#51
停滞する思考に一石を投じる苦言
声にできない本音を言葉に…
何かと生きづらい世の中で、思ってはいても言葉にできない声がある。
感じていても声にするのが憚られる言葉がある。
それは耳障りが悪く、心地良い言葉ではないのかもしれない。
だが言葉にされて、はじめて気づくこともある。
本稿で取り上げる言葉は、ひとつ間違えれば暴言とも受け取られかねないものだ。
しかし何かを変えるためには、声に、言葉にしてより多くの人に考えてもらうべきだろう。
本稿が停滞する思考覚醒へのキッカケとなることを切に願う。
御上孝(日曜劇場「御上先生」より)
日曜劇場『御上先生』Episode 5 -confidence-でのヒトコマ。
神崎(奥平大兼)が御上(松坂桃李)と共に、ついに弓弦(堀田真由)と面会できることに…。
明かされる弓弦の過去。
心を閉ざす彼女に神崎はどう対峙するのか!?
一方、3年2組は高校生ビジネスプロジェクトコンクールに向けて動いている。
しかし、ここにも大人社会の権力の構図が影響していた。
生徒たちは、忖度をもぶち破るプレゼンを目指して議論を深めていくのだが…
生きていく上で、考えなくてはならないことが詰まったエピソード、そして、御上に突きつけられる試練…。
ある映画で
高級ホテルが少年テロリストに占拠され
客が次々に殺された
でもその虐殺の最中
テロリストの少年が
客の食い残しのピザを食べるんだ
たぶん
生まれて初めてのピザだ
彼はそのあまりの美味さに
無邪気に笑い出す
自分が虐殺した死体の前で
本当に悪い奴は
きっとそのホテルにはいない
そこにいるのは
ピザを食ったことのない貧しい少年と
たまたま観光に来た
人よりちょっとだけ金のあるだけの
ただの客だ
劇中のテーマである「Personal is political(個人的なことは政治的なこと)」。
この言葉は1960年代以降のアメリカの学生運動や第2波フェミニズム運動でのスローガンで、個人的な経験を、社会的・政治的な関係に結び付ける意味合いで遣われる。
またジェンダー平等の文脈でもしばしば遣われる言葉である。
このスローガンが掲げられた1960年代は今から半世紀以上前のことだが、それでもこの言葉は現代の日本でも強いメッセージを投げかけている。
不登校、ひきこもり、コミュ障、ジェンダー、女らしさ・男らしさ、家事、子育て、外国人、就活、結婚、夫婦別姓、出産、保育、道徳教育、いじめ、差別、性暴力、居場所……。
その生きづらさの理由は、あなたの中にではなく、社会のほうにあるかもしれない。
自分の大変さは、あの人の大変さと地続きかもしれない。
ただし、すべての責任が社会や政治にあるわけではない。
「Personal is political」とは、懸命に生きている人のための言葉。
自己責任論が根強いこの国では、何もせず自堕落に生きている人間がこの言葉を振りかざせば、逆恨みとしか受け取られない。
自尊と責任の境界線が曖昧なこの国だから、余計にわからなくなる。
本当に悪い奴は誰だ?
Puppets Can't Control You「御上先生」より(原曲:ONE OK ROCK)[ORIGINAL COVER]
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