竹内まりやの名曲にして代表曲としてもお馴染み
当初は中森明菜のために書き下ろされた曲だった
名曲『駅』とは
『駅』は、中森明菜さんの楽曲。
竹内まりやさんが作詞・作曲を手掛け、中森明菜へ提供した楽曲で、1986年発売の中森さんのアルバム『CRIMSON』に収録された。
この中森さんのアルバムの中でも好評な曲であったが、翌1987年に竹内まりやさんがセルフ・カバーしてシングルとしても発売し、これによって一般的に広く知られるようになった。
かつての恋人の姿を駅で偶然見かけた女性が、隣の車両に乗り、降りるまでの間そっと彼のことを見続ける、という切ない恋の情景をマイナーコードにのせた『駅』は多くの人々の支持を獲得し、他の歌手もその後カバーするなど人気曲になった。
竹内さんは自身のベスト・アルバム『Expressions』のライナーノーツの中で、
'86年に中森明菜さんのアルバム用の依頼が来た時、 テーブルに彼女の写真を並べて、情景イメージが出て来るまでずっと見つめていました。
せつない恋物語が似合う人だと結論を得た私が、めずらしくマイナーコードで一気に書き上げたこの曲を、のちに自分も歌い、今のようにスタンダードな存在になっていくと夢にも思いませんでした。
明菜ちゃんからの依頼がなければ書けなかった歌です。
と作詞・作曲の経緯について述べている。
竹内まりやのセルフカバー
竹内まりやさんは当初、マイナーメロディーの歌謡曲風の『駅』を自身で歌うことを躊躇していたが、山下達郎氏にはこの曲が「イタリア風」に聞えたため自身の手でぜひ編曲したいと竹内を説得しレコーディングが実現した。
レコーディングの際、山下氏は竹内さんに「明るく聞こえる声質だからつまらないと思って歌ってくれ」と注文していたという。
セルフ・カバーの『駅』は有線放送で第1位になるなど、多くの支持を得る楽曲となった。
1991年に映画『グッバイ・ママ』の主題歌に使用され、同年にはシングルの2度目の再発盤もリリースされた。
オリジナル盤との合算で13.2万枚のセールスを記録している。
映画の終盤には、竹内さんがエキストラとして数秒出演している。
ヒット曲となった『駅』は竹内さんの代表曲のひとつとなり、2008年に竹内の公式HPで行われた楽曲のファン投票で第1位となった。
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中森明菜のための楽曲がなぜ竹内まりやの代表曲となった?
事のきっかけはこうだ。
山下達郎氏は中森明菜さんのアルバム『CRIMSON』を聴き、中森さんの楽曲の解釈に対して憤りを覚え、それをきっかけに、山下氏が自身の手でアレンジしたいと思い『駅』のセルフカバーをしてみたらどうかと竹内さんに勧めた経緯があるという。
このことは、竹内さんのベスト・アルバム『Impressions』の山下氏によるライナーノーツに「そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していた事もあって」とその経緯が語られている。
当該部分では個人名は伏せられてはいる。
また前述の竹内さんの解説から、中森版は、竹内自身とスタッフが中森さんのイメージに沿った解釈で制作したのに対し、聴き手としての山下氏が新たな解釈を提示したものである。
山下達郎氏曰く、「舞台は、かつての東横線渋谷駅ですよね。そこには、田舎から都会に出てきた人間ならではの視点も盛り込まれている。」らしい。
なお、山下氏はその後の中森さんの『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』での再録版(編曲:千住明氏)については特に言及していない。
中森明菜のアルバム『CRIMSON』が初登場1位も…
山下達郎が『駅』の歌い方に憤慨
『CRIMSON』は中森明菜さんの通算10枚目オリジナルアルバムとして1986年12月24日に発売された。
シンガー・ソングライターの小林明子さんと竹内まりやさんを起用したが、収録曲で竹内さんが提供したのは5作品。
そのすべての作詞と作曲を自らが行っていた。
一方の小林さんは作曲のみ。
中でも『エキゾティカ』は当時、小林さんのヒット曲『恋におちて -Fall in love-』の作詞家で音楽評論家としても知られる湯川れい子さんとのコンビで書き上げたものだった。
「発売がクリスマス・イブだったこともあり、女性としての温かみや優美さを出したいと思い、おふたりに楽曲を依頼しました」と、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で中森明菜さんの担当ディレクターだった藤倉克己氏(現フリー音楽プロデューサー)は語る。
アルバムへの評価は高かった。
オリコンのアルバムチャートでは87年1月12日付で初登場1位を獲得('87年度の年間アルバムチャートでは荻野目洋子『ノン・ストッパー』、松任谷由実『アラーム・ア・ラ・モード』に続く3位だった)。
一方で異を唱えたのが、竹内まりやさんの夫でシンガー・ソングライターの山下達郎氏だ。
山下氏は竹内さんが提供した『駅』に対して、中森さんの歌い方が気に入らなかったという。
竹内さんの書き上げた詞の世界は、藤倉氏がコンセプトとして示した通り「二十歳過ぎの女性が誰でも経験しそうなドラマチックな物語」だった。
竹内まりやさんは詞の中で別れを乗り越えた大人の女性の力強さをイメージさせた。
逆に中森明菜さんは吐息のようなボーカルで悲壮感を漂わせたのだ。
当時を知る音楽関係者はこう語る。
達郎さんはアルバムを聴いて憤慨したようです。
で、自ら再アレンジをして、まりやさんにセルフカバーを提案、翌87年にリリースされたアルバム『REQUEST』に収録し、同年11月にはシングル『AFTER YEARS』でも両A面作品としてカップリングしたのです(まりや版は91年公開の松竹映画『グッバイ・ママ』の主題歌にも抜擢された)。
山下達郎氏はこの件について94年発売の竹内まりやの通算2枚目のベストアルバム『Impressions』のライナーノーツで「そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈の酷さに、かなり憤慨した」と記しているが、その後のラジオ番組で「アーティストの責任ではなくアレンジやスタッフに対する意見」と語っている。
ワーナーで中森明菜の宣伝担当だった田口幸太郎氏(前日本レコード協会専務理事)は、こう振り返っている。
まりやさんの楽曲に対して、明菜が理解していなかったとか、あるいは解釈の相違があったと言われました。
しかし、藤倉さんやアレンジャーの解釈も大きかったはずです。
結果的にまりやさんの『駅』のほうが知られていますが、明菜バージョンの評価も高かったのは事実です。
やはり『駅』は、明菜あってのまりやバージョンだったと考えるべきです。
果たして解釈の違いだったのか?
前述の藤倉氏はこう語る。
デモを聴いたときは、正直「これはシングルになる」と思ったほどです。
デモはシンプルなアレンジで、僕自身はセルフカバーよりも完成度は高かったと今でも思っています。
ただ、明菜自身は、まりやさんを超えるものができないと思う一方、まねもできないとも思っていた。
達郎さんとしては「なぜデモの通りに歌わせなかった」と僕を責めたのだと思いました。
しかし、それではアーティストとしての明菜を否定することになる。
僕は明菜の心意気、心情を大切にしたかった。
明菜は常に完璧なものを壊そうとしていたんです。
まさにロックンローラーですよ。
僕は明菜の描く『駅』の世界も作品としては間違ってはいなかったと思っています。
作品は、アーティストに渡った途端、作家からは離れ、アーティストのものになることを具現化したのが中森明菜さんの『駅』だったのかもしれない。
なお結果的には山下達郎氏自身も、内心はどうあれ『駅』を傑作だと認めている。
名曲『駅』で生まれた解釈の違いは、竹内まりやさん・中森明菜さん・山下達郎さんの、三者三様の見解の違いが原因だったと思われる。
それぞれが違った角度から東京を見た結果だったのではないだろうか。
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