僕が死のうと思ったのは / amazarashi
作詞者本人が歌うことで増した説得力と重み
「僕が死のうと思ったのは」
「僕が死のうと思ったのは」は楽曲ロックバンドamazarashiのフロントマン秋田ひろむ氏が作詞作曲を手がけ、中島美嘉さんに提供された楽曲。
楽曲はオファーの以前に制作されたもので、楽曲提供のオファーを受けた秋田氏が「この曲が絶対合う」と勧め、提供が実現した。
楽曲は題名や「僕が死のうと思ったのは…」のフレーズを連呼する歌詞からネガティブな印象が強く、中島さんはリリース以前、楽曲名はもっと前向きなものに変更されるだろうと予感していたらしい。
しかし実際はタイトルは変更されず、インパクトの強いタイトルが採用された。
楽曲は後にamazarashiがセルフカバーバージョンをリリースし、ミニアルバム「虚無病」及びベストアルバム「メッセージボトル」にも収録されている。
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ワイの歌が受け入れられない社会が理想
「ワイの歌が受け入れられない社会が理想」
昔のインタビューで秋田氏はこう答えている。
本作を名曲だと感じてしまう世の中は、たしかにおかしいのかもしれない。
突如襲い来る「死にたい」というメランコリックな感情。
だが、そこには明確な理由や動機が存在しないことも多い。
その衝動は、とりわけ楽曲前半部における「ウミネコが桟橋で鳴いたから」や「誕生日に杏の花が咲いたから」に顕著だ。
他人から見たらそれが一笑に付されるような些細な事柄であっても、当人にとっては何よりも強大な「今死にたい理由」になり得るのだ。
絶望の淵に沈むようなメンタルどん底の日常の中で、「このまま生き長らえること」と「死んで楽になること」を天秤に掛けてしまった結果、ふとした拍子に後者を選択してしまいかねないようなこの衝動は、杓子定規の人にとっては理解し難い感情なのだろう。
しかしそういう負の感情を抱えながらも、ギリギリのところで踏ん張って何とか今を生きている人が、世界にはたくさんいる。
ふとした拍子に「死んで楽になること」を選びそうになってしまう人間がたくさんいる。
そんな今死にたくて、消えたくて、 今の自分には何も響かないと思っている人には是非聴いてほしい。
曲が終わった後、目を閉じて拍手の音を聴いていると雨音のように聞こえてくる。
そんな些細なことでも、それが生きている実感のように思えて泣けてくる。
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