し、米林監督にまだ映画を作りたい意思があるのを確認すると新スタジオを立ち上げることを決めた。
高畑勲監督は生前、スタジオジブリの制作部門解散後に「スタジオポノックは長編アニメーションのひとつの牙城になるかもしれません」と遺している。
2017年7月、スタジオ長編映画第一作品となる『メアリと魔女の花』が公開された。
この映画は、ジブリ作品で活躍してきたクリエイターやスタッフが多数参加し、興行収入約33億円のヒットを収めた。
ジブリの制作部門解体後、ジブリを離れてバラバラになったクリエイターたちに西村プロデューサーが頭を下げて再結集してもらったことで、作品にはスタジオジブリのカラーが色濃く残ることになった。
だが、ポノックはジブリのメンバーや技術、志は引き継いだもののブランドを受け継いではいない。
宮崎吾朗監督からは「ジブリの冠無しには資金やスタッフを集めるのもヒットさせるのも至難の業だ」と言われたが、西村プロデューサーはその理由を「ジブリは高畑勲監督と宮崎駿監督の映画を作るためのスタジオであり、彼らが作らないと言ったら続けることはできないし、ジブリというブランドには興味がない」と説明している。
つまり、「ただ、ジブリがそれまで築き上げてきた映画作りの志が消えてしまうこと、一本の映画で世界を変えうると信じる作り手たちの映画が作られなくなることは嫌だった」とも語っている。
翌年の2018年8月、スタジオポノック初となる短編アンソロジー『ちいさな英雄-カニとタマゴと透明人間-』を劇場公開。
米林監督の『カニーニとカニーノ』、百瀬義行監督の『サムライエッグ』、山下明彦監督の『透明人間』の3篇からなる短篇集でもある。
2019年6月のアヌシー国際アニメーション映画祭では、オリンピック文化遺産財団との共同制作『Tomorrow’s Leaves』の制作を発表し、2021年に短編を発表。
作品はOFCHの記念博物館に収蔵されている。
2022年夏、スタジオポノックの長編映画2作品目にあたる『屋根裏のラジャー』公開予定だったが、制作の遅延により公開延期を発表し2024年12月15日公開となった。
2017年2月、宮崎監督がジブリの長編映画の制作に復帰したことを受け、2023年7月14日に公開された『君たちはどう生きるか』において西村プロデューサーも協力製作という形で9年ぶりにジブリ作品に関わった。
カニーニとカニーノ
監督は米林宏昌氏。
上映時間は19分。
主人公であるカニは赤いマントを纏いハサミ型の槍を持つ擬人化した姿だが、他の生物はデフォルメを排したリアルなデザインとなっている。
あらすじ
サワガニの兄弟・カニーニとカニーノは、両親と共に川底で小魚を食べて暮らしていた。
母が出産の為に棲み家を離れていた大嵐の日、激流に流されそうなカニーノを助ける父親。だが、代わりに父が流されて行ってしまった。
兄弟だけになり、父を探すため危険を犯して下流に向かうカニーニとカニーノ。
大怪我をしていたが、父は無事だった。
母も沢山の赤ん坊を抱えて帰って来た。
月日が流れ、成長したカニーニとカニーノは、若い仲間たちと暮らす為に棲み家から旅出つのだった。
キャスト
サムライエッグ
監督は百瀬義行氏。
上映時間は17分。
あらすじ
野球好きな小学生・シュンは、両親と東京・府中市で暮らしていた。
彼は生まれつき重度の卵アレルギーに苦しんでいた。
アレルギーの治療は、わざと少量のアレルギー物質を食べて慣らして行くのだが、それは吐き気との闘いであり、まだ幼いシュンは治療を避けがちだった。
そんなある日、母がいない間に誤って卵が含まれたアイスクリームを食べてしまうシュン。
たちまち激しい発疹に襲われたが、シュンは薬を持って大人のいる場所まで走り、何とか助かった。
下の乳歯が一本抜けて、大人の歯が生えて来たシュンは、頑張ってアレルギーを治そうと心に誓うのだった。
キャスト
透明人間
監督は山下明彦氏。
上映時間は18分。
あらすじ
港町で暮らす青年は透明人間だった。
背広を着て会社に勤務しているが、同僚たちは彼が居ないかのように素通りする。
常に重い消化器を担いでいる青年。
手ぶらでは風船のように、何処までも浮いて行ってしまうのだ。
服は着ているのに反応しないコンビニの自動ドア。
レジ係も彼に気づかず、パンも買えない。
青年の存在が "見えた" のは、盲目の老人と盲導犬だけだった。
階段を滑り落ちた乳母車がトラックの前に飛び出した。
間一髪で助ける青年。
青年に抱えられ斜面を転がり落ちた赤ん坊は、彼の透明な顔を認識して泣き止み、笑顔になった。
キャスト
ジブリに囚われまいとして逆にジブリを意識しすぎた感のある迷作
目の付け所はさすがだけど…
本作はあのスタジオジブリの元スタッフ陣が制作しているとのことだが、ジブリの血を受け継ぎたいのか、はたまた払拭したいのかがよくわからない作品となっているように思う。
さすがに目の付け所は面白い。
『カニーニとカニーノ』はサワガニを擬人化しその生態を描いた、さながら童話風「ワイルドライフ」のよう。
作風は童話のようだが、擬人化されている者いない者の違い等、なかなか深い意図が隠されているようにも感じた。
『サムライエッグ』はアニメでは珍しく食物アレルギーをテーマに扱った問題作。
一般的にはまだまだ理解の浅い食物アレルギーと真正面から向き合っていて、斬新な感覚を覚えた。
『透明人間』は一転して、人間の暗部にスポットライトをあてたような作品。
透明人間が孤独のメタファーなのか、それともファンタジーなのかは不明だがどことなく人の闇を感じさせる。
それぞれの作品はそれなりに感じるものがあるが、短編集としてみた時この3篇からは不協和音を感じてしまう。
『カニーニとカニーノ』と『サムライエッグ』は、まるで文部省推奨の教材のようで何らかの共通点がありそうな作品だが、『透明人間』だけ酷く毛色が違ってまるで統一感がない。
仮にそれが意図的なものであったとしても、この気持ち悪さはいかがなものだろう。
いくら短編集とはいえひとつのタイトルで括る以上、何らかの共通意識は持たせて欲しかった。
もはや時代遅れ?スタジオジブリの世界観が通用したのは宮崎駿あってこそか
皆が大好きなスタジオジブリ作品だが、果たしていつまで楽しんで観ていられたのだろうか。
『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』あたりまでは、自分が子供だったこともあって、間違いなく楽しんで観ていられた。
その後は?
『魔女の宅急便』や『紅の豚』や『耳をすませば』、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』は楽しく観れたが、この辺りから思い入れが飛び飛びになり始めた。
ここでいうところの "思い入れ" というのは、「何度も観たい作品か?」どうかということ。
上記の作品は皆テレビで放送されていたら何となく観てしまう作品ばかりだが、同時代でも例えば『火垂るの墓』だったり『おもひでぽろぽろ』なんかは、一度観たら再視聴は気分次第。
同じジブリ作品でなぜこうも温度差があるのかというと、つまるところ著者にとってのスタジオジブリ作品とは宮崎駿監督作品のことを指すからなのだろう。
前述した作品の中でも、前者は宮崎駿監督作品だが、後者は高畑勲監督作品。
そして、この傾向は今なお続いている。
進化と躍進目覚ましいアニメ界において、正直スタジオジブリ作品はもはや時代遅れの感が否めない。
それでも今なお世界でスタジオジブリ作品が愛されているのは、宮崎駿監督の名があってこそ。
本作を観ると否が応でもそう感じざるを得ない。
パソコン嫌いが生んだジブリの世界観
宮崎監督がいかに国民的監督だといっても、戦争を経験した世代にとって、現代の電脳世界をリアルに描くことはきっと難しい。
特にパソコン嫌い(とうかコンピューター全般)で知られる宮崎監督。
そのためにジブリは、アニメの制作がパソコンに移行していく時代が来てもなかなかパソコンを導入できず、鈴木プロデューサーがワープロに似たパソコンを大量に仕入れて「あれはワープロです」と誤魔化してジブリにパソコンを入れたという逸話まであるほどだ。
この話(ちなみに宮崎監督は、ファミコンですら嫌っていたのにワープロだけは「字が奇麗に出る」とかいう理由で認めていたという……)を聞いて、笑っていいのかどうかは何とも微妙ではある。
しかし、そのおかげかジブリ作品には他作品にはない古き良き夢があった。
宮崎駿監督作品には、世知辛くなりすぎた現代人が忘れかけている、古き良き時代(であろう)の人が思い描いたひとつの "幸せ" の形が描かれていた。
それは同時に、宮崎駿監督がアニメ作品に自らの夢を投影し、託したからのようにも思う。
元来、アニメとはそういうものだったのではないだろうか。
アニメの存在意義とは本来、現実ではなかなか見ることができない夢を託すことだったのではなかったか。
宮崎駿監督作品が他と違った点はそこやあったように思う。
最近のアニメ作品の中には、妙に複雑になりすぎている感のあるものも多々ある。
なまじ宮崎駿監督の影響を受けたスタジオポノック制作陣も、その幻影を追い求めすぎた結果、本作を無駄に複雑化させてしまったような気がしてならない。
宮崎駿の影を追ったポノックと超えようした細田守
有名な話ではあるが、知らない人のために細田守監督の経歴について少し説明しておこう。
細田守監督はスタジオジブリが高畑勲監督の『おもいでぽろぽろ』を作る時にスタッフを募集しており、大学を卒業し就職先を探していた細田はジブリの採用試験を受け、最終選考まで残るも結果は不合格。
不合格通知には他に一枚の紙が入っていて、それは宮崎駿監督直筆の手紙だったという。
そこには「自分の思うように作品をつくるほうが、君には向いている」というような内容が書かれていた。
「ジブリの中で誰かの言われるがままでいるより、君のやりたいことをやれ」という、大監督からのエールだった。
それでも細田監督は落とされたことが悔しくて悔しくて、雑用でもいいから入れてくれと食い下がるも、電話口で「宮さんが今回の試験を受けた中で手紙まで出したのは二人だけ、そのうちの一人が君だから諦めなさい」と言われたそうだ。
今聞くとグッとくるエピソードだが、当時の細田監督は「なんだコノヤロー」と思ったという。
しかし本作を観る限り、この時の宮崎駿監督の手紙がその先の明暗を分けたような気がしてならない。
本作制作のスタジオポノックも細田守監督も、宮崎駿監督に憧れたという点において共通している。
だからであろう、両者の画風は宮崎駿監督作品のそれと酷似している。
知らない人が観たなら、きっとどちらもスタジオジブリ作品と勘違いするほどよく似ている。
だがこの両者の作風はまったくの別物だ。
この両者の作品には、似ても似つかないほど圧倒的な差がある。
作画はジブリでも、作品に自らの世界観を投影した細田守監督作品。
対して宮崎駿監督の懐に入り、宮崎駿監督の世界観を学んだスタジオポノック制作陣。
しかしポノックの作品は、宮崎駿監督作品に囚われまいと意識しすぎた余り、逆に妙に複雑化してしすぎてしまった感がある。
宮崎駿監督の影に囚われすぎてしまった本作。
それでもさすがというべきか、ポテンシャルの高さは感じられる。
スタジオポノックの今後の課題は、いかにして作品に観る者の心を掴む "夢" を投影できるかどうかではないのだろうか。
もし作品に "夢" を詰め込めたら、スタジオポノックの作品は大化けするかもしれない。
宮崎駿監督の正統後継者として、ポノックの今後の作品に期待したい。
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